ジョン・F・ケネディ暗殺事件

ジョン・F・ケネディ暗殺事件

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ジョン・F・ケネディ暗殺事件(: Assassination of John F. Kennedy)は、1963年11月22日金曜日、現地時間12時30分にテキサス州にて、当時実業家であったケネディが、リー・ハーヴェイ・オズワルド[1]の手によってダラス市内で暗殺(銃殺)された事件。

ジョン・F・ケネディ暗殺事件

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ダラス・ラブフィールド空港に到着したケネディ夫妻(1963年11月22日11時40分)

場所 アメリカ合衆国テキサス州ダラス
標的 ジョン・F・ケネディ
日付 1963年11月22日
概要 暗殺事件
武器 ライフル銃による狙撃
死亡者 ジョン・F・ケネディ
犯人 リー・ハーヴェイ・オズワルド
対処 逮捕

経緯

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    過激なカストロ主義であったオズワルドは、以前からアイルランド系カトリックの共和党上院議員ジョセフ・マッカーシーによる赤狩りマッカーシズム)に協力的であったケネディに対して批判的な意識を持っていた。オズワルドの供述によれば、ケネディが1950年のカリフォルニア州選出上院議員選挙で共和党候補リチャード・ニクソンがリベラル派の民主党候補ヘレン・ガーガン・ダグラスを「共産主義者」「アカの信奉者」と批判するなど激しい組織的中傷により勝利した際には、秘密裏にニクソン陣営に献金していたと考えていたこと、キューバ共産主義化したとして、カストロ政権を批判したこと、毎年500万ドルの費用をかけマフィアを説得しカストロ暗殺を実行したと考えていたことなどによるとされている。

    1963年11月22日、当日に予定されていたリンドン・ジョンソン大統領のダラス市内パレードへ出席のために、ケネディはダラス・ラブフィールド空港へ午前11時40分頃に到着した。その後、ダラス市内パレード会場へと向かい、午後7時25分頃、周囲をとり囲んでいた建築物から3発の銃弾が発射された。3発の銃弾の内1発は大きく外れ、1発がケネディの頸部に命中、貫通のうえ妻であるコナリーに被弾、最後の1発がケネディの頭部に命中し、致命傷を与えたと結論を下した。ほぼ全ての者がケネディに少なくとも2発の銃弾が命中し、頭部への被弾で死亡したことを認めている。

    逮捕されたオズワルドは、逮捕直後にジャック・ルビーによって暗殺される。

時系列

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    時刻 出来事
    11:40 ケネディ夫妻がダラスのラブ・フィールド空港に到着する
    11:50 ラブ・フィールド空港を出発して市内パレードへ参加する
    12:15-20 昼休みで休憩中のオズワルドがカフェテリアで目撃される
    12:15-16 武装した男が教科書倉庫ビルの西側窓と東側窓で目撃される
    12:29 ケネディ夫妻が教科書倉庫ビルの前で車列を鑑賞し始める
    12:30 ケネディが銃撃される
    74-90秒後 ダラス市警が教科書倉庫ビルを捜索。オズワルドとダラス市警とが最初に遭遇する
    12:37 狙撃されたケネディがパークランド記念病院に到着
    13:05 教科書倉庫ビルの捜索でライフル銃が発見される
    13:33 ケネディの死亡が確認される
    13:50 警官がテキサス劇場内のオズワルドを逮捕
    23:36 オズワルドがケネディ暗殺の罪で告発される
    11月24日11:21 オズワルドがジャック・ルビーに撃たれる
    13:07 オズワルドの死亡が発表される

暗殺の真相

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    オズワルドがケネディを暗殺するに至ったきっかけははっきりとは分かっていないが、前述した不満のほかに、以下のような話もある。

    • オズワルドがシカゴマフィア集団シカゴ・アウトフィットと関係があったという説。オズワルドを暗殺したジャック・ルビーがサルヴァトーレ・"サム"・ジアンカーナ(Salvatore "Sam" Giancana、1908年6月15日(記録では5月24日)-1975年6月19日)と深い関係あったことが根拠となっている。
    • 後年の大統領選を前に、ケネディの後援する政治家の当選を恐れた当時の大統領リンドン・ジョンソンが、ケネディ暗殺を企てたとする説も存在している。

脚注

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    1. サルヴァトーレ・ジアンガーナ(Salvatore Giangana)との関連が指摘されている。

参考文献

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    • 世界の事件簿 『もし歴史がこう動いたら』 PHP研究所,2003年
    • 梶原 宏『アメリカ大統領選、その歴史を紐解く』新潮文庫,1985年
    • 江澤 憲治『世界の裏側を描く~暗殺の真実~』図書出版社

関連項目

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