過去に救いを求めんとするものども
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「なぁ、お前はいつが一番楽しかった?」





晩秋。落ち葉は軒並み袋に詰められ、袋は白く曇っている。空気は鋭さを帯びながら鼻腔に勢いよく突き刺さってくる。もう、冬と形容した方がしっくりくる。こんな日は外に出ることすら馬鹿らしい。家でパソコンでも弄くり回すのが最適だろう。

SNSで何処からともなく流れ着いた動画に、笑う。ゲームで珍プレーが飛び出し、仲間と一緒に馬鹿みたいに、笑う。陳腐な動画を見て、ありきたりな効果音とともに提供された面白さに便乗して、笑う。笑って、笑っていた。

時計が、流れた時間を突きつけてきた。休日の終わりはいつだって憂鬱だ。寝なければ明日に響く。知ってる。でも、頭は寝ることを許してくれない。目をつぶっても、暴走列車みたいに荒れ狂う。何時を逸らしても、考えるのは今日のこと。今日は一日中笑った。隣人からちょっと抗議が来たって素直に受け入れることが出来るかもしれない。でも、何度思い返しても、思い返せば思い返すほど、空虚が体に侵入してくるようだった。

あんなに笑ったのに、虚しさだけが残るのは何故だろう。

思い出が何一つないのは何故だろう。

休日の終わりはセンチメンタルになるものだと自分に言い聞かせはするものの、考えれば考えるほど足枷がはめられ、何処へも行けなくなる気がする。

するだけだ。




「いつって言われても。」

「いやいや、今ってことはないだろう?」

「そういうことではなくてですね。」

休憩時間。喫煙室では二人の男が視線も合わせずに紫煙を燻らせ、禅問答を繰り広げている。

「そういう先輩はどうなんですか?俺に詰め寄るだけ詰め寄って自分は何にも言わないなんてアレじゃないですか。」

「アレってなんだアレって。まぁ、俺は…小学生ごろかなぁ。」

「あー、なんとなくわかりますそれ。こう、全部がキラキラしてた頃ですね。」

「それもある。」

「それも、って他に何があるんです?」

「思い出、無えんだよ。それ以降。中学生の時も、高校も大学も。器用に立ち回って、他の奴とも衝突しないで、平穏に平穏に過ごしたんだ。中学高校と、田舎の学校に電車で通った。放課後、友達と遊ぶことなんてできやしない。」

わざとらしく、タバコを口にくわえたまま、大きく息を吸う。ゲホッゲホッ。

先輩は苦笑いしながら、ちょっと間を開けて続けた。

「友達はいた。学校で話す相手に困って黙りこくってたわけじゃない。笑ってた。バカみたいな話でな。でも、なんつうか、何も無えんだよな。」

天井を向き、大きく息を吐く。さっきえづいたのだから煙などもう吐き終わってる。でも、吐かずにはいられなかった。

「休憩時間、終りますよ。先輩。」

「いけねっ、ちゃっちゃと戻るぞ。」

感傷的になってる。それには気がついてる。社会人だし、表に出すわけにはいかない。でも、なんだか全身に見えない棘が刺さっているようで、動きがぎこちなくなっている気がする。

もう一度、大きく息を吸い、吐いた。




自分がいつ一番楽しかったか。無意識の内にどこか忘却の彼方へ葬り去ろうとしたが、忌々しき命題は心の奥底でヘドロのようにへばりつき、刻印のように深く刻み込まれた。ふとした時に顔を出そうとする喫煙室での会話。
あの時、自分は「楽しかった時期など無かった。」と答えるつもりでいた。

別に、全てがつまらなく全てに対して絶望していたわけではない。先輩と同じように、笑って過ごした記憶がある。しかし、思い出すと訪れる感情は後悔のみだった。





先輩が大口の取引を契約してきた。規模は過去最高クラスらしく、この後社長主催の慰労会を行うらしい。家に帰ってダラダラ過ごしたい欲を抑え、先輩の顔を立てるためにも二次会までしっかりと参加した。

