アイテム番号: SCP-875-JP
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: レストラン「薬叉」跡地の土地及び店舗の権利は財団が保有しています。カバーストーリー"テナント交渉中"を適用し一般人の進入を阻止してください。「薬叉」の地下を通る水脈の変化が確認された場合、機動部隊ろ-5("陰陽師")が「薬叉」内部の四隅の釈迦が彫刻された柱に対し再封印を施します。
説明: SCP-875-JPは、京都市██区のレストラン「薬叉」で発生する短期記憶影響現象です。SCP-875-JPは以下のような手順で発生します。
- 客が店員にメニューAを注文する。
- 店員は注文を理解し、キッチンに伝えようとするが、その直前に注文内容を忘却する。
- 店員が客に注文の再確認を行う。その際、店員は「メニューBとメニューCどちらを注文したか」という旨の質問を行う。
- 客は多少の困惑を見せるが、メニューBもしくはメニューCを改めて注文する。
- 注文が正常に伝えられ、客が再注文した料理が提供される。
メニューAは、同店舗で限定メニューとして提供されている肉料理が該当し(以下、対象メニュー)、メニューB、メニューCは対象メニューを除いた全提供料理から無作為に決定されます。メニューB、メニューCについて規則性は発見できていませんが、対象メニューが選ばれる事例はありません。
SCP-875-JP対象メニューの1つのチーズ入り豚とラム肉のハンバーグ。
全く対処を行わない場合、客が対象メニューを注文した際にSCP-875-JPが発生する確率は99.█%です。注文を受ける店員によるSCP-875-JP発生確率の有意差はみられません。
SCP-875-JP発生時の記憶について、多くの場合店員は何者からか視線を向けられている感覚を覚えたと報告します。客には非常に曖昧な記憶しか残らず、SCP-875-JPの発生がクレームに繋がる事例は現在まで確認できていません。SCP-875-JPの発生を認識するためには第三者による観測が必要となります。
補遺1: 以下は、エージェント・斑鳩によるSCP-875-JPの初期調査に関する録音記録の抜粋です。エージェント・斑鳩はSCP-875-JPが発生せず対象メニューが注文された状態を確認していました。
調査記録875-JP-1- 日付2013/08/03
潜入職員: エージェント・斑鳩(薬叉の客として訪問)
対話相手: 加藤葵(薬叉の店長)
<抜粋開始>
[Agt.斑鳩は店員に運ばれてきた対象メニューのチーズ入り豚とラム肉のハンバーグを食べている]
加藤氏: 店長の加藤です。当店の限定メニューはお気に召して頂けたでしょうか。
Agt.斑鳩: あ、これはどうも。こんな美味しい料理初めて食べましたよ。
加藤氏: それは良かった。どの辺りを気に入って頂けたか教えて頂けないでしょうか。
Agt.斑鳩: 独特の癖のある味だなと思ったんですけど、その癖がチーズと上手く噛み合って絶品って感じです。
加藤氏: 本当ですか、そこはかなり工夫した部分なんですよ。
Agt.斑鳩: あの、もしかしてこのメニューで何か気になっている事でもあるんですか?
加藤氏: うーん、実はですね、このメニューは頼む人が全然いなくて売れ残る事が多いんです。
Agt.斑鳩: お店がこれだけ盛況しているのに不思議ですね。
加藤氏: そうなんですよ。お店の特集を組んでもらった時はお店の売りなんですって宣伝してるんですけどね。
Agt.斑鳩: 何か心当たりはありますか?
加藤氏: それがさっぱりなんです。お客様に感想を伺うと美味しいと言う感想しか返ってこないですし。
Agt.斑鳩: もしかして、どこかで悪評を流されていませんか?誰かの恨みを買っているとか。
加藤氏: 悪評ですか。他店からの嫌がらせとかあり得ない訳ではないと思うんですけど、どうやって調べたらいいんでしょう。
Agt.斑鳩: 私の知り合いでその手の調査のエキスパート、探偵のような仕事をしている人がいるのですが、もし良ければ紹介しましょうか?
