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日本支部理事-6"若山"のスピーチより


 今ここに招集されている皆さんの中には、既に本作戦についての噂を耳にした人もいるでしょう。

 Are We Cool Yet?との共同作戦。それは真実です。

 今後世界が何周繰り返そうと二度とお目にかかる事の無いような、この荒唐無稽な状況がいかにしてもたらされたのか。
 その背景について、これからお話しましょう。

 多くのプロジェクト、事件、そして物語と同じように、財団にとっての事の始まりは、あるオブジェクトの発見でした。
 我々は「色」、即ち特定の光の波長と、その「色」をした「粉」の製法を見つけました。
 その「色」を作り出す光の波長はUV-Bと呼ばれる紫外線の領域に存在していて、通常の人間に見えないだけでなく、地球上で知られている4色型色覚を持つ生き物でも、識別する事ができません。
 そして我々は、その「色」で光を反射させる粉末状の物質、即ち担当の研究者達が「粉」と呼ぶものが、自然にありふれたものから生産できる事も知りました。
 「粉」はその「色」以外の光をいっさい反射せず、少なくとも我々人類の眼には無色透明に映ります。手のひらいっぱいに掬い上げても、そこに何かがあるようには見えません。加えてその「粉」は無味無臭で、食べても害はありません。

 UV-Bの紫外線は日焼けの原因になる事で有名ですが、「色」の光はそのような生命体への影響力を持ちません。その「色」となる波長は非常に範囲が狭く、そこから波長が0.1 nm(ナノメートル)でもずれてしまうと、「色」としての特性はいっさい持たない、単なるUV-Bの光となってしまいます。
 更に、通常のUV-Bはガラスで遮られ、空気中を進むだけでも激しく減衰していきますが、「色」の光はガラスや空気を難なく透過します。即ち「色」の光は太陽から地上へと多量に降りそそぎ、また蛍光灯のガラス管を素通りして外へ漏れ出て行きますので、自然の光にも満遍なく含まれていると考えられます。
 しかしその一方で、財団の知る限り、「粉」以外の物質は「色」の光を全て透過あるいは吸収するため、通常は、太陽や電灯以外から「色」が観測される事はありません。「粉」だけが、その「色」を我々の眼球へと運び、識別できないはずの「色」の効果をもたらすのです。

 「色」の効果は、唯一にして単純明快です。
 その「色」を付与されたものは、美しく見えるのです。

 例えば、こんな実験を行いました。まったく同じ絵画のコピーを2つ並べ、30名のDクラス職員に見せて、どちらが美しいかと問いました。結果はあなた方の予想通りです――30名の全員が、困惑しました。
 次に、片方のコピーを、「粉」を混ぜたインクで印刷したものに変えました。30名の全員が、「粉」の混ざった方を美しいと答えました。しかし、その理由を具体的に話す事ができた者は1人もいませんでした。

 もう一つ、別の実験についても話しましょう。我々は俗に極楽鳥と呼ばれる、派手な外見や求愛行動で知られている鳥の中で、ハーレムを作らず、雌雄1羽ずつのつがいになる種類を実験対象に選びました。
 まずは、その鳥についてオスを11羽とメスを念のため15羽、それぞれ繁殖期を迎えた個体を同じ実験室に入れて、経過を観察しました。次々とカップルができていく中で、我々はあぶれたメスにすら見向きもされず、ただ虚しく求愛行動をし続ける「ソロプレイヤー」を見出しました。確かに彼のプレイは何だか拙い印象があり、体の色や模様も他のオスよりみすぼらしいように見えました。
 そこで我々は「彼ら」全員に記憶処理を施した後、「ソロプレイヤー」に「粉」を満遍なくふりかけました。実験再開後、全てのメスが「ソロプレイヤー」へと群がっていきました。メス達は前の実験よりも非常に興奮し、たった1羽の求愛行動を誰よりも近くでよく見ようと、互いに激しく押しのけあいました。完全に沈静化されるまでに、3羽の個体が混乱の中で事故死しました。