「うえ…二日酔い確定だなこりゃ…地面が波打ってる…」

「いくら主役だからって飲まされすぎですよ。社会人なんですから体調管理は怠ったらダメですよ。」

「馬鹿野郎。俺が飲まなかったら社長たちはヘソ曲げちまうだろ?取引を円滑に進めるためにも飲まなきゃなんねんだよ。」

「なんでそこまでここの取引に注力するんですか。先輩が持ってた案件、これ以外全部引き継がせたらしいじゃないですか。」

「変なこと知ってやがるな、お前。」

「残念ながら有名な話ですよ。まぁ全部の案件の利益足してもこの取引には届かないのである意味正解かもしれませんけど。」

先輩は大きく腕を広げ、少し間を開けてわざとらしく言い放った。

「俺はな、ワクワクしてんだ。この取引は世界を変えるって確信が俺にはあるんだ。」

どこかふざけた口調が抜けて、しっかりとした声で返ってきた返答は、夢を語る少年のようなハリボテの壮大さがあった。





会社はいつもより浮き足立っている気がする。先輩が取引先の方と共に社長に直談判に来たのだ。内容は極秘。しかし、会談が終わったのちの社長は、誰も見ていなければスキップし出すのではないかと思うくらいには上機嫌だった。

….

数日後、取引先の方が社員の前で挨拶をした。

「こんにちは。佐倉と申します。御社とは快い取引をさせていただき、一度皆様にご挨拶申し上げようと思い、この場をお借りしました。今後とも、宜しくお願い致します。」

変な人だ、と思った。取引がうまくいったからといって全社員に対して挨拶をする必要はない。それに、見た感じでは40歳かそこらのような気がするが、あまりに落ち着きがなく、まるで新入社員のようですらあった。

「皆さま、夏鳥思想をご存知ですか?弊社はこの思想を社訓として、活動しています。誰かご存知の方は?いらっしゃいませんか。」

「夏鳥思想は懐古的な思想です。一番楽しかった時期を思い浮かべてください。いつでしょうか。中学?高校?いずれにせよ、今ではありません。」

「あの頃、未熟な自分は未来に希望を抱いていました。ひたむきに努力し、それなりの成果が出て、今を生き続ける。」

「何も悪いことではありません。努力に対して相応の結果が出て、それを享受し続けているのみですから。」

「人は不思議なもので、享受した恩恵というものは簡単に忘れてしまいます。」

「学生の頃与えられた、学べる権利。」
「幼き頃注がれた、多くの愛情。」
「新たな技術が拓かれたならば、未来に希望を馳せ、明日は何が齎されるか、期待しながら過ごした。」

「しかし、今はどうでしょうか。」

「毎日毎日、新聞では鬱屈なニュースが蔓延り、インターネット上では殺伐としたやりとりが行われ、上司からは大きな声で叱られて、部下にはため息をつかれる。至る所で自己肯定感を削ぎ、明日が来ることを呪う。」

「朝起きて、仕事に絶望し、昼休んで、午後があることに苛立ち、夜床に就いて、今日を振り返り何も変わらないことを嘆く。」

「疲れ切った目を閉じて、布団の中でこう思いませんか?」

『“私がいなくても、社会は変わらない。”』

「毎日毎日、努力している。為すべきことを漏らさずにやり遂げている。しかし、それが当たり前であり、誰も感謝しない。」

『“違う誰かになりたい。”』

「目は輝かしい未来を捉えているのに、体に毎日染み込む痛みは、容赦なく平凡な今日を刻む」

『“どこか、私を誰も知らない場所へ行きたい。”』

「いつのまにか、自分の可能性を忘れてしまう。」

「初志貫徹は、とても難しいことです。同じ希望はいとも容易く砕かれます。」

….

「私たちは、多くの技術を駆使し、過去を求めます。」

「懐古は、今を生き抜く中でつけられ、深く刻まれた傷を癒します。」

「あなたの最も輝いていた時期はいつですか?」

「もう一度、取り戻したくありませんか?」

「無邪気にはしゃぎ、仲間たちと腕を組み、努力しあったあの日々を!」

「希望に満ちた日々のために!」

「御社のお力をお貸しください。」

「ありがとうございました。」

まばらに思えた拍手が3秒続き、そのあとは少しずつ盛り上がり、消えた。

しかし、次の昼休みは思い出話であふれていた。窮屈な思いをしながら、一人、紫煙を燻らせる。

何が懐古だ。




それから、夏鳥思想を持つ会社が続々と大口の取引を持ちかけてきた。彼らがもたらす恩恵は莫大で、売り上げは既に前年度の倍近くになっていた。
社員は皆、夏鳥思想に酔わされ、踊らされているようだった。頻繁に飲み会は開かれ、話される思い出、思い出、思い出。今までは宴会の場では嫌われる話題であったことに疑問の余地はない。しかし、会社の上層部から新入社員まで各々の思い出を大いに語り、讃えあった。

