或る老人の確信、そしてその顛末
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私は目を覚ました。一体どれほど眠っていただろうか。年を取ってろくに仕事をしなくなった両の目は、規則的だがぼやけた四角形を映し出す。私は利き手ではない方の腕で両の目を擦ってから、ゆっくりと硬いベッドの上で上半身を起き上がらせた。個室の窓からは、落ちきった夕焼けが西の空にほんのりとした赤色を残しているのが見える。
私は入院している。どうしてそんなことになったのかはよく思い出せない。娘や孫の話を聞くに、急に倒れてしまったそうだ。病名はくも膜下出血。テレビではよく聞く名称であったが、まさか自分にそれが襲いかかって来るとは思いもしなかった。今は無事に治療を終え、経過観察の為に入院している状態だ。俗に言えば、助かったのだろう、私は。

しかし、私は今日命を終えるのだ。

なぜそう思うのかは、自分でも分からない。ただ一つ、こんな言葉が脳裏に染みついて離れないのだ。「あいつが来る」。あいつとは誰なのか、どんな姿なのか、私には皆目見当が付かない。しかし私は、あいつがもうすぐ来る、あいつが来れば死ぬ、ということを確信している。まるで今まで何度も、あいつという存在に命を終わらせられているかのようだ。馬鹿らしい、命が何度も終わることなんて、ありはしないのに。
不意に、病室のドアが開く音がした。一瞬驚いたが、入ってきたのが私の孫娘、██だったのを確認すると、私は胸を撫で下ろした。

「 ……ああ、来てくれたのかい、██。おじいちゃんが死ぬ前に、お見舞いに来てくれてありがとう」

██は目を丸くし、縁起でもない、と言った。ぶつぶつ文句を言いながら、私に差し入れを渡したり、必要なものを枕元の棚に入れたりしている。ありがたいことだ。今の今まで仕事をして、その帰り道に私の様子を見にやってきてくれるのだ。軽はずみに「死」、などという単語を口にしたことを恥じながらも、しかし██には伝えておかなければならないと思った。私は長くないということを。

「 はは、確かに縁起でもなかったかもしれんな。でも、おじいちゃんはもう長くないんだ……自分の身体のことは、自分が一番よく分かってる」

嘘だ。自分でもよく分かっていない。あいつが来れば死ぬという確信はあるが、それ以上は分からない。……そもそも自分の身体のことでもないのかもしれない。私の言葉を聞いた██は呆れたような物言いで、医者の診断はこうだった、だから大丈夫と私を諭すように言った。

「医者はそう言うだろうさ。でも、おじいちゃんは病気だから死ぬ訳じゃあないんだ。寿命だ。すぐそこまで寿命が来てるんだよ」

私は反駁した。確かに治療は終わり、今は回復を待つだけなのは分かっている。あの真面目な初老の医者がヤブであるともタケノコであるとも思っていない。だが私に死を確信させるあいつが、今日やってくる。あいつ、などと言っても██に伝わる筈はないだろうから、ありきたりに「寿命」と表現しておいた。……██は、悲しそうな顔をしていた。

「……なーんてな。まだまだ死ぬわけにはいかんよ。おじいちゃんは玄孫の顔を見るまでは死ねんからな!」

次の瞬間、私はそんなことを口走っていた。気休めだ。こんなことを言ってどうにかなることでもない。だが、私は██があんな顔をすることが耐えられなかった。最期の思い出が、孫のあんな顔だなんて、絶対に未練が残ってしまう。██は、語気を強くして怒っているようだった。が、あの悲しげな顔は消え去って、どうしようもない愛しいものを見るときの笑顔がそこにはあった。そうだ、██。お前は笑っていてくれ。私は自己満足で心を満たすと、ついと視線を動かして時計を視界に入れた。その瞬間、心は、焦りで冷え、凍った。

まずい。あいつが来る時間が近い。あいつと██を会わせるわけにはいかない。

「すまんすまん!冗談が過ぎたな!……まあ、今日もいい時間だし、██は家に戻りなさい。家族が待ってるだろう?」

██を帰らせようと私は言葉を次いだ。急に戻れと言いだした祖父に、██は不信感を抱いているようにも見える。違う、違うんだ。私は██が嫌いなわけじゃない。大好きだ。たった一人の孫娘を嫌いになるはずがないだろう。おじいちゃんは、大好きな孫娘をこんなところで喪いたくはない。あいつのせいで死ぬのは、おじいちゃんだけで十分なんだ。分かってくれ。時計はあいつの来訪を今か今かと待ちわびるように秒針を進めていく。私は██の肩を掴み、真剣に伝える。覚悟と、愛を。

「おじいちゃんはまだまだ元気だからいいんだ。だから早く帰りなさい、██」

私の想いが通じたのか、はたまたおかしなことを言う老人に愛想を尽かしたか。██は短く返事をし、明日もまた来ると言って病室のドアから外へと出ていった。遠ざかる足音が私の耳にうっすらと響く。そしてやがて訪れる静寂に、私は安堵のため息を吐いた。

「……帰ったか。よかった、これで██があいつに会わなくて済む」

私は、果たしてその言葉を最後まで言えただろうか?突如鳴り響く、つんざくような音に私は耳を押さえた。これは、なんの音だ?そう思って視線を巡らすと、部屋の中にガラスが散らばっていた。派手に大きな音がしたにも関わらず、ドアの外から病院のスタッフが近付いてくる気配はない。やがて冷たい外気とともに、すえた臭いが鼻に届く。……あいつが、来たのか。確信に近い思いを抱きながら、恐る恐る、窓へと視線を動かす。

そこには、皺塗れの顔に下品な笑みを張り付かせた老婆の姿があった。


SCP-467-JP-1には、成長サイクルがあることが判明しており、4つの段階で構成されています。第1段階では6歳の女児、第2段階では18歳の女子高生、第3段階では30歳の女性、第4段階では老婆の姿を取ることが確認されています。

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