 他にも数え切れないほどの実験を行いましたが、全ての結果は例外なくある1つの推論を示しているように見えました。
 「美」の絶対的基準。
 少なくとも地球上の一般的な全ての知性体が持つ美的感覚を、その「色」は支配してしまえるかもしれない――その可能性を否定してくれる実験結果が現れることは、ありませんでした。

 この「色」は、人類を滅亡させたりはしません。我々の間で有名な「数字」「文字」のように、「文明」の機能に大きな障害を残すような事もないでしょう。
 もたらされるシナリオは中規模なAK-クラスのパラダイムシフトです。「色」が世界に広まるならば、芸術に限らず、視覚が関わる全ての「文化」が大きく変容する事が推測されます。人々の美的感覚からは一切の多様性が排除され、「色」の有無による格差が社会に現れ始めるでしょう。その過程で、極楽鳥の実験で見られたような狂気が人びとの間で起こる可能性は十分にあります。
 世界中が「粉」の散布などによって「色」に埋め尽くされるような事態はあまり現実的ではありませんが、不可能でもありません。そうなれば、視覚的な美の概念そのものが消え去るかもしれません。「粉」を至るところに散りばめた部屋での生活を1週間続けさせられたDクラス職員は、様々な精神鑑定の結果、見かけの美しさに対するいっさいの興味を失ったように思われました。

 既に皆さんの中で予想された方もいるかもしれませんが、我々は更に、著名な芸術作品のいくつかに「色」が使われていることを突き止めました。
 そういった情報を総合して、我々は「色」と「粉」に対する最終的な判断を、下そうとしていました。
 そしてその矢先に、前例の少ない、しかし決して初めてのことではない、状況の変化が訪れたのです。

 ある日を境に、「色」の波長と「粉」の製法に関して、担当の研究者達ははっきりと思い出せなくなりました。そして今では財団の誰もが、前述の情報における具体的な数字などを、資料の中から認識できなくなっています。
 「色」や「粉」が無くなったわけではありません。残った「粉」は、以前と変わらない実験結果を示しました。
 「色」を使って当時も活躍中であった芸術家たちは、多くがその輝かしい権威を失墜させていきました。

 言うまでもない事かもしれませんが、財団は世界の支配者ではありません。我々は世界中の、人類にとって脅威となりうる全ての超常的な存在を把握できているわけではありません。我々の全く知らない理由で、太陽が突然テレポートして地球を丸呑みにしたとしても、おかしくはないのです。
 あの時に起こったのは、まさにそのような事態でした。

 ほとんど振り出しに戻ったような議論を研究者達が白熱させていた頃、火に油を注ぐかのように、我々にコンタクトを取る存在が現れました。
 サングラスが印象的だったその人物は、Are We Cool Yet?の「メッセンジャー」だと名乗りました。
 メッセンジャーは「色」と「粉」、そしてそれらに関して我々が直面していた状況について、ほぼ正確に言い当てました。
 そして、「色」にまつわる、Are We Cool Yet?側の物語を話し始めたのです。

 Are We Cool Yet?と我々は、ほとんど同時期に「色」を発見していたようです。
 そしてAre We Cool Yet?の多くのメンバーが、アートの存在意義を壊滅させかねないその「色」を危険視しました。
 彼らは「色」を無力化させるいくつもの試みを行いました。しかし、Are We Cool Yet?内で共有されていた現実改変や時間操作の技術を惜しげもなく投入したにもかかわらず、「色」が世界から取り除かれることはありませんでした。
 最終的に、その「色」は太古の昔より存在する宇宙の基本的な法則の1つであり、無理に消し去ったりすれば、どのみち世界のありようは望まぬ形へと崩壊していくだろう、という結論に、彼らは辿り着きました。

 彼らは次々と匙を投げていき、「色」に対抗する意思を持っていたのはたった1人となりました。
 そのメンバーは池光子いけてるこという、Are We Cool Yet?をおちょくるようなニックネームで活動を行っていました。

