アイテム番号: SCP-2488
オブジェクトクラス: Neutralized Safe
特別収容プロトコル: 回収されたSCP-2488-1実例は全てサイト-23の冷蔵収容ユニット23-4に格納します。SCP-2488実例を所持している人物、またはSCP-2488の知識を有している人物にはケースバイケースで記憶処理を施します。
説明: SCP-2488は、1933年4月21日から1939年まで発生していた一連の異常な現象を指します。この時期、セーフティハーバー牛乳瓶配達サービスなる存在が、フロリダ州セーフティハーバーで活動を行っていました。この存在の活動パラメータは、空の牛乳瓶を回収し、“セーフティハーバー牛乳”ブランドのラベルが貼られた牛乳瓶(以下SCP-2488-1)を満たされた状態で配達することにありました。
配達の時刻に配達人や車両が目撃されたことは無く、SCP-2488-1は人間の観察者が事象を監視できなかった場所に出現しました。1933年4月21日、完全に満たされた牛乳瓶がセーフティハーバー市内にある全ての居住済み住宅の戸口に出現しました。セーフティハーバーには、1930年代の経済的苦境のため、これ以前には牛乳配達のサービスがありませんでした。セーフティハーバーの住民たちはSCP-2488事象の最初の発生に対して不安を示したことが記録されています。しかし、時と共に、SCP-2488はセーフティハーバーの一部となりました。
SCP-2488事象は毎晩00:03に発生しました。この時間になると、セーフティハーバー・ミルクのラベルが張られた空の牛乳瓶は、配送された住宅の“戸口”“中庭”“玄関”と定義できる位置に置かれていれば全て消失しました。00:05、回収された瓶の代わりにSCP-2488-1実例が出現しました。
SCP-2488-1は、それを摂取した人物の肉体的能力を増強することが知られていました。これがセーフティハーバーに顕著な影響を及ぼすことはありませんでしたが、生産性の向上により、セーフティハーバーの経済的・社会的な地位をわずかに改善させる役目を担いました。
もし、生きているセーフティハーバーの市民がSCP-2488-1を摂取した場合、その人物はSCP-2488の影響を受ける対象となりました。死後、セーフティハーバーの市民は、体力およびスタミナの顕著な増大と、進行性ではあるが通常軽微なものに留まる認知力の退行を伴って、蘇生しました。蘇生者は主に肉体労働を引き受け、これによって生きている市民がより多様な職業の発展に従事できるようになりました。SCP-2488-1を摂取した人物は、その効果を苦痛なものとは報告しませんでした。SCP-2488に影響された人物の証言によると、最初に死体が復活した際はSCP-2488に対する幾つかの懸念が挙がったものの、殆どの人物は蘇生イベントを“恩恵”であると見做していました。
蘇生者の付加寿命は3~5週間であり、死後の肉体が完全に無傷だった場合のみ蘇生しました。第二の寿命の終わりに近づいた蘇生者は自らの墓を掘り、埋葬に似た形式的な儀式を行うことが知られていました。しかしながら、このイベントは通常の埋葬より陽気で明るいものだったと記録されています。蘇生者に対して初期の文書記録は驚きを表明しているものの、やがてセーフティハーバーの市民にとって当たり前の出来事となっていきました。
収容プロトコル 1933 TO 1939
SCP-2488が活動を停止するまで、少なくとも10名の財団職員がフロリダ州セーフティハーバーに潜入します。“セーフティハーバー牛乳配達サービス”への調査は、SCP-2488の収容を行う上で最優先と考えられています。しかしながら、SCP-2488の影響を考慮しつつセーフティハーバーの生活を正常化するため、“セカンドライフ労働提供サービス”も調査対象に設定される可能性があります。
セーフティハーバーの国勢調査情報は、収容中は財団職員が遠隔で提供します。セーフティハーバーへ入る、或いは接近しようとする人物は、州兵を装った財団職員が抑止します。収容中の公式カバーストーリーとしては、現地でアメリカ先住民との関係が緊迫しているというものを確立します。同様に、セーフティハーバーを去ろうとする人々も、周辺地域で先住民との小競り合いが発生しているというニュースで抑止します。
セーフティハーバー外の公共メディアがカバーストーリーへの興味を示した場合、財団職員は直ちにセーフティハーバーが注目されるのを抑制します。代わりに、興味は出来る限りフロリダ北部へと向けてください。
発見: SCP-2488はまず、フロリダ中西部でアンデッドが復活したと主張する地元の出版物によって注目されました。調査の後、問題の記事は第2版では隠蔽され、デマであると説明されました。セーフティハーバーを自ら調査しようとする人々の試みは阻止され、財団が調査を開始しました。
