助手と一冊
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 真家研究助手は所属のサイトにある図書館にいた。神宮寺博士の研究室で新たな研究を行うことになったため、その予備資料を集めに来ていたからだ。
「世界彫像全集、彫像の歴史、それと3Dモデリングの方法ね。あとは……」
 手元にあるメモを見ながら、必要な資料を次々と本棚から取り出していく。
「そしてお次は……初期収容時の資料と先行研究の報告書漁りだ」
 本の貸し出し手続きをカウンターで済ませながら、真家は次に必要な資料のことを思い出していた。
「あら、この本は?」
 図書館の職員さんがバーコードも何もない「神宮寺 綴」と書かれた本を取り上げ、訝しむ。
「あっ、それはうちの博士です。貸し出し本と一緒に重ねてしまってましたね。すいません」
 借りた資料本を鞄に詰め、神宮寺博士を手に抱えて、真家は次の資料室へ向かった。
 
 
 

 
 
 
「今回の研究で行う第一次実験の内容は、オブジェクトの三次元スキャニングによるデータ解析及びシミュレーションで……」
 真家研究助手は手元の本、もとい神宮寺博士に目を落としながら発言する。ここは会議室。研究チームによる会議が開かれている。会議室に顔を連ねるのは上級研究員が数名、一般研究員がその倍くらい。この中でもっとも位が低いのは真家だろう。そんな真家が会議に出席しているのはもちろん、神宮寺博士の補佐である。神宮寺博士は今回の研究のリーダーだ。だが、博士は自分で発話することは出来ない。だからこうして助手である真家が、博士の紙面に次々と繰り出される思考を読み上げていく。たまに親切すぎるぐらいの振り仮名が漢字に振られていて、子供じゃないんだから、と思いながらも真家は博士の代理をこなしていった。
 
 
 


 
 
 
『実験の準備のほうは順調ですか?』
 神宮寺博士の紙面に文字が浮かび上がった。ここは神宮寺博士の研究室にある真家のデスクだ。真家は今、今度行う予定の実験計画について計算を行っていた。デスクのすぐ横には、神宮寺博士がブックスタンドで見開きになっている。
「実験手順の効率化はもう終わりました。新たに必要な機材やソフトウェアの購入申請ももうまとめてあります。申請が通るといいですね」
 真家はコーヒーを一口啜り、出来上がったデータの映ったディスプレイを博士の方に向ける。博士の白い紙面に液晶の明かりが当たり、さらに白く照る。
『実験計画法に基づく計算も、もう?』
「それは現在計算中です。実験の反復試行回数、局所管理化、作業手順の無作為化……」
 オブジェクトは何が原因で特異性が発動するか分からない。実験を行う際に出る偏りをなるべくなくすために、何度も試行を繰り返したり、余計な影響を取り除いたり、作業手順のランダム化を行う。そしてそれらを効率よく組み合わせた計画を立てるのが、統計学的手法に基づく実験計画法だ。
『真家君が統計学のスペシャリストで助かりましたよ。あなたがいるおかげでスムーズな実験計画が立てられますからね』
「基礎を大学で学んだだけで、もっと必要な実践的なことはこっちに来てから学びましたから。スペシャリストってほどじゃないですよ」
 本に軽く微笑みかけると、真家はパソコンの画面に向き合い、作業を再開した。
 
 
 


 
 
 
「実験終了……明日からはデータのまとめと解析だ」
 真家はさっき実験室の片づけを終えたところだった。明日からの仕事に必要な資料をひとまず簡単に整理する。オブジェクトのスキャンデータ、事前資料、実験ノートなどなど。実験は行っただけではただのデータの山だ。それらをきちんと整理し、解析することが研究において大切なことだ。本格的な解析は博士たちが行うので、真家はデータ整理などの雑務を担当している。雑務といっても、必要なときに必要な資料がきちんと出てくるのは重要だ。神宮寺博士たちがスムーズに研究を進められるよう、全力でそれをサポートする。それが研究員ではない、助手としての真家の使命だ。
 
 
 


 
 