 「池光子」の存在自体は我々も当時から把握していましたが、今に至っても、獲得できた情報はあまり多くはありません。
 それでも皆さんの中では、ある通説を聞いたことのある人も多いのではないかと思います。
 悪意の芸術家で構成されたAre We Cool Yet?の中にあって善意のオブジェクトを創造し、そのために他のメンバーから目の敵にされ、最終的にはバラバラに処分された「反乱分子」がいた、と。

 そしてその池光子は、こともあろうに「色」の第1発見者でもあったのです。

 周囲のメンバーが断念していく中、彼女はそれまでとは異なるアプローチで「色」へと立ち向かいました。彼女は「色」自体ではなく、我々人類のように「色」を受容する側の認識や記憶に着目し、それらに影響を及ぼしたのです。
 メッセンジャーは、池光子は「色」に関する詳しい情報を「自分の頭の中に独り占めした」と表現しました。世界中で、少なくとも我々人類が「色」の核心を思い出せず、認識できなくなるように。
 そして池光子は最後に、彼女のものとなった「色」の知識が尋問などの手段で引きずり出されてしまわないように、先手を打って、自らの首を断ったといいます。彼女の頭部は、人類の集合的無意識から「色」を隔離し続ける収容装置になりました。乾燥や冷凍によって保存しておくならば、その機能は遥か未来まで働くことでしょう。

 メッセンジャーの物語は、「池光子」に対する我々の認識に、思いもよらなかった視点をもたらすものでした――彼女は他者の手ではなく、自らの意思で犠牲になったというのです。
 もし彼女が通説のとおりに粛清されたのであれば、Are We Cool Yet?ならばそれを否認したりせず、寧ろ異端者を討ち果たした功績を嬉々として主張することでしょう。
 “あのガキ”は自身の散り様まで自分で決めたのだと、そう話すメッセンジャーの言葉は、私には信用に値するもののように聞こえました。

 池光子の行動原理が善意、すなわち自己実現や主張のためではなく他者への啓蒙であったのならば、たとえ「色」が世界を埋め尽くしたとしても、彼女の作品が完全に存在意義を失うことは無いでしょう。
 それにもかかわらず彼女は、純粋な芸術品としてのあらゆるアートを、Are We Cool Yet?の作品でさえも愛し、それ故に自らの未来を投げ出していったのだと、メッセンジャーは語りました。私は淡々と話しているはずのメッセンジャーの口調に、何らかの感情が秘められているように思えてなりませんでした。

 メッセンジャーの物語もいよいよ終盤に差し掛かりますが、ここで新たなキャラクターが現れます。
 我々は池光子に関する情報を追う中で、「弓」と呼ばれる人物の名を何度か目にする機会がありました。「弓」の名前は基本的に、池光子の作品をAre We Cool Yet?「らしい」ものに「改善」する存在として、我々の前に姿を現します。

 「弓」はAre We Cool Yet?の中で、「色」に対して肯定的な立場をとっていたメンバーの1人でした。
 その「弓」が、どうやってか池光子の頭部を手に入れた時点で、メッセンジャーの物語は打ち切られます。

 そして、物語の続きは、これより行われる作戦へと委ねられるのです。

 メッセンジャーは一通り話し終えると、ある葉書を差し出しました。それは「弓」からAre We Cool Yet?の各メンバーへ配られたというもので、葉書の裏側はある写真が全面に印刷されていました。
 その写真を見たときの事は、目を閉じれば今でも昨日のことのように浮かんできます。
 率直に話します――いや、今の私にはそうする事しかできません。
 ……青白いはずなのに朱が差したように感じられる健康的で柔らかな頬のライン、恐らくは保存液に満たされた中にあって、今にも生命の揺らめきが伝わってきそうな髪の毛の光沢。
 少女と形容しても良いような若い女性の生首が大写しにされているにもかかわらず、悲壮感やグロテスクな印象を与えることは全く無く、寧ろ安堵にも似た、それをずっとそばに置いておきたくなる感情すら、湧き上がってくるようでした。
 実際のところ、私はその顔の具体的な輪郭まで思い出せるわけではありません。ただただ鮮烈なイメージ、もたらされた情動だけが、私の記憶に居座り続けているのです。1つだけ確かな事は、彼女は目を閉じて、心地よい眠りについているかのように微笑んでいました。

