酩酊街の春
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「もうそんな季節か」
「みたいですね」
 常夜の街の外れの、雑木林のような区画。
 その一角に設けられたちょっとした広場。
 本来一本の樹を囲うように提灯や切り株が並んでいるはずのその広場の中心から、そこにあるべき樹が消えていた。
 薄桃色の花びらと積もり方の薄い雪だけが、そこにそれがあったのだという名残を感じさせる。
 明けない夜と止まない雪だけの世界で、停滞というその街のあり方を象徴するかの如く、そのアイデンティティと言える儚さを放棄するかのようにいつも変わらず花をつけていた桜の樹が、忘却の街から消えた。
 それが意味するところは即ち、向こうにいる誰かがその桜を思い出したということで、だからきっと向こうでは今頃あちこちで桜が咲き誇っているのだろう。
 この街の住民がこの樹の消失で春の訪れを知るように、向こうの住人も春の訪れでその樹のことを思い出すのだ、きっと。
 それが、日付や季節なんて概念を忘れ去ったようなこの街で数少ない毎年恒例のことだった。しばらくの期間、思い出されて、その桜は酩酊街から姿を消す。その期間、あちら側は春なのだ。それがこの常冬の街の季節だ。
「向こうはどうですかね」
「わからん。が、つつがなくやってるみたいだぜ」
「まぁ、なんです、一杯やっときますか」
「だな」
 切り株に腰を下ろして、住民たちが杯に酒を注ぐ。
「酩酊街より彼らに愛を込めて。乾杯」
「乾杯」
 それは多分一通の便りのようなもので、停滞し、いずれ忘却の彼方に消えるこの街のものにとって、遠くの我が子だとか故郷だとかを思うような、そんな情緒の端緒なのかもしれなかった。


回収記録: Anomalous-████-JP

説明: オブジェクト自体を明確に記憶できない反ミーム特性を有する同定不能なサクラ属の樹木。常に花弁を散らしているが、花弁が尽きる兆候は見られない。
回収日: ████/04/██
回収場所: 国営████公園
現状: サイト-81██植物収容区に移植。機械管理システム下で収容中。反ミーム特性はオブジェクトそのものにのみ作用するようであり、報告書や記録は正常にアーカイブされている。


 暦は一巡した。酩酊に暮らす彼らは気づきもしないだろうけれど。
 桜の樹が植わっていた広場でも、飲んだくれがいくらか集まって飲んだくれている。
 いつかを境にそこに植わっていた桜の樹は二度とその場に舞い戻ることはなく、ただ切り株の並ぶ広場が残されていた。
 桜はあちらに留まった。飲んだくれたちも、しばらくはこの街に留まるだろう。
 もしかしたら、手紙を書くものがいるかも知れない。遠くへ行った友を思うように。
 それはわからない。
 ただ、確かなことが一つ。
 酩酊街に春はもう、来ない。

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