ここに神は見当たらない
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男は寒さと落下した感覚に包まれ意識を取り戻した。
拘束はされていないが全身に鈍く、それでいて熱い痛みが走る。
おそらく火傷をしているのだろう、あの状況を考えれば当然だ。墜落したのだな、とその青い瞳を閉じた。

薄れる意識の中で男は青い惑星ほしの夢を見た。

男が次に目を覚ました時、機械のような研究者達が自らを取り囲んでいた。
意識を取り戻したことに気が付いたそのうちの一人が、昆虫のような細い手で文字盤を示す。

「これを使って会話をしよう」

確かに焼け付いた喉では声は出ない。男は頷き、震える指で文字を示す。

"ここは何処だ、お前たちは誰だ"

「私たちは"財団"だ」

男はその名前を知っていた。自らの先を行くものとして、祖国の先を進む超国家的な組織として。……そしてもう一つ。

"知っている。なるほど、私も"収容対象"か?"

「貴方は収容され、同時に雇用される。この世界で唯一の存在として」

研究者たちはブリキの人形じみた動きで頷いた。失望も恐怖もなかった。
男にはあの時見た昏い空のようにただ、"そうなのだな"という感覚だけがあった。ただ一つ気になったのは。

"唯一? それは違う。私の後には多くの正常が続く、私の先に進んだ異常ならいざ知らず"

「とぼけないでくれ。貴方は偶発的にあの異常から外れた。気づいているはずだ」

研究者らの悲しげな表情に男は焼け付いた唇の端を僅かに曲げる。そうだとも、私だけだ。
世界が異常に浸された中、私だけが自らの瞳に正常を焼き付けてしまったのだ。男の青い目にはもはや異常が映らない。
それに理由などはないのだろう。ただ、そのとき、"私のみが宇宙そらにいた"。それだけなのだ。


研究者たちが姿を消し、男は瞳を彷徨わせた。

ああ、気づいている。知っているとも。ほかの誰も忘れたことを。
私が宇宙に飛び立った、その時見たあの美しい惑星ほしの色を。
誰も、誰も、誰も、私以外には知らないのだ。この孤独は何を以ても埋めることができない。

そしてきっとこの世界で私は死んでいるのだろう。
惨めで醜い色に囲まれて。この美しい惑星ほしの上で。

男は気づいた。そうか、私はただ一人、あの惑星ほしをこの瞳に焼き付けてしまったのか。
だからこそあの宇宙くらがりの先に落ちてゆくのか。
ただ一人、この惑星ほしの美しさを知るものとして。

たった一人、その瞳の中に青色を覚える者として。

男は焼け付いた喉から声を絞り出した。
これは私の言葉ではない。しかし、私の言葉となる。世界に一つの言葉となる。

 
「地球は、青かった
 

ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリンは瞳を閉じる。どこまでも続く昏い宇宙そらと青く美しい地球ほしの夢を見る。

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