結城博士の一番長い一時間
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 エレベーターのドアが開かれた先にいた人物に、結城はぎょっとして、己の油断を嘆いた。
「おや、結城博士。お久しぶりです」
「……ええ、奇遇ですね」
 軽い挨拶をかわしてエレベーターに乗り込んでくる彼女に、結城は咄嗟に視線を逸らす。
 扉が閉まり、二人の女博士を乗せた箱は静かに降りていく。早速彼女が微笑を浮かべた顔を結城に向けて、
「結城博士がこちらにいらっしゃるのは珍しいですね? 会議ですか?」
「ええ、まぁ」
「ああ、SCP-███-JPに関してのですね。確かにあれは結城博士以外に適任はいないでしょう」
 明るく聞こえる、けれどどこか違和感のある声で饒舌に喋る彼女から顔を背ける結城は、曖昧な相槌をうちながら必死でソレを視界に入れないように努めていた。
 結城は別に彼女のことを嫌ってはいない。彼女は社交的で明るく、比較的好人物であろう。
「結城博士と前に会ったのは何年前でしたっけ。昔とまったく変わらず綺麗なままというのは同じ女として羨ましい限りです」
 けれども結城は、今まで彼女と鉢合わせしないように意識していた。
 その理由を、彼女の肩に止まるソレを、結城は視界に入れるわけにはいかなかったから。

 不意にエレベーターの光が消えた。同時に箱の下降が止まる。
「おや」
 明かりは即座に復旧するが、ほぼ同タイミングで二人の持つ携帯端末に連絡が入ってくる。
『……の収容違反が発生しました。現在西ブロック地下█階を逃走中。付近の職員は……』
「おやまぁ」
 驚いているようには見えない彼女を横に、結城は自分の端末にかかってきた内線を開く。助手からだ。
『結城博士! ご無事ですか!』
「こっちはエレベーターに閉じ込められてるわ、三島君。東ブロックだから大丈夫だと思うけど、収容違反が収まるまではこのままね」
『そうですか……』
 ほっとしたような助手のため息の横で、エレベーターに閉じ込められたもう一人が画面をスクロールしながら言う。
「既に機動部隊も動いてますね、じきに確保されるでしょう」
 満足そうに微笑む彼女の肩で、ソレがハネを広げるのが見えた。見えてしまった。
 動転しそうになる心臓を必死で抑えつけて、結城は助手に尋ねなければならないことを聞いた。とても切実な問いを。
「三島君。収容違反はどれくらいで収まると思う?」
『恐らくですが……一時間はかかるかと』
 助手の告げた言葉に青褪めそうな結城に、彼女は「私達の安全のためですし、我慢しましょう」と呑気に笑って、
「せっかくの機会です。時間はたっぷりありますし、お話ししましょう? たとえば」
 生理的嫌悪感に飲みこまれそうな結城を哂うかのように、無機質な眼の彼女は、にこやかに笑った。

セミとか」

 結城は彼女の肩にいるソレに、間違いなく青褪めた。

彼女は一般的に「虫」とされるものを非常に恐れます。業務に支障が出るため、虫型オブジェクトとの接触は最大限避けるべきです。

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