未知との遭遇
評価: +48+x
blank.png

田邊薫は困惑した。目の前の陳列棚にはフカヒレが山のごとく並んでいた。

サメ。それは人類が最も忌むべき存在であり、殴り殺すべき生物。そんな生物が──正確にはその死骸の一部が──スーパーの隅に食材として置かれていた。

田邊薫は困惑した。このフカヒレは殴るべきだろうか。しかし元となったサメは死んでいるはずだ。そもそもこれは本当にサメから採れたフカヒレなのだろうか。
彼女の眼前に多量に陳列されたフカヒレは大分縮んでおり、きちんと乾燥されたことが見て取れる。じっくり見ているとなんだか殴りたい衝動に駆られたので視線を反らした。
悶々と考えているのも埒が開かないので、とりあえずカゴに入れて足りない調味料や明日のご飯の食材を購入した。値段は驚くほど安かった。フカヒレはなるべくバッグの底に入れて持ち帰った。


帰宅して食材を冷蔵庫に入れる。フカヒレは冷凍室にいれた。
冷蔵庫の扉をバタンと閉じ、彼女は頭を抱えた。何故買ったのか、と。
ふぅ、と小さく息を吐きスマートフォンでフカヒレの調理方法を調べる。悔しいが、忌々しいサメから採れた部位の料理にしてはなかなかに食欲をそそるものばかりだった。
スマートフォンとにらめっこをしつつ、冷蔵庫の中身を思い出し、その日はフカヒレの煮込みを作ることにした。


冷凍庫を開け、フカヒレを取り出す。
鍋に水を入れ、沸騰したら鶏ガラスープ粉末、醤油、砂糖、酒を入れてスープを作る。
スープを作る間にフカヒレの下処理を始める。と言っても殴るだけだ。殴って殴って小さくして、解凍を早める。一緒に煮込む乾燥しいたけも水にさらして戻しておく。
スープが黄金色になったので、小さくなったフカヒレと戻した乾燥しいたけをスープに入れ、煮込む。辺りにいい香りが漂ってきた。
フカヒレもしいたけも柔らかくなってきたので片栗粉を水で溶いたものを回し入れ、少し煮てとろみをつける。
完成したフカヒレの姿煮を皿に盛り付け、あらかじめ炊いておいた白米と朝食の残りのおかずを出す。

手を合わせ、頂きますと小さく呟く。持ち手に桜の模様をあしらった箸でフカヒレをつまむ。それを口の中に入れた途端、芳醇な香りに満たされる。噛むと繊維がほろほろ崩れ、そこから旨みが溢れ出す。一口、二口、と箸が続く。
おいしい。サメが、あの忌々しいサメは、こんなにも美味しいのだ!
白米がよく進む。朝食の残りだったおかずも朝より美味しい気がした。


ごちそうさまでした。
彼女は手を合わせ口内に残るサメの味を噛み締めた。


さて、こんなにも美味で殴るべきサメを、SPCが見逃すのだろうか、否、SPCはスーパーにあふれるその食材を買い占め、殴ろうとする。しかし彼女はたまにこっそり殴ったフカヒレを持ち帰って調理していた。ある日それが他の職員にバレた。当然、彼女は非難された。
他の職員にとって、なぜ彼女がフカヒレを持ち帰ったのか、というのは大きな疑問となった。聞くと、調理して食べていたという。あの、忌々しいサメを口にする。そんな禁忌に対し不快感を抱く職員と、好奇心を抱く職員がいた。好奇心を抱いた職員は、フカヒレをこっそり持ち帰り、調理して口にした。彼らもフカヒレの、サメの美味しさに気付いてしまった。そんな人たちが一人、また一人と、センター内で増えていく。その中には権力者もいた。

やがて職員の誰もがフカヒレの美味しさに魅了されていた。しかしサメはサメである。しからば殴らなければならない。
センター内の食堂にはフカヒレの香りが充満し日々フカヒレを殴り美味しく調理される方法が研究される。
更に彼らはフカヒレだけでは飽き足らず、彼らが殴り殺したサメの亡骸さえ口にするようになった。確かにサメは忌々しい。殴るべきだ。だが美味しいのも事実である。職員の誰かがそういった。彼の言葉はやがて標語となった。センターに新設されたサメ調理法部門ではサメ特有の匂いを消す方法を開発し、サメの美味しさを引き出す調理法を生み出していく。
サメのステーキ、サメの刺し身、サメのゼリーやデザートも作られた。不思議と職員がサメを食べることに対し飽きることは無かった。嫌悪感を抱く者もいたが、目の前に出された調理済みのサメを見るとそれは食欲に変化する。

やがて一般市民はフカヒレを、サメを占領する何者かにに憤慨し、漁業関係者はなぜかサメの売上が上がったことに首をひねるようになる。しかし彼らはそんなことを考えない。底をつきそうな資金には目を向けない。彼らは、それが正しい行動だと信じていた。
市場にで回るサメを買い占め、殴り、食すことが正義だと信じていた。



後に人々はこう言うた。
「SPCかい?Shark Put away Centerサメを食べ尽くすセンターの略だろう?」と。




数年後、彼らはサメアレルギーに苦しむこととなる。同じ食べ物を多量に食べ続けるとアレルギーになることがあるからだ。サメを口にすると熱が出たり、皮膚が荒れたり、呼吸困難になったりするものも現れた。
「やっぱりサメは忌々しい!!食べるようなモノではなかったのだ!!!私達はどうかしていた!!」
今日も彼らはひたすらにサメを殴る。殴り殺したサメの亡骸は即座に焼却処分されている。もう誰もそれを口にすることはないのだろう。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。