Silver Bullet
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しくじった。

長い廊下を抜け、そのイソギンチャクみたいな化け物と鉢合わせした瞬間、俺の脳裏に横切ったのはその言葉と妹の笑顔だった。
手持ちの武器はバールが一本。そんなもんじゃ銃弾すら弾くコイツには通用しない。

化け物が俺に手を伸ばす。畜生、似合いの最期って奴だ。妹を嬲り殺した男たちの顔を思い出す。この世界にはヒーローなんていない。俺がやったことを、きっと妹は望んでいなかった。だからこれは罰なんだ。俺は永遠に監獄で責め苛まれるべきだったんだ。救えなかったくせに、護れなかったくせに。だが、死ぬ前にこんな化け物共に一泡吹かせてやれたのは痛快だった。ヒーローの真似事ができたのは、嬉しかった。

最期になるだろうその瞬間を待つ俺の耳に、一発の銃声が響いた。

目を開く。化け物はその銃声に反応し、一瞬俺から目を離す。

チャンスだ、何が起こったのかは知らないが今なら逃げ出せる。幸い、化け物の足はそう速くない。ここから上手く逃げるルートも確認している。踵を返し、真逆の方向に走りこむ。ジグザグに動き回り、監獄の扉を開け、ダクトに潜り込む。

ここまで来れば少なくとも化け物はやって来れない。気を付けるべきなのはあの化け物共を雇っている人間側だ。とにかく少なくともこの場所を離れなければ。上へ行くか下へ向かうか。

直後、俺の潜り込んだ通気口の蓋が開いた音がした。もう見つかったのか、心臓の鼓動が高鳴る。口の中が異常なくらい乾く。こうなれば相討ち覚悟だ。俺はバールを握りしめ、屈むのがやっとな通気ダクトの中でソイツを待った。

相手が銃を持ってれば、確実に俺は死ぬだろう。…じっとりと滲む手の汗。そして、相手は姿を現した。手には銃が握られている。それを目に留めた俺は即座にその脳天めがけ、バールを振り下ろそうとして。

「待ってくれ!」

バールが頭蓋骨を砕く直前、相手、男は両手を上げて英語で叫んだ。振り下ろす手を止めた理由はその叫びに驚いたのもあった。だが、何よりも仄明るい光に照らされていたのは。

「…お前は」
「ん? そのカッコ、お仲間か! 英語話せてるとこ見るとチャイニーズか?」
「いや、日本人だ。英語は留学の経験があるんでな。そんなことより、お前は…」
「ああ、名前なんざ知らない方がいいんだ。お似合いの名前が俺達にはあるだろ? ケツ拭く紙にもなりゃしねえ洗礼名がよ」

俺と同じオレンジ色のジャンプスーツ。コイツは。

「俺はD-14134だ、よろしくな、兄ちゃん」
D-0442だ」

俺と同じ、糞野郎らしい。


D-14134と名乗ったその男は、ふうと息を吐いてへたり込んだ。その手には使いこまれた拳銃。鈍く光っている。

「さっきのアレは」
「ああ、お前を助けたヤツな。来たばっかでよく分かんなかったけどよ、どうにも困ってそうだったんで思わずだ」
「助かった、アレがなけりゃ死んでたからな」

その言葉から想像はできていたが俺とは人種が違う。褐色の肌に白色が混ざり始めのごわごわとした髪。
年齢は俺より一回りは上だろう。共通点はその名前と着ているジャンプスーツくらいだ。

「で、兄ちゃん。何かもう心臓おかしくなりそうで。煙草とかねえか?」
「あると思うか」
「ちぇっ、じゃあ、ジャパニーズってことはほら、ソニーのCDプレイヤーとかそんなん持ってないのか? 音楽はいいぜ」
「アンタが俺と同じ身分なら分かるだろ。それに、だ、今時iPodやウォークマンだろ?」
「…? ちょい待ち、何だそりゃ?」