 
『ちょっと外へ連れ出してくれますか?』
 真家がふと目をやると、神宮寺博士が紙面に文字を現していた。そういえばもうお昼休みだ。
「分かりました。博士も気分転換ですね」
 神宮寺博士に肉体的な栄養が必要なのか、それは分からない。だが博士としての精神が残っている以上、心の栄養、すなわち休息は必要なはずだ。
「実験の考察は順調ですか?」
 研究は現在、実験の考察段階に入っていた。研究員たちは皆、データや解析結果とにらめっこしたり、事前資料を読み返したりしている。博士がどれぐらい悩んでいるのかは外見からでは判別できないが、前のページを見返すと思考が右往左往している様子が文面から読み取れる。
『オブジェクト自身は見かけは単純なようでしたが、実験結果から予想外な解析が飛び出したので。このオブジェクトの性質を理解するの、思ったより一苦労ですよ』
 サイトのカフェテラスに到着する。空気のこもった研究室と異なり、人や空気の流れがあるので開放的だ。職員たちの心の洗濯の場であろう。
「だったら私みたいな下級職員と話すより、他の研究員さんたちと話し合ったほうがいいんじゃないでしょうか?」
『いえいえ、これでいいんですよ。同じ事を考えているもの同士でここに来ても、仕事のことばかり思い出してしまって気分転換になりませんからね』
「まあ、それでお役に立てるなら助手としては付き合いますけどね」
『ええ、いつもありがたいと思ってますよ』
 
 
 


 
 
 
 真家と神宮寺博士は財団の定期研究報告会に来ていた。サイト内ではこれまでの研究成果を報告する会合が定期的に開かれる。この報告次第で今後の予算が決まることもある。研究室にとっては重要なイベントだ。
「いよいよですね」
『ええ。考察も順調に進んで、こうして無事報告会で研究成果を発表するのに間に合いました。これというのも優秀な助手のおかげです』
「喜ぶのはプレゼンが終わるまでです。さあ、行きましょう」
 真家は発表会の壇上に向かう。会場には優秀な上級研究員や一般研究員たちが席を並べている。真家は恐れない。どんな台本よりも最高の上司が手元にいるからだ。
 
 
 


 
 
 
「ふう」
 真家はディスプレイから目を離し、伸びをする。ここは真家のデスク。時刻は夜。他の研究員は全員帰ってしまったため、神宮寺博士の研究室には他に誰もいない。真家はまた実験の事前準備の仕事をしていた。といってもこれは神宮寺研究室のものではない。手元にある書類の責任者署名欄には虎屋博士のサインが記されている。真家は普段は神宮寺博士の専属助手だが、設定された期間や必要とされたプロジェクトでは他の研究室の助手を行うこともある。神宮寺博士の研究が一段落したら、今度は別のプロジェクトに配属されたというわけだ。
 また、財団の仕事とは別に真家は抱えている課題がもう一つあった。論文だ。これは誰の研究の手伝いでもない、自分の手で綴るものだ。真家は現在は助手だが、研究員見習いでもある。財団に入団して以来、研究員として昇格するための訓練はある程度行っていた。だが、過去のとある失態のせいで、一度降格処分を受けたのだ。紆余曲折あって現在の地位に復帰したものの、これまでの成果は白紙。見習いとしては一からやり直しとなった。この論文は正規研究員に昇格するための課題、大学で言えば卒業論文や修士論文のようなものだろうか。比較的安全で、研究もある程度済んでいるオブジェクト群から論文を書く題材を選び、指定された期間以内に仕上げる、それが課題だった。ある程度の実験や調査のための機材、費用は財団が支給してくれる。指導教官も存在する。資料もある程度揃え、テーマもだいたい決まってはいるが、論文はまだ半分も書けていない。財団の業務と並行してというのもあるから、仕方ないのかもしれないが。研究者としてスキルアップすれば、財団と研究室へ、更には人類への貢献もできるというものだ。そのうち、真家博士なんて呼ばれる日が来るかもしれない。
 バタン、と隣の資料室で音がした。妙な妄想にふけっていた真家は我に帰り、ああまたか、と嘆息する。
「まったく、寝相が悪いんですから」
 ベッド代わりである本棚から落下したであろう論文の指導教官を拾い上げるために、真家はやれやれと微笑んで隣の資料室への扉を静かに開いた。

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