猫だけが知らない
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「女の子が、猫を探しに出かけたまま戻ってこない?」
 前原博士はモニタから顔を上げると、すぐに立ち上がった。
 その足元に、エージェント・猫宮の愛猫ヤマトが寝そべっている。
「いるじゃないの、猫」
「そうなんです」
 エージェント・猫宮は困り果てた顔をして、ヤマトを抱き上げた。黒猫は猫宮の腕の中で丸くなる。
「獣医さんからの帰りに神社に寄って、知り合いの女の子に遊んでもらってたんです。そしたらヤマトがどっかに行っちゃって……」
「だからここにいるじゃない、猫」
「ヤマトだけ戻ってきたんです」
 猫宮は泣きそうな顔をしている。
「兄も探してくれていますが、人手が足りなくて。お願いします、探すのを手伝っていただけませんか?」
 前原は即答した。
「わかったわ。人員を手配するから、状況を詳しく説明して」

 それから間もなく、事態は動き出す。
「猫の体毛から採取した土壌を分析してもらいました。神社周辺の土以外は検出されていませんね」
 報告書を持ってきた針山博士は、顔色が悪かった。
 報告書を受け取った猫宮は、心配そうに尋ねる。
「あの、大丈夫ですか、えーと、ハ……ハルキゲニアさん?」
「ただの貧血ですから。あと僕は針山です。バージェス出身ではありません」
「わかりました、ハ……ハンムラビさん」
「バビロニア人でもありません」
 名前を憶えてもらえないという妙な特徴を持った針山博士は、説明を補足する。
「体毛からは微量ですが、埃のようなものと劣化した木片も採取しています。分析チームによれば、古い木造家屋に侵入したのではないかと」
 前原博士はすぐに質問する。
「木片は神社の建材と一致した?」
「少々お待ちを……一致していますね」
 針山博士はそう答えると、何度か小さくうなずいた。
「ということは、猫は神社の建物のどれかに入り込み、そしてそのまま戻ってきた。そういうことになりますね」
 すると猫宮が拳を握りしめて尋ねる。
「じゃ、じゃあいなくなった子も、神社の建物にいるってことですか?」
「たぶんね。私はちょっと別行動するから、禿山博士はエージェント・猫宮に同行して」
 針山博士は前髪を撫でて確かめながらうなずく。
「わかりました。しかしSCPオブジェクトによる事件だとすれば、僕とエージェント・猫宮だけでは戦力的に不安ですが」
 すると前原博士は彼を安心させるように笑う。
「大丈夫。私の見立てが間違っていなければ、武装したエージェントよりもハグ山博士の方が頼りになるわ」
「別に抱きついたりはしませんが、そういうことならわかりました」

 猫宮が立ち寄った神社は、滅多に人が訪れない静かな場所にある。
 針山博士と猫宮は周囲を見回し、建物を確認した。
「社殿……拝殿? 神社の本体部分と、使われていない社務所。後は倉庫ですね」
「じゃあまず、御神体のあるところからにしましょう。なんかSCPオブジェクトとかありそうですし」
「そうですね」
 二人はうなずき、施錠された格子の隙間からそっと覗き込む。誰もいない。
「最初にここは見たんですけど、戸締りがしっかりしてて猫も入れませんよね」
「確かに。次は社務所を覗いてみましょう」
 古びた平屋の建物に向かった二人だが、こちらもしっかり施錠されていて入る場所はなかった。
 猫が入り込めるような隙間も見当たらないので、猫宮は首を振る。
「ここでもなさそうです」
「となると、倉庫ですか」
 針山博士はポケットをまさぐり、それから猫宮に質問する。
「武器持ってます? 拳銃とか」
「持ってないですよ、ハリーポッターさん」
「魔法が使えたら楽なんですけどね。じゃあ行きましょうか……」
 針山博士は猫宮の前に立って、ゆっくりと倉庫に近づいていった。

 倉庫は施錠されていたが、簡易な開き戸には上下に大きな隙間があった。大人でも這って入ることができるほどだ。
「これなら猫と……子供は、入り放題……ですねっと」
 倉庫に入った針山博士は立ち上がり、砂だらけになった胸元を払う。
 外からの光が差し込むせいで、倉庫の中は肉眼で確認できた。壊れた神輿や雑多な掃除道具などが積み重なっており、一見すると誰もいないようだ。
「本当にここなんですかね」
 猫宮も入ってきたので、手を貸して立ち上がらせる。
 猫宮が不安そうな顔をしているので、針山博士はこう言った。
「前原博士の言う通り、そう危険はないでしょう。猫が帰ってきたのなら、いわゆるモンスターのようなオブジェクトは存在しないはずです」
「そうですね。そうだと思いたいです」
 そのとき、二人の耳に微かな物音が聞こえてきた。柔らかいもので何かを撫でるような、キュッキュッという音だ。
 無言で顔を見合わせ、うなずく二人。
 針山博士はますます顔色を悪くしながら、猫宮に告げる。
「僕の仮説が正しければ、同時に行かない方がいいです。何かあったら、僕に構わず救援を要請して下さい」
 猫宮もエージェントの表情になり、小さな声ではっきりと言った。
「それなら私が行きます。オブジェクト回収は私の仕事ですからね、針山さん」
 一瞬、針山博士はまじまじと猫宮の顔を見つめた。
 それからうなずく。
「わかりました。専門家にお任せします。お気をつけて」
 エージェント・猫宮は猫のように足音を忍ばせ、そっと神輿の裏側に回り込んだ。