セーフティハーバーの市長であるジャクソン・バークへの最初の聞き込み調査により、この町では最近になって破壊行為が行われていたと判明しました。新しく設立された夜間外出禁止令への反抗的行動の結果、町にあるアメリカ先住民の埋葬塚が荒らされ、様々なゴミを投げ込まれていました。塚の表面と最初の10cmに溜まったゴミは全て除去されましたが、残りは調査中は手つかずのまま残されました。
文書2488 15-C
文書のソース: 市庁舎会議の要約、1933年半ば頃
会議の議事録は、彼らが今回初めてSCP-2488に関連した異常と直面したことを示している。会議中に数回、出席者がヒステリーを起こし、新たな復活者たちを隔離するよう市長に呼びかけた。しかしながら、ある出席者の小グループは、これは神によって齎された新たな機会だという意見を抱いていた。このグループは後にセーフティハーバー・クリスチャン・チャペルの会員たちと特定された。
セーフティハーバーの市民は、最近死亡した者を隔離し、隔離場所はもはや存在しないものとして扱うことで合意した。当時、問題の隔離場所は町の西端に近い、ごく普通の貯蔵倉庫として使われていた建物だった。復活者は第二の寿命を迎えるまでここに閉じ込められることが決定した。1ヶ月ごとに回転する清掃プロセスが確立された。
文書2488 17-C
文書のソース: セーフティハーバー・チャペル理事会の要約、1933年半ば頃
会議の議事録は、復活者に対する理事会のスタンスに幾つかの意見の相違があることを示している。宗教的含意についての話し合いは概ねメンバー間の異議や反論を招く結果となり、数名は復活者の幽閉に反対した。会議の終わりまでに、公式の判断は確立されなかった。
文書2488 23-C
文書のソース: 市庁舎会議の要約、1934年頃の初頭
SCP-2488事象の話題のみに終始している第三の文書化された会議。市民は最近の出来事についての議論の後、以前より復活者に対する反発心を減じているように思われる。転写によると、市民の一団(大部分は町の主な大家族のうち2家族から成る)が倉庫に侵入し、蘇生した親族を解放する事件があったらしい。殆どの復活者が建物を去った後、第二の寿命を迎えた者たちに適切な埋葬を行うための大規模な行列行進が行われた。
一部市民が復活者を再収容するために集結。この時点で財団職員が介入し、多くの者が先入観として抱いているのと異なり、復活者には生得的な暴力性や悪意は無いかもしれないと仄めかした。この夜、財団によって助長された合意が町の大部分の人々との間に交わされ、最初の“墓の宴”が催された。本来の意図は今後の対立を避けるために小さな町を一つに纏め上げることであったが、数名の復活者が寿命を迎え、宴の途中で自らを埋葬したことによって、“墓の宴”には新たな概念が見出されることになった。
文書2488 34-C
文書のソース: バーク市長の自己追悼演説の要約、1935年頃の後半
バーク市長が、どうやら自ら掘ったと思われる墓穴の上に据えた演台に立ち、SCP-2488出現事象の初めからの出来事を纏め上げた追悼演説を行っている(これはまた、後に“墓の宴”の一環として統合される、復活者が自身の墓を掘る伝統の始まりとなった)。この時点で、復活者の存在は既にセーフティハーバーにおける正常な出来事と見做され、市民が当初抱いていた不安は解消されている。恐怖と、最初の蘇生事象中に勃発した旧・市庁舎の破壊にも拘らず、セーフティハーバーは著しい成長を、とりわけ1934年の初頭に復活者と生者が等しく協力して行った新・市庁舎の建設によって示した、というのが要約の内容である。弔辞が終わった後、“墓の宴”は、体が弱っていくのを感じるとバーク市長が述べるまで継続。その後バーク市長は自ら墓へと下り、儀式的な埋葬の後、式典の参加者にデザートの第2コースが振る舞われた。
テイラー研究員のメモ: これらの文書はSCP-2488についての研究を開始した際に発見されたものです。セーフティハーバーの中心部近くで‘文化遺産復元中’のロープが張られている放棄されたオフィスが発見され、最初の調査対象として選ばれました。誰一人としてこの場所のことを以前に聞いた覚えがなく、町の地図にも載っていませんでした。市長が言うには、文化遺産系の文書ばかりが収納されているスペースであり、それらの損傷や遺失を恐れて誰も手を付けようとしなかったそうです。記憶処理に先立ち、彼が何か知っているかを確認するために、SCP-2488事象について少し尋ねました。市長は、それは町に伝わる古い伝承だということ以外、私たちに何も伝えることができませんでした。
調査記録12-A
調査日: 1994年3月11日~1994年3月13日
調査12-Aの対象: フロリダ州、セーフティハーバー、フィリップ・パーク
