黒い影、白い影
評価: +2+x

これは私の故郷に古くから伝わる怪談です。
村から峠を二つ三つ越えた山奥に、昔の修験者が建てた社があったのですが、近年には修行に訪れるものもなく、山には熊も出るというので、そこには、村人も近づくことは稀になっていました。
ある時、ならば誰にも取られぬ山菜が伸び放題であろうと考えた、一人の欲深い村人がおりました。その村人は山菜を独り占めするため、家族にも内緒にして、朝早くより山に分け入って行ったのです。
その村人が真っ青な顔をして戻って来たのは夕方の頃でした。尋常ではない様子に家族が問いただしたところ、そのものが言うには、社の山に行き、そこで真っ黒な人影を見たと言うのです。
「アレはただの人ではない」。震えながら村人は言いました。黒い影に驚いて思わず「あっ」と口に出した途端、その人影はにわかに掻き消えたそうなのです。
そのような物はただの見間違いだと、それを聞いた多くの村人たちは言いました。山菜を独り占めしようとした後ろめたさが、ありもしないものを見せたのだと。
翌日、何人かの村人が連れ立って、朝早くから山へと入って行きました。言われてみれば、確かにあの山には山菜が伸び放題であろう。一丁吾々で山分けにしてやろうではないかと。
そのものたちが帰って来たのも同じく夕方で、真っ青な顔をしていたのも前と同様。ただし、黒い人影ではなく、白い人影。それも数人の影を見たというのです。
今度は一人ではなく、村人数名。それが揃って同じものを見たと言うのですから、見間違いではありません。すわ、修験者の幽霊か? はたまた、長らくほったらかしにされた社の祟りか? 村中が大騒ぎになったところで、一人の若者が言いました。
「幽霊だの祟りだのといい加減にせい! 今は科学の御代ぞ。そのようなものなど、おるはずがない。もしおったならば、ワシがふん捕まえてやるわい!」
そういうと、若者は村人たちが止めるのも聞かず、山に分け入って行きました。
さて、その夜、遅くなっても若者は帰って来ません。心配した村人たちが、若者を探しに山へ入ろうか、いや、やはり幽霊は恐ろしいと逡巡しているうちに夜は白み始めました。すると、真っ青な顔をした例の若者が、山をふらふらとした足取りで下りてくるのが見えたのです。
村人たちは若者に駆け寄り、口々に尋ねました。どうした、何があった? 黒い幽霊か? 白い幽霊か? 若者は呆然として言いました。「ワシはなぜ山になんぞ入っとったんだ? 幽霊? なんの話じゃ?」。そういうと、パタリと倒れてしまいました。なんと、若者はここ数日の出来事を、すっかりすべて忘れてしまっていたのです。
一部始終を見ていた村の長老は、村人が山に立ち入ることを禁じましたが、それ以来、村人には何の障りもなくなりました。
今でも村の人々は社の山に入らず、そこに行こうとする旅人にはこの話をして引き止めている、ということです。

「答え合わせするかい?」
昼食時のカフェテリア。年若い研究者から、彼の故郷の怪談を聞かされていた老博士が、皿に最後に残ったナポリタンの短いスパゲティを、どうにかフォークに刺してやろうと苦戦しながらそういった。
「結構です。だいたい検討はついてます」
菓子パン二つを食べ、黄色いパック入りのレモンティーを飲み終えていた若い研究者はそういったが、ついにナポリタンを諦めた博士は、傍のPDAを手に取り、何やら操作しはじめた。
「君の田舎というとあそこだろう。平成の大合併前の地名だと……ほれ、ヒットした。SCP-███-JPだな、多分」
「やっぱ、そうっすか」
「多分、初期収容の時の話だろうな。エージェントと研究者が姿を見られて、しつこくうろつく奴には強めの記憶処理をしたんだろ。村長は財団の協力者で……いや、それはいいが、お前これ」
博士はPDAの画面を研究者に見せる。
「何が昔から伝わる話だ。1980年代の事じゃないか」
「いや、大昔じゃないですか」
「バブルの頃だぞ?!」
「昭和の話は、ちょっとわかんねえっす」
ヘヘッと屈託無く笑う平成生まれを見て、怪談より時の流れの方がよほど残酷で怖いと思う、博士であった。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。