 そこで猫宮が目にしたのは、薄汚れた看板を指でなぞり続ける、小さな女の子の姿だった。
 探していた少女だ。見たところ無事なようだが、執拗に看板を指でなぞっている。
 彼女の口からは、小さなつぶやきが漏れていた。
「おめめ……おくち……おはな……。おめめ……おくち……おはな……。おめめ……」
 猫宮はそれ以上見ようとはせず、神輿の陰に身を隠す。
 そして目を閉じたまま、針山博士に告げた。
「視認しました。念のために認識災害専門の収容スペシャリストを要請しますので、ハラペーニョさんは退避して下さい」
「わかりましたが、青いのは未熟なせいでも恐怖のせいでもありませんよ。いつもの貧血です」

 翌日、猫宮がサイト内に開設している猫カフェで前原博士たち三人はコーヒーを飲んでいた。
 針山博士は報告書を片手にコーヒーを飲みながら、猫に埋もれているエージェントを振り返る。
「シミュラクラ現象というのを御存知ですか、エージェント・猫宮?」
「聞いたことはあります、ハニワさん」
「まだ古墳時代ですか僕は。ああそう、ハニワの顔もそうですね」
 針山博士は報告書の裏側に、ボールペンで丸と三角を描く。○▽○と描いた図を、猫宮に示した。
「私たちヒトは、こういった簡単な図形でも顔として認識します。これがシミュラクラ現象です。アミニズムなども、こういったものから来ているのかもしれませんね」
「編みニズム……?」
 猫宮は毛糸で猫をあやしながら、首を傾げる。
 針山博士は急いで話を戻した。
「まあとにかく、簡単な図形でも顔に見えるということです。そしてヒトには想像力がありますので、絵に欠けている部分があっても、それを想像の中で補うことができます」
 猫宮は針山博士のカップにコーヒーを注ぎ足しながら、確認するように問う。
「えーと、それが今回の事件とどういう関係が?」
「今回、特異性があったのは飛び出し注意の看板でした。風化して顔のペンキが剥げていたのが、偶然ながら特異性につながったようですね」
 針山博士は報告書をめくると、添付された写真を見せる。
「この看板の顔は、パーツが幾つか欠けています。我々大人はこれが看板だとすぐに認識できるので、影響は受けません。『ボロい看板だな』ぐらいにしか思いませんよね」
「確かに何ともないですね。ミルク入れますか、ハコフグさん」
「ありがとう。しかし幼児はこの箱……じゃなかった、この看板にも人格を認めますので、そこに混乱が生じます。顔の欠けたパーツを補おうとして、無意識に脳を活性化させるのです」
 それが幼児の脳を極度に混乱させ、顔のパーツを補うという作業に没頭してしまったのだと、針山博士は説明をした。
 それ以上の特異性はなく、あの少女にも後遺症は残らないだろうと続ける。
 猫宮はよくわからないような顔をしつつ、シュガーポットを針山博士の前に置いた。
「あの看板を見ちゃうと、小さい子は延々と顔を描き足そうとする。ってことですよね? じゃあヤマトだけ帰ってきたのは、どうしてなんですか?」
 すると前原博士がパンケーキにメープルシロップとハチミツをたっぷりかけながら、それを補足した。
「想像力の差ね。絵の顔の欠けているパーツを補うのは、人間にしかできない高度な能力なのよ。どんなに知能が高い他の動物でも、これはちょっと無理みたい」
 猫宮は少し考え、こう尋ねる。
「つまり、猫が見ても何ともない?」
「何ともなかったみたいね。人間、それも心の発達途上にある幼児にだけ影響を及ぼす、ちょっと変わった図形ってところかしら」
 前原博士は報告書を眺め、オブジェクトクラスの項目にある「Anomalous」の文字列を指でなぞる。
「何かの応用研究に使えそうだけど、それは私じゃなくてハニー山博士の専門ね。面白い研究結果が出たら、教えてちょうだい」
 パンケーキを流れる黄金色の液体を眺めながら、針山博士は小さくうなずく。
「ええ、喜んで。ハチミツは出ませんが」
 彼の足もとで、黒猫が小さく鳴いた。

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