コッチの台詞だ。怪訝そうな俺にD-14134も同じ表情を向けてきた。

「いやいや、冗談よせよ、ほら、去年発売しただろ?」
「何言ってんだ、今はもっと高性能な電子機器が大量に出てる」

俺の言葉にD-14134は人懐っこそうな目を丸める。どうしたんだ? 疑問に答えず、D-14134は矢継ぎ早に質問を投げてくる。

「…なあ、E.Tは去年の映画だよな? ブレードランナーは?」
「? そんなのは30年近く前の映画だぞ?」

D-14134の顔が徐々に呆然としたものに変わっていく。

「…グレース・ケリーも去年」
「誰だそれ」

ついに半分笑い出した。どうも何かしら脳の処理機能を超えたらしい。
そして、しばらくの沈黙があり、半ば諦めたようにD-14134が尋ねる。

「…兄ちゃん、今は1983年だよな?」
「冗談、30年は経ってるぞ」
「…ガッデム」

そして、両手を上へ突き出し、そのまま仰向けに倒れこんだ。褐色の腕は傷塗れだった。


「…つまり、アンタは30年近く前の人間で、アメリカで何かの化物に接触した結果、此処に来たってことか」
「そうみたいだな、…はあ、ようやく全部の扉を閉めたってのによ。次もこんなのかよ。どうも俺は女神に嫌われてるらしい」

D-14134の話を聞くに、D-14134も俺と同じく「財団」という組織に雇われ、半死半生の目に遭ったらしい。そして、何とかそれから生き延び、辿り着いたのがこの監獄。何とも数奇な運命だと思う。

「まあ、ツイてる方じゃないか? 偶然俺にも会えたわけだし」
「そうかもしれないがね…、まあ、悩んでいても仕方がない、兄ちゃんは何で此処に?」
「…俺か?」
「おうさ、まあ仮初だろうと出会っちまったのは縁って奴よ。相手のこと知るのは悪かねえや」

…此処に、それは何で「財団」に雇われたのか、そういうことだろう。「財団」の交渉を知るD-14134なら、それがどういう意味かは分かっているはずだ。つまりは凶悪犯、重大な犯罪を犯した人間。

…俺のそれは。

俺が黙りこくっているのを見て、D-14134はその目を細め、話を引き取った。
見た目以上に洞察力があるのか、内心の葛藤を察してくれたらしい。

「…あー、話したくないんなら俺から話すか。まあ、俺はデトロイトで生まれてよ、ナムで戦争なんかにも参加したんだが…」

D-14134の人生は戦後のアメリカ史をそのままなぞったような人生だった。ベトナム戦争から帰還し、十分な補償金も出ないままずるずると下へ、下へと堕ちていった。犯罪、アルコール、薬物…。同情こそされ、けして肯定のできない人生。だが、そんな負の面を、俺は何故かD-14134から感じることはなかった。

「で、ムカつくお巡り一発ズドンで豚箱さ。あとはお前と一緒だろ」
「…そうか」

自嘲するように薄く笑うD-14134からは、説明のできない何かを感じた。強い意志、希望、…あるいは、それと思わせるほどの絶望。

コイツになら、少しくらいは話してもいいかもしれない。そう思ったのは何故だろうか。

「まあ、その後の話は追々してやるよ、で、話す気にはなったかい?」
「…大した話じゃないけどな」

俺は気が付くと話していた。堰を切ったように言葉が何故か流れてくる。妹のこと、そして妹を殺した屑共のこと、「財団」に雇われ、ここに来たこと。そして今は此処で、鍵を壊す役割を担っていることを。

俺の言葉を、D-14134は黙って銃を撫でながら聞いていた。話し終えると、D-14134は俺の目をゆっくりと見つめ、静かに呟いた。

「…そりゃまあ、色々悲惨だったな」
「こうなったことに後悔はしてないさ。…ただ」
「言わなくていい、誰しも誰かを背負ってる。俺達みたいな屑でもな」

仄明るい通気口に沈黙が戻る。俺達屑野郎二人は、互いに相手の言葉を探っていた。


最初にそれを破ったのは俺だった。

「…帰る方法は分かってる、帰るか?」
「…お前はどうするんだよ、兄ちゃん」
「俺はまだこの監獄で鍵を壊さなくちゃならない、誰か一人はこっちに残って、扉を閉めなくちゃいけないからな」

俺の言葉に、D-14134の目が変わった。今までのどこか人懐っこく、それでいて意思を持った瞳はそのままに、俺へ憐れむような視線を向ける。どこか悲し気に、どこか寂し気に。静かにD-14134は俺に問うた。

「…なあ、兄ちゃん。お前は何を救おうとしてるんだ?」
「それは此処に囚われてる」
「違うだろ、嘘吐くんじゃあねえよ」

吐き捨てるように放たれたその言葉、俺は思わず反射的に言い返す。

「嘘なんて」
「お前はお前の頭ン中の監獄に閉じ込められてんだ、お前は人を殺した瞬間から一切進んじゃいねえ」

だが、D-14134は俺の反論を許さなかった。まるで弾丸のように俺の心を、言葉を、D-14134の舌は抉っていく。撃ちこまれた弾丸が俺を突き抜け、血反吐を吐かせる。俺は、進んでいない?