加藤氏: 本当ですか、ありがたいです。
<抜粋終了>
調査記録875-JP-1の後に財団職員が探偵と称して加藤氏と接触し、SCP-875-JPに関する聞き取りを行いました。加藤氏はSCP-875-JPの現象を認識していなかったため、他店からの妨害工作が行われたと虚偽の情報を報告しました。また、エージェント・斑鳩が対象メニューの一部を持ち帰り成分調査を行った所、料理に使用されていた肉はヒト由来のものと判明しました。調査を進めた所、人肉の入手経路に異常存在は関わっていないものの、「薬叉」のオーナーが要注意人物として登録されているPoI-5835-JPと判明しました。PoI-5835-JPは要注意団体"石榴倶楽部"の構成員の一人で、身の保証のために財団と内通している人物です。以上の理由から通例に従いカバーストーリー「集団食中毒」を流布し、同店舗を閉鎖した上で異常性に関する更なる調査が行われました。
PoI-5835-JPはSCP-875-JPの収容及び調査に対して極めて協力的な態度を取っています。本事案の動機については「加藤氏を止めるため所持していたアノマリーを改変し薬叉の建築材料として利用した」との証言が得られました。異常性を持つ鬼子母神像は加藤氏の母親が2█年前に失踪した際に、当時加藤氏の母親と親しい関係にあったPoI-5835-JPが荷物整理を行い引き取ったものです。PoI-5835-JPの独自調査によると改変前のオブジェクトの性質は、人肉を所持した人物が鬼子母神像を目視すると鬼子母神像から強い敵意を向けられたと認識するようになり、半径10m以内に入ると昏倒し脳に急性かつ重篤な炎症が発生し死に至るというものです。
PoI-5835-JPは鬼子母神像を4分割して「薬叉」の四隅の釈迦が彫刻された柱内部に入れた後に、京都市██区の地脈を利用した呪術的封印を施しアノマリーの性質を大幅に弱化させ、SCP-875-JPで観測された現象に改変したと述べています。SCP-875-JPは改変前の性質と異なり、脳の炎症など人体に被害を与える現象は確認されていません。
財団はPoI-5835-JPから「薬叉」及び土地の権利を買収し、SCP-875-JPの管理及び調査を続けています。本件でPoI-5835-JPの収容が検討されましたが、SCP-875-JPの収容体制がPoI-5835-JPの協力により早期に確立した事と、これまでの財団に対する情報提供の功績から記憶処理の後に解放される事が決まりました。PoI-5835-JPはクラスA記憶処理剤により、鬼子母神像の性質及び取得経緯、SCP-875-JPの作成及び現象に関する記憶を消去しました。
加藤氏に対しては取り調べを行い石榴倶楽部やPoI-5835-JPと関わった経緯などを確認しましたが、アノマリーと直接関わりが無い事が判明したため、解放後に経過の観察が行われています。以下が加藤氏から得られた証言です。
私には父がおらず、母は一人で産んで育てようとしたそうです。母は有名な料理人でしたが物心つく前に失踪してしまい、私は養護施設に入る事になりました。施設自体には良い思い出がありませんが、資産家の佐川と言う方が施設に寄付するようになった辺りから急に環境が良くなりました。佐川さんの事は顔も見た事がありませんでしたが、感謝の手紙を送ると丁寧な返事が返ってきました。佐川さんは私にとって唯一信頼出来る大人だったので、その後も事ある度に手紙を送って相談に乗ってもらいました。
ある時、施設でレジャー中に仕出し弁当が出ました。重箱に入った見た目も美しいお弁当です。中身はハンバーグなど私が好きだった肉料理がメインでした。一つ口にするとその芳醇な味わいに魅了され、あっという間に食べ終わってしまいました。モノクロだった人生に初めて彩りが生まれたような感覚を覚えました。私の料理人としてのルーツはあの料理です。
仕出し弁当は何だったのか教えてもらおうとしましたが、誰かからの差し入れと言う事しか分かりませんでした。分かる事と言えば箸袋に黒い櫛のようなマークが付いていた事くらいです。大人になってからそれを頼りに探してみましたが見つかりませんでした。
佐川さんに将来料理人になりたいと相談すると、佐川さんは料理人になりたいなら必要な費用を肩代わりしようと言ってくださいました。実は佐川さんは失踪前の私の母を知っており、「君もきっと一流の料理人になるはずだ」と励まして頂きました。佐川さんのコネも利用させてもらい、日本で勉強した後に海外へ修行の旅に出ました。
この後はテレビや雑誌で散々取り上げて頂いていたのでそちらを確認された方が確実ではないかと思います。賞を何個も取り、天才料理人と持て囃されたりもしていました。ですが、料理人として成功してからもあの仕出し弁当の手掛かりは掴めていませんでした。世界中どこを探しても似たような味わいの食材は見つかりませんでした。
ある時、私が料理長を務めていたレストランに日本人の男性がやってきて、日本で料理を作って貰えないかと依頼してきました。最初は断ろうと思いましたが、彼の背広には例の仕出し弁当の箸袋に付いていたものと同じマークのバッジが付いていました。彼は『石榴倶楽部』の『手塚』と名乗りました。
初めての手がかりだったので、私はすぐにレストランを辞め手塚さんに付いていきました。日本に行くと手塚さんの自宅に招かれ、石榴倶楽部で用意した珍しい肉の調理をお願いされました。それはあの仕出し弁当の肉の味でした。私はその肉の研究に没頭しました。
