SCP-2205
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右から左に:デレク・██████軍曹、███████・ラミレス兵卒、ドワイト・パターソン氏。最初のブリーフィング中に撮影

アイテム番号: SCP-2205

オブジェクトクラス: Euclid Neutralized

特別収容プロトコル: 2005年6月6日現在、SCP-2205が有する性質の監視を担う財団職員は、以前記述されていた異常性質に合致する特異活動全ての停止を確認しています。

元・上等兵(PFC1)であるドワイト・モンゴメリ=パターソン氏の現存する記録の見直しが、3年に1度、財団操作の歴史学専門家チームによって行われます。パターソン氏の軍歴に更なる変化が見られた場合、それはEuclidとしてのSCP-2205再分類および監視活動再開の根拠となります。

以前の収容プロトコル: SCP-2205の封じ込めは、2組の機動部隊間で分割されています。

特殊部隊オメガ-34-01(“内勤”)は、第二次世界大戦に関連する主要な出来事の記念日における、ドワイト・モンゴメリ=パターソン氏の軍歴に関わる適切な文書あるいは画像を分析する任務を帯びています。また、現在進行中のタイムラインからのドワイト・モンゴメリ=パターソン氏の消失と、パターソン氏の軍隊における記録の顕著な改変の間の繋がりを確立するため、特殊部隊オメガ-34-02(“偵察部隊”)とも協力します。これらの監視活動によって得られた詳細情報は、SCP-2205のデータベースファイルで詳述されます。

説明: SCP-2205は、過去および現在進行中の現実を大幅に改変する能力を有する、異なる2名の同一人物が関与している異常現象の定義された名称です。

ドワイト・パターソン兵卒、24歳、アメリカ合衆国陸軍ライフル銃兵(1920-1944)は、SCP-2205の最初の個体であり、第二次世界大戦終了間際に参戦した人々の中に存在していたと思われます。このパターソン氏は、連合軍の兵士として登録された15ヶ月後の1944年6月6日に、”ネプチューン作戦”と命名された連合軍のノルマンディー上陸作戦においてMG42の弾丸を胸部に受け死亡しました。パターソン兵卒の遺族としては、アマンダ・モンゴメリ女史(1917-1998)との3年間の結婚生活を1943年の入隊によって終える前に儲けた娘1人がいました。

ドワイト・モンゴメリ=パターソン氏、85歳、退職したセールスマン(1920-2005)は、SCP-2205の二番目の個体であり、2005年までは合衆国市民として存在していたと思われます。このパターソン氏は、1944年に”ネプチューン作戦”と命名された連合軍のノルマンディー上陸作戦において様々な英雄的行動を取った事から、合衆国陸軍を名誉除隊しています。また、このパターソン氏は、2005年6月6日に大動脈瘤で死亡しました。パターソン氏の遺族としては、アマンダ・モンゴメリ女史(1917-1998)との58年間の結婚生活を1998年の彼女の死によって終える前に儲けた娘3人と息子2人がいました。

補遺2205-A: モンゴメリ=パターソン氏の自宅からの突然の消失、および結果としての死に続いて行われた財団の更なる調査は、彼に関する現代の記録から、第二次世界大戦の歴史的データが大々的に損失していることを確認しました。モンゴメリ=パターソン氏の名誉除隊に関する公式記録は、その他の正式に登録された文書2と同様に、欠落データとして登録されていました。本稿執筆現在、モンゴメリ=パターソン氏の遺体の所在は不明と看做されています。

補遺2205-B: 以下のメモは、心停止および結果としての死の後に、モンゴメリ=パターソン氏のベッドサイドで発見されました。

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やっとお前のそばで休む時が来たようだ。お前はきっと腕を広げて笑顔で待っていてくれるんだろう。違うか? そうに決まってるさ。

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