SCP-1016-JP
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SCP-1016-JP外縁部の様子

アイテム番号: SCP-1016-JP

オブジェクトクラス: Euclid

特別収容プロトコル: SCP-1016-JPの周囲は、センサー付きの電流フェンスで封鎖されています。セキュリティクリアランス・レベル3/1016-JP以上の職員の指示がない限り、フェンス内部へは立ち入らないで下さい。

機動部隊タウ-4("王の狩人")が観測拠点1016-JPに常駐し、定期的な哨戒を行います。センサーの感知範囲に民間人が接近した場合、カバーストーリー「フランス陸軍の演習場」を説明して退去させて下さい。

SCP-1016-JP-1が外部に出ようとした場合、タウ-4隊員がフェンス越しに銃火器による制圧を行います。フェンスが突破される可能性がある場合、フランス国家警察所属エージェントの主導によりカバーストーリー「凶悪犯の潜伏」を展開して周辺住人を避難させ、以降は機動部隊司令部が対応します。

説明: SCP-1016-JPはフランス共和国 アルザス地方 ██████村に位置する総面積約██km2の森林地帯です。内部では常に通信障害が発生します。映像記録は激しいノイズでほぼ判別不能ですが、音声記録は問題なく送受信可能です。

SCP-1016-JP-1はSCP-1016-JP内に出現する自律型実体です。人間に対して敵対的であり、襲撃に遭ったDクラス職員は行方不明になっています。集団で行動し、包囲して退路を塞ぐ等の連携を見せることが確認されています。タウ-4偵察班による第2回調査では銃火器が有効であることが判明しており、銃弾が命中した個体が黒い気体を発して消滅する様子が確認されています。現時点ではSCP-1016-JP外に出ようとした事例はありません。

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唯一撮影に成功した、邸宅廃墟の画像

SCP-1016-JP内部には大規模な邸宅の廃墟が存在します(来歴は補遺参照)。タウ-4偵察班の報告によると、敷地面積は約350m2、2階建て、部屋数は約20部屋です。随所に赤い塗料で数字が書かれていますが、他の調度品に比べ塗料の状態が新しいことから、これらは後から書き加えられたものと考えられています。大まかな間取りは別紙1016-JP-mapを参照して下さい。

SCP-1016-JP-2は廃墟内で確認されている自律型実体です。人間に対して敵対的であり、遭遇したタウ-4偵察班は全員が行方不明になっています。アサルトライフルによる射撃を数十秒持続しても効果がなかったことから、通常火器による撃退は困難と判断されています。この結果を考慮し、廃墟の再調査は保留中です。現時点では廃墟外に出ようとした例はありません。

SCP-1016-JPの発見の切掛けとなったのは、ストラスブール大学の学生██████・████氏の行方不明事件でした。フランス国家警察が████氏のルームメイトから聴取を行ったところ、卒業論文の取材のためにSCP-1016-JPを訪れる予定であったことが判明しました。その後、原理不明の通信障害の存在が判明、SCP事案の可能性が浮上したため財団が調査を引き継ぎました。████氏の消息は現在も判明しておらず、フランス国家警察、および████氏の関係者にはB~Cクラス記憶処理、およびカバーストーリー「遭難事故死」が適応されました。

補遺: 以下はSCP-1016-JPに関連する可能性がある情報一覧です。より詳細な内容は別紙SCP-1016-JP関連情報調査報告書を参照して下さい。

⋙フランソワ・ボナールについて

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1915年に撮影されたボナール

SCP-1016-JP内に存在する廃墟は、19世紀末から20世紀中頃の画家フランソワ・ボナール(1882~1945?)が邸宅兼アトリエとして1925年に建てたものと判明しています。

ボナールはトロワでパン店を営む一家の生まれで、幼い頃から絵画に才能を発揮しました。14歳という異例の若さでエコール・デ・ボザール1に入学し、22歳の時には初期の代表作「ロムルスとレムス」がサロンに出品されています。在学中に師事したモロー2に影響を受け、当初は聖書やギリシャ神話に題材をとった伝統的な画風でした。

30歳頃から徐々に画風が変化し、荒々しいタッチや大胆な色彩を多用する独自の画風を確立しました。これら後期の作品群は当時の美術界の主流からは不評でしたが、ボナールには匿名のパトロンがおり経済的には恵まれていました。パトロンの正体については、美術商のヴォラール3であるという説もありますが、現在も結論は出ていません。第2回探査ログより、GoI-████"ヒューマニストの貴族たち"がボナールのパトロンであった可能性が浮上しました。両者の関係について、諜報局フランス支局と異常芸術部門が共同で調査中です。

58歳の時(1940年)、ボナールは突如全ての芸術活動を停止し、隠居生活に入りました。若いロクサーヌ夫人がドイツによるフランス侵攻に巻き込まれて死亡4したことが原因と言われています。1945年、██████村の村民が邸宅に食料や雑貨を届けに来たところ、ボナールは行方不明になっていました。警察の捜査でも行方は判明せず、子孫がいなかったため遺産は国家に接収されました。邸宅に残されていた作品群は、現在はオルセー美術館に所蔵されています。

⋙██████村の獣使い殺人事件について

1941~45年にかけて、██████村で5件の殺人事件が発生しています。遺体はいずれも大型の肉食動物に襲われたような状態でしたが、衣服を整える、胸で手を組み合わせる、周囲に花をばら撒くなどの人為的な痕跡が見られることから、警察は殺人事件と断定しています。殺害手段については調教した動物に被害者を襲わせたという説が有力視されていますが、犯人は現在も特定できていません。

⋙██████村を訪れた団体について

201█/██/█、██████村に不審な団体が訪れています。総数は20名前後、性別や年齢は様々ながら、全員が猟銃や狩猟用ツィード服を身に付けていました。SCP-1016-JPに続く林道に向かうところを村住人が目撃していますが、その後は一切の目撃情報はありません。諜報局フランス支局が警察へ定期的に照会を行なっていますが、家族から捜索願が出された形跡もありません。村民とはほとんど会話を交わしませんでしたが、レストラン経営者の女性が来訪目的を訪ねたところ「森へ兄弟を迎えに来た」と答えたことが確認されています。

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