当時の味の再現はそこまで難しい物ではありませんでした。確かに美味しいとは思いましたが、料理とは味だけで決まる物ではありません。不自由無い暮らしを手に入れ料理人生活で舌も肥えた私には、あの頃のような感動を味わう事は出来ませんでした。
私は目的を失いました。復職し元の生活に戻ろうかと考えていた頃、手塚さんから石榴倶楽部の会食の料理人を担当して欲しいと頼まれました。研究の成果を見せるとメンバーの皆さんは大変感動して下さいました。その時ふと思ったのです。あれは昔の私の姿ではないかと。自分が感動出来ないなら代わりに他の人にあの時の、それ以上の感動を味わって欲しくなりました。石榴倶楽部で会食を開く内に、美食家の方ではなく昔の私のような一般人の感想が聞きたいと思うようになりました。
佐川さんに相談した所、自分がやりたいなら挑戦しなさいと勧められました。意を決して手塚さんに相談すると、流通量の少ない肉ですがどうしてもと言うのなら協力しましょうと言って頂けました。私としては定住するつもりが無かったので程々の規模の店を探していたのですが、手塚さんは私のために京都の超一等地に店を作ってくださいました。お店の名前は『薬叉』と言う名前で、手塚さんがオーナーとなりました。京都は特殊な土地柄でして、土地もお金を積めば手に入ると言う物ではありません。あの立地を手に入れるために手塚さんはかなり苦労されたはずです。あの場所で駄目なら他の何処でやっても失敗していたでしょう。
出来たお店は連日大行列でしたが、不思議と感想が欲しかった限定メニューだけは売れませんでした。限定メニューを食べて頂いたお客様に尋ねても美味しいと言う感想しか返ってきませんでした。連日店に残ってメニューの改良を続けても売れ行きは悪いままでした。そんな生活が続いていたある日、お店で例の集団食中毒が発生しました。食の安全には気を使っていたつもりでしたが、いつの間にか管理が甘くなっていたようです。夢を追いかけている内に足元が見えなくなっていたのでしょう。ここを出たらまずは被害者の方に対して謝罪をしに行きたいと思います。私を信じてお店を任せて下さった手塚さんに対しても本当に申し訳ない事をしてしまいました。
補遺2: 加藤氏を解放してから2週間後、加藤氏がPoI-5835-JPの自宅へと住居を移しました。財団職員が加藤氏と接触し、PoI-5835-JPとの関係性について得た証言を以下に示します。
薬叉で起こった集団食中毒の後、私は留置場に入り何度も取り調べを受けました。解放された後にお店の様子を見に行くとすでにお店の看板が撤去されており、テナント交渉中と言う旗が立っているのが見えました。まさかすでに潰れているとは思っていませんでした。中を見に行こうとすると警備員の方に強く怒られてしまい、お店と土地の権利者が他の人の手に渡っていた事を知りました。店長として情けなかったです。手塚さんの自宅に伺うと手塚さんは不在で、さらに警察の取り調べを受けていた事まで分かりました。料理人としてのプライドは折れてしまい、責任の重さに潰れてしまいそうでした。一人でいる事に耐えられず、佐川と言う方にもう料理人を続ける自信が無いと手紙を送りました。
佐川さんに手紙が届いた頃でしょうか、手塚さんが息を切らして私の家に尋ねてきました。取り調べを受けた後らしく、手塚さんの体調はかなり悪そうでしたが無理をして来られたようです。私が謝ろうとすると手塚さんはそれを止め、「君は至高の料理人だ、決して辞めるなど言わないでくれ」と言いました。私が混乱していると、手塚さんは今まで私に隠していた事を明かしてくれました。驚いた事に佐川さんが石榴倶楽部で襲名した名前が「手塚」らしく、私の知る2人は元から同一人物でした。
私の母は2█年ほど前に石榴倶楽部の会員となり佐川さんとも仲良くしていたそうです。母は私を産んでから人肉食に抵抗を感じるようになり、石榴倶楽部と縁を切ったそうです。佐川さんは母が失踪した事をしばらく知らなかったようですが、擁護施設で暮らす私を探し出し支えて下さいました。弁当の件も、母が石榴倶楽部で考案した調理法から再現したらしく、母が唯一残した物を私に伝えたかったと語っていました。
事情を知った時私は自分を恥じました。佐川さんはいつも私の事を支えてくれていたのに、私はいつも自分の事しか考えていませんでした。どうやって恩を返そうかと考えましたが、私に出来る事と言えば料理しかありません。私は頭を下げ「私を至高の料理人と言ってもらえるのなら、これからは佐川さんのために料理を作らせて貰えませんか」とお願いしました。すると佐川さんは「本当かい、こんな幸せが手に入るなら他の何を捨てても構わないと思っていたよ」と心底嬉しそうな顔を見せてくれました。これが私が佐川さんのお宅に住むようになった理由です。
そう言えば、薬叉でザクロの売り上げが伸びない時に探偵を雇って原因を調べた事がありました。探偵さんからは他店の営業妨害のせいだと説明して頂いたのですが、あの売れ行きの悪さはそれだけでは説明が付かない気がします。薬叉ではお釈迦様の像から視線を感じる事がありましたが、あれはお釈迦様が私に「夢に囚われず、足元の幸せに気付きなさい」と諭してくれたのかなと。今は夢を追いかけている時より、ずっとずっと幸せですから。
調査結果により、加藤氏が新たにアノマリーと接触した痕跡は無く特別な措置は不要と判断されました。