今までなんかより遥かに会社の結束は高まっている。確実に。
しかし、自身と周囲に大きな隔たりがあるように感じていた。そして、結束が強くなるほど、会社が儲かり給料が上がるほど、自分だけが取り残されている気がした。






暦は依然として冬であることを認めない。木の葉を見ることはほとんど無くなり、全国各地で初雪が報じられた。街はどこか寂れ、雑踏は無い。歩く人は見渡す限り俺だけだ。しかし、道路には自動車がいつも通りに大手を振って闊歩している。もしかしたらあの自動車も機械が操作していて、人は乗っていないのでは無いかと一瞬考えるが、あまりの唐突さに乾いた笑いがこみ上げてくる。

出社への足取りは重い。






最近は仕事中にも思い出話が平然と行われるようになった。中学の失敗を繰り返し繰り返し話し続ける人。小学の誰にも知られることはなかった初恋をこっしょりと話す人。高校のいじめがいかに悲惨だったかを誇らしげにひけらかす人。
いつしか思い出話は信用を得る最短の手段となり、テッパンの話を多くの人が磨き続けた。

滑稽だった。孤独だった。話を聞いて何十回、何百回後悔したかわからない。小中高、大学、入社、どれもこれも「こなす」ばかりの生活を恨んだ。
夏休み、冬休み、宿題をした。
春休み、ゴールデンウィーク。復習をした。
土日、三連休。怠惰に過ごした。
思い出など、できるはずもなかった。





悩んでいることを見かねた先輩は、あの佐倉さんと俺が一対一で話す機会を設けてくれた。

初めのうちは、天気の話や、芸能人の話、美味しいお店の話。平凡に話は進んでいく。
今に対する意識の話、今の技術の話、希望の話。徐々に近づいていく。
今、何がしたいか。何を願うか。話が本質に近づいていく。

「今したいことですか。」

「ええ、そうです。目標をハッキリさせることは案外いいものですよ。」

「昔に関する願い、ならありますね。」

「なるほど…普通ならここで、“昔を見るなんて愚かだ。未来を見つめねば何がある?”と返すでしょう。しかし、私は夏鳥思想の人間です。可能ならば、出来るだけお手伝い致しましょう。」

「実はですね、思い出がないんですよ。」

「無い…とは?記憶喪失ですか?それなら───」

「ああ、いえそういうわけじゃ無いんです。なんと言いますか、その、怠惰な生活を送ってきまして。今まで苦労はしてきました。でも、心に引っかかる、特筆した何かが無いんです。だから、みんなが思い出話をしているのを見るとちょっと疎外感があって。」

「…なるほど。」

「だから、もう一回学生時代に戻ってアホみたいに苦労して、思い出ができたらいいなって、そう思ったんです。」

「いえいえ、もしかしたら思い出はひとつくらいあるかもしれませんよ?例えば修学旅行とか。なにかをワクワクして待ちわびた経験は?」

「あんまり…思いつきません。」

「そう、ですか。」

それから、当たり障りのない話をして、その場は終わった。

その日のうちに、社長室に呼び出され、クビが宣告された。

君はウチには必要ないってさ。

何度理由を聞いても、その一点張り。俺がなにをしたっていうんだ。いや、何もしなかったのか。






最後に手元に残ったのは、退職金にしては幾らか多い100万円と、うんざりするほどの時間。そして誰にも話すことはない思い出だった。

夜、一人で家に帰る。空には月が輝いていた。昨日と同じように。明日もそうだろう。

いつか、この日の月を思い出して懐かしむ日が来るだろう。しかし、この日をもう一度望むことはない。過去は過去なのだから。

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