鳴蝉研究員のつまみ食い
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「……おや、カミキリムシ」

暑い夏の日のことであった。当時はまだ研究員で、今よりもそんなに忙しいことはなかった鳴蝉時雨。彼女はこの日休暇を取り███県████山まで出向いて、個人的な趣味であるセミの確保・収容・保護を行っていた。この時点で確保したセミの総数は210匹。そろそろ重さ的な面でも金銭的な面でも控えておかなければまずいですかね……そう考えていた彼女の服に、ひたと1匹のカミキリムシが付着した。

普段ならカミキリムシごとき、歯牙にもかけずに手で払う……のだが、今回は少し事情が違った。なんせ210匹である。肩どころか腕にも虫かごがかけてある状態。下手に手を動かすことは出来ない。

「……まあいいでしょう。私を一時の止まり木にすることぐらいは許可します」

少し戻れば自前の車が停めてある。そこまで戻って、虫かごを積んでからこの虫を野に放つのでも構わない。そう考えた鳴蝉は、ひとまず車まで戻ることにした。したのだが。

カミキリムシは上へと登ってきた。それも止まる気配がない。

首もとを這う感覚が鳴蝉を襲う。このままだとこの不躾な虫は顔まで登ってくるのではあるまいか?そんな不安の中、鳴蝉は足を早めた。もう少しで車に辿り着く……!

しかし間に合わなかった。カミキリムシは鳴蝉の顔を蹂躙せんとその足を顎にかけたのだ。軽い絶望が鳴蝉を襲う。……しかし、鳴蝉は事ここに到り、異常を感じ取ったのである。洋梨の匂い。まごう事なき洋梨の匂いが鳴蝉の鼻を突いた。もちろん周りに洋梨など、ない。

「まさか……」

やっとの思いで車に辿り着いた鳴蝉は、虫かごを目にも留まらぬ速さで積み込み、唇を踏み抜こうとした無礼者をさっと引き離した。遠ざかる洋梨の匂い。まさか、まさかこのカミキリムシは……洋梨の匂いがするとでもいうのだろうか?もし本当にそうだとしたら大事だ。財団に報告しなければならないだろう。

「ひとまずは確保……ですかね」

鳴蝉はそう呟く……とともに自らの腹が大きく鳴るのを聞いた。……セミの確保に夢中で空腹に気が付いていなかったようだ。軽食は用意していない。山中な為、外食もすぐにはできないだろう。どうするべきか。

鳴蝉は自分の手の中に、とてもおいしそうな匂いのするカミキリムシが居ることに気が付いた。


説明:匂いと味が洋梨そのものなカミキリムシ
回収日:████-██-██
回収場所:███県████山
現状:残存した胸部・腹部を低温保管庫にて保存。
まずどうやってその事に気付いた。そして何故食おうと思った。何より、それが異常性によるものと確信して食べ残しを持参・報告してきたのは一体どういう訳なんだ……。 —████博士

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