違う、俺は人を救った、俺は誰かを護った。だが、そんな薄っぺらい盾はD-14134の放つ言葉と視線の前では紙切れも同然だった。弾丸みたいだ。酷く冷たく、酷く熱い。何なんだ、いったい、コイツは、D-14134は、何を抱えているんだ。何でこんなにも、鋭く冷たい弾を持っているんだ。

「お前はただ、ずっと妹さんを救おうとしてるだけだ、お前はヒーローなんかじゃねえ、人殺しだ」
「そんなこと」

俺は言い返そうと口を開く。その口をD-14134の弾丸は抉る。

「いいや、分かっちゃいねえ。お前は救ってるんじゃねえ。監獄に閉じこもり、重りで腐る足を見て、その重さで満足してるだけだ」

俺は、あの日、妹を見つけたあの日から。

ずっと、ずっと、ずっと逃げて。そして、誰かを助けたふりをして。

止まって、死のうとしていただけだっていうのか。

…だったら、俺は何なんだ、お前は何なんだ。人を救うことが悪い事かよ、人を救って死ぬことは、いけないことなのかよ。

「だったら、だったらどうしろって言うんだ! 救うなってのか、死ねってのか、なら、俺達は!」
「…俺達は銀の弾丸だ、不幸にも心臓を貫き、そのまま抜け出しちまった弾丸だ」

俺の叫びをD-14134は許さない。
静かにD-14134は、…銀の弾丸、怪物を殺すアーティファクトはその役目に自嘲している。

「ジェヴォーダンの獣をぶっ殺したジャン・シャストルは後にペテン師だと嗤われた」

俺は気づいた。いや、知っていた。
怪物を殺すヒーローなんていない。あるのは、ただ怪物から人々を護る意思だ。
そして俺達はそんな意思持つ機械共の武器、それにも満たない銃弾に過ぎない。

「誰かの願いが、誰かの思いが、そんなもんを後生大事に抱かされちまった、あると思わされちまった馬鹿な鉄砲玉だよ」

その表情は、赦しだ。どうしようもない絶望を、虚妄を、人殺しは赦し合う。
死ぬまで、永遠に俺達は人殺しのままで。

「お前は救われねえ、逃げられねえ」

人殺しは言葉を吐き捨てる。拳銃を握るその手は血管が浮き出ている。

「俺も逃れられねえ、俺に祈りを託したとあるヒーローから。俺は扉を閉め続けなければ」
「アンタは」

D-14134は俺の答えに肩を竦め、逆に聞き返す。

「どうする、兄ちゃん。…開いたのならば、閉じない扉は無い。放たれた銀の銃弾が、心臓を貫くまで戻らないように」
「認めろっていうのか」
「ああ、俺達は何をしようと納得できない。十字架を最後の審判の日まで背負い続ける」

俺は妹の顔を思い出した。その笑顔は血に塗れていた。
俺は納得していない、だが、まだ俺は飛んでいる。貫き続ける。
俺に意思を託したのは誰だ、俺に十字架を背負わせたのは俺だ。

俺は、監獄から出なくてはいけないんだ。十字架を背負い、逃げられず、それでも。

「死にゆくまで」
「そう、死にゆき、忘れられるまで」

俺は、俺達は、銀の弾丸は。

「…俺は行く、鍵を壊し続ける」
「分かった、ならまあ、折角だ。行こうぜ。鍵を閉めるのには慣れてるからよ」

息を深くつき、頬を叩く。ぐずぐずしている暇はない、奴らに見つけられたら面倒だ。D-14134を急かし、立ち上がらせる。コイツの持つ銃は奴らへの牽制になる。仄明るい通路に一歩を踏み出す。ふ、と、何かが耳をくすぐった。D-14134が何かを呟いていた。

「…Morituri te salutant. 死にゆく俺から敬礼を、兄ちゃん」
「…ああ、死にゆく俺から敬礼を」

俺達はいずれ地面に落ちるまで、飛ばなくちゃいけない。
だがそれはまだ早い。銀の銃弾、ヒーローなんかじゃない、ただの道具にしかすぎない俺達は。

それでも、それでも、死に向かい突き進む。開け放たれた扉を閉じるために、鍵を壊すために。
その先は、考える余裕すらない。残酷で無意味なこの世界で。

背負い続け、飛び続ける。いつか落ちるその日まで。放たれたのだから、貫いてしまったのだから。
銀の銃弾は、血に塗れたまま落ちる日を願う。

…だが、それはまだ先だ。

俺達はここにいる。

ここにいるんだ。

だから。

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