研究員: ロン・テイラー
調査ログ: とにかく、我々が当たるべき最初の場所は、歴史的・社会的価値を伴う所でした。無論、この町の“文化遺産”である場所を全て精査し、証拠となり得る文書は数多く発見されましたが、実質的な物証は何も見つかりませんでした。これは即ち、SCP-2488が手の込んだイタズラ者による規模の大きなデマでしかないとあからさまに示唆するものでした。
フィリップ・パークに入るまでは、そうだと思っていました。
優先順位リストの上位ではありませんでしたが、国立の歴史的観光名所である以上は調査の手を入れる必要がありました。初期測定・金属探知器・音波検出膜・放射線カウンターでは、古い硬貨と錆びた釘しか見つかりませんでした。残された唯一の場所が、古墳です。
恐らく、ずっと以前、そこには先住民であるトコバガ族が住んでいたのでしょう。核心へと至る道がようやく開けました。誰にも怪しまれないよう、塚の周囲に大テントを張り、周辺を立ち入り禁止にしました。我々が物事に干渉しないと地方政府に納得させた後、侵襲的な外来植物の除去というカバーストーリーを確立して塚の調査を開始しました。実際にそこで破壊的な根幹を見つけることになるとは思っていませんでしたがね。
トコバガ族と思われる1体の朽ちた遺骸と共に、我々は牛乳瓶を発見しました。
我々には、この一件の頭や尾を見つけることができていません。これに関する更なる調査が必要です。147人以上の人物が、我々がここで何か放射性物質を発見したと思い込んで研究の大半に干渉していますが、我々の方はもっと他にも収集できるものがあるかどうかを調べています。これまでの所、取るに足らない物しか見つかっていません。
トコバガ族の人々に関して少し調査を行いました。記録は、彼らが1528年頃にスペイン人によってこの地域を追われ、埋葬塚を残して去ったことを示しています。ここはかつて、先住民が様々な出来事を祝うための式典の場でした。回収された遺物によると、彼らは死を人生の終結ではなく、通過儀礼と見做していたようです。彼らは祖霊信仰を抱いていました ― 長老たちの死後、その霊は触れることのできない姿で、生者を支援し見守るために後に残るのだと。
生き残ったトコバガ族は、人々の間へと散っていきました。生存者たちが居住地域を移動してしまったため、彼らが何を為したかはさほど掴めていませんが、ある文書が見つかりました。町の端に近い小規模な文化遺産から、そこに先住民の遺物が保管されていたことを示唆する文書や日誌が発見されたのです。そこの住民が埋蔵塚の保存を重要視していただけでなく、塚荒らしの発生以降は、日常的に、朝早く塚を訪れていたことを示す兆候が数多くあります。住民が残した文書は1939年11月に突然途絶えています ― SCP-2488事象の大よその終了日と一致します。問題の人物について幾つか調査を開始しましたが、あまり多くのことは判明しそうにありません。
補遺2488-デルタ: 2001年9月29日、セーフティハーバーで新鮮なSCP-2488-1実例1本が発見されました。地元出版物が新たな文化遺産の発見を報じた後、実例は財団職員によって押収され、化学的実験が行われました。牛乳には何ら異常特性が見出されず、サイト-23の冷蔵収容ユニット23-4に保管されました。保存の試みにも拘らず、SCP-2488-1実例は回収から1週間後に腐敗・凝固しました。
SCP-2488の更なる調査が再開され、SCP-2488-1実例が隣接する都市でもランダムに現れ始めていることが判明しました。実験の結果、これらの実例は、セーフティハーバーの文書に記録された出来事と類似した特性を持っていることが示されました。サイト-23研究員の要望に応じて徹底的な研究が開始されました。
研究員: グラント・カヴァリアン
研究員のメモ: 研究は、最初の調査が行われた埋葬塚で開始され、様々な音声/映像記録機器で3週間の監視が行われた。この期間、財団職員以外は誰も塚には出入りしていない。従って、かつてのように先住民が訪れていたという説は信憑性が薄れる。3週間が過ぎた後、更なる調査を開始した。
異常が発見されるまで僅か数時間だった。SCP-2488-1には1994年の調査で予測されていなかった副作用があったのだ ― 或いは、それが現在の仮説だと言うべきかもしれない。我々は、電磁エネルギーの雲が埋葬塚の周囲を漂っているのを検出した。研究者たちは、そこから発せられる凝集したシグナルを、より翻訳可能な信号へと変換することができた。
彼らの意識はまだ全てここに残っている、というのが我々の現時点での仮説だ。先住民が抱いていた祖霊信仰とも、若干ではあるが、一致する。どれだけの意識がそこに留まっているのかは分からないので、国勢調査や埋葬記録をチェックしている ― 少数とはとても思えないがな。