アイテム番号: SCP-612-JP
オブジェクトクラス: Euclid Explained
特別収容プロトコル: 風雨による浸食や不慮の事故による損壊を防ぐため、SCP-612-JP群およびその周辺の土地は財団のフロント企業により買収し、倉庫に偽装した収容施設で覆い隠した上でカバーストーリー「傍迷惑な愉快犯」による情報擬装を実施します。各収容施設には特殊な設備は不要ですが、状態維持のため定期的に職員を派遣して換気や清掃を実施してください。
SCP-612-JPに関する情報を持つ人物が確認された場合、機動部隊す-3("タケミカヅチ")を派遣して身柄を確保してください。
19██/3/19: オブジェクトクラス改定により特別収容プロトコルの見直しが検討されています。機動部隊す-3("タケミカヅチ")は解体されているため、何らかの問題が発生した場合には財団のエージェントを都度派遣します。
説明: SCP-612-JPは1949年2月19日9時39分26秒に発生したとされる岐阜県██市を震源とするマグニチュード-9クラスの大地震です。震源地である岐阜県██市及びその周辺にSCP-612-JPに関する複数の石碑や木碑等の遺構(SCP-612-JP群と呼称)が存在しますが、SCP-612-JPそのものに関する記録や報道、文献は存在せず、またSCP-612-JPに関する記憶を持つ人物も現在に至るまで確認されていません。
なお、仮にSCP-612-JPが存在した場合には岐阜県██市及び周辺地域の人口統計はより劇的に推移することが予測されています。現在までの調査と分析の結果、SCP-612-JPは通常の地震のみならず何らかの認識災害や現実改変を伴う事象であったと推測されています。
SCP-612-JP群は現在まで23個が確認されており、それぞれSCP-612-JP-1~SCP-612-JP-23として収容されています。SCP-612-JP群の概要は以下の通りであり、詳細については別添資料を参照してください。
収容オブジェクト | 形状 | 概要 |
SCP-612-JP-1 | 木碑 | 「1949年2月19日9時39分26秒 岐阜大震災 犠牲者追悼」と書かれている |
SCP-612-JP-2 | 石碑 | 「岐阜大震災 落命者█████名 追悼の碑」と刻まれている |
SCP-612-JP-3 | 石碑 | 「1949年2月19日9時39分26秒発生の大震災により命を落とされた方のご冥福をお祈りします」と刻まれている |
SCP-612-JP-4 | 石碑 | 「1949年2月19日岐阜県大地震を忘れないで」 と刻まれている |
SCP-612-JP-5 | 木碑 | 「岐阜大震災 消防隊供養」と書かれている |
SCP-612-JP-6 | 石碑 | 「岐阜大震災 山津波 犠牲者追悼」と刻まれている |
SCP-612-JP-7 | 石碑 | 「1949年2月19日 岐阜大震災 震度█ 合掌」と刻まれている |
SCP-612-JP-8 | 木碑 | 「岐阜大震災 山津波 犠牲者追悼」と書かれている |
SCP-612-JP-9 | 木碑 | 「山本██ 岐阜大震災の余震による崖崩れで落命 冥福を祈る」と書かれている |
SCP-612-JP-10 | 大岩 | 「ギフダイシンサイノ ヨシンニ ヨル ラクセキ [解読不能] ツウコウフカ」と刻まれている |
SCP-612-JP-11 | 木碑 | 「キケン ガケクズレアリ ギフダイシンサイノ ヨシンニ チュウイ 1949ネン2ガツ[解読不能]」と書かれている |
SCP-612-JP-12 | 看板 | 「この先岐阜大震災による崖崩れあり 立入禁止 ███警察署」と書かれている |
SCP-612-JP-13 | 石碑 | 「岐阜大震災 救助隊犠牲者供養」と刻まれている |
SCP-612-JP-14 | 石碑 | 「1949年2月21日 岐阜大震災最大余震 犠牲者追悼」と刻まれている |
SCP-612-JP-15 | 廃屋 | 1949年2月19日を指し示す日めくりカレンダーと9時40分で止まった壁掛け時計 |
SCP-612-JP-16 | 木碑 | 「1949年2月24日 岐阜大震災の余震による崩落箇所」と書かれている |
SCP-612-JP-17 | 木碑 | 「████小学校 生徒███名 岐阜大震災によりここに眠る 1949年2月19日」と書かれている |
SCP-612-JP-18 | 木碑 | 「1949年10月30日 岐阜大震災███避難所閉鎖 いままでありがとう」と書かれている |
SCP-612-JP-19 | 木碑 | 「1949年2月19日岐阜大震災 震度█ 観測地点」と書かれている |
SCP-612-JP-20 | 寺社 | 壁に「1949年2月21日 岐阜大震災により焼失 1952年3月4日 再建」と刻まれている |
SCP-612-JP-21 | 石碑 | 「19[解読不能]月19日 岐[解読不能]震災[解読不能]」と刻まれている |
SCP-612-JP-22 | 木碑 | 「岐阜大震災 七回忌祈念 1956年2月18日」と書かれている |
SCP-612-JP-23 | 樹木 | 「岐阜大震災 三回忌 追悼植樹」と書かれた看板あり |
198█/2/19早朝より岐阜県██市内の警察署及び複数の交番に「奇妙な石碑(あるいは木碑)が建てられている」という通報や相談が相次ぎ、財団の監視網に検知されました。警察に潜伏中の財団エージェントが調査をしたところ通報のあった23箇所で由来不明の遺構が存在しており、未知の現実改変オブジェクトの影響が懸念されたためSCP-612-JP及びSCP-612-JP群としての収容が決定されました。SCP-612-JP群が存在する地域の住民への聞き込みでは「こんなものがあるとは気付かなかった」「いつからあるか分からない」「そのような地震には覚えが無い」といった証言が共通して得られています。
SCP-612-JP-9の人名に関する調査では当時の戸籍から該当する人物が3██名確認されていますが、岐阜県で死亡したとされる人物は存在せず、これ以上の調査は行なわれていません。また、年代測定として財団が保有する標準年輪曲線と木碑頂上の断面部との一致パターンの検索を実施していますが、使用された木材の由来が不明ということもあり現在まで目立った成果は得られていません。
199█/2/19: SCP-612-JP群周辺で不審な行動を取る人物が目撃されたため、機動部隊す-3("タケミカヅチ")を派遣して身柄を確保しました。警官に擬装したエージェント・長谷川が尋問したところ、この人物はSCP-612-JP群が自身による創作だったと証言しました。財団エージェントによる家宅捜索ではSCP-612-JP群の製作に使用されたと思われる大工道具や彫刻刀、複数の角材や岩石等が押収されていますが、特異性を発揮する物品はありませんでした。
199█/3/19: 調査と分析の結果、SCP-612-JP群は岐阜県██市在住の無職 [データ削除]氏によるイタズラであると断定されました。小林博士よりSCP-612-JPの存在否定とオブジェクトクラスExplainedへの変更が申請され、即日承認されています。これに伴い機動部隊す-3("タケミカヅチ")は解体され、同時に特別収容プロトコルの変更が検討されています。
200█/██/██: 地質調査によって岐阜県██市の地下に未知の断層が発見されました。周辺地域の地質調査結果は、この断層を震源とするマグニチュード-9クラスの地震が過去100年以内に発生していたことを示しています。
SCP-612-JPとの関連性について、小林博士を中心とするチームにより現在も慎重に調査が進められています。