 担当でない職員がその写真を見れば、それを美しく思わせる単純な精神影響の効果があるように思うでしょう。しかし研究に関わっていた私にはすぐに分かりました。
 この、「美しい」と思う感情は、あの「色」によるものであると。

 そう、私は今、「色」に惑わされています。「色」で化粧をした彼女の、きっと偽物の美しさに。
 私だけではなく、「色」の担当職員ならば多かれ少なかれ、「色づいた」何かにとり付かれている事でしょう。
 私は敢えて記憶処理を受けずに、このマイクに向かって話す事を決めました。それが事の重大さを皆さんに伝える一番の方法だと思ったからです。

 「弓」は池光子の「首」で何をしようとしているのか、それは分かっていません。我々の記憶にまだ「もや」がかかっている以上、少なくとも池光子の施した封印は今でも有効に働いているものと考えられます。
 今のうちに、我々は行動しなければなりません。世界の「美」を気まぐれで支配したり、転覆させたりしかねない存在から、「首」を確保しなければなりません。Are We Cool Yet?の中で「色」を危険視していたメンバー達は、「首」を恒久的に守り続けられる存在として、我々を選んだのです。
 勿論、皆さんと共に行動するAre We Cool Yet?の私兵たち、あるいはパトロンであるマーシャル・カーター&ダークの私設軍隊から間借りしているだけかもしれませんが、彼らを素直に信用するわけには行きません。それはメッセンジャーからも釘を刺されました。作戦に賛同したAre We Cool Yet?のメンバーの中に、確保の隙を突いて「首」を横取りしようと目論んでいる勢力があってもおかしくはないのです。
 我々はAre We Cool Yet?側の陣営を可能ならば利用し、かつ、いつでも切り捨てられるようなプランを綿密に検討しました。彼らはそのプランに異議を唱える事はありませんでした。きっと彼らも我々の警戒など想定ずみだったのでしょう。

 皆さんが向かう事になる「首」の在り処は、「弓」のアトリエであり、Are We Cool Yet?のメンバーからは「テアトル」と呼ばれている場所です。「弓」の得意分野は本来、絵画や彫刻、インスタレーション等ではなく、動画作品だといいます。
 Are We Cool Yet?から提供された情報の真偽を確かめるため、我々は既に「テアトル」へ先発の調査隊を派遣しました。彼らの残した記録に基づく資料を、後で配布します。熟読して、「脚本」に組み込まれてしまわないようにしてください。
 ちなみに調査隊は全滅しています。皆さんは「テアトル」の探索中に調査隊の生き残りを名乗る存在に出会うかもしれませんが、彼らは「配役」であり、もう人間ではありません。充分に注意してください。

 ずいぶんと長話をしてしまいました。そろそろ本作戦の司令官にバトンを渡して、具体的な作戦行動の説明をしてもらおうかと思いますが、最後にもう1つ、作戦が終わった後の話を――大切な、報酬の話をしましょう。

 作戦成功の暁には、皆さんの間で噂されている「Keter任務」の達成と同等の報酬が、確約されます。おおよその望みはかなえられる事でしょう。
 ですが皆さんが報酬を受け取る頃には、最早皆さんは自分がどれほど困難な任務を達成したのか、何も覚えてはいないかと思います。
 私もこの後、いち早く記憶処理を受けさせてもらう予定です。私が呼んだセキュリティに拘束されながら、ね。私が彼女の貌を忘れたくないと、土壇場で暴れだす可能性もある訳ですから。

 回収された「首」に対しては、正式なアイテム番号の付与は計画されていません。「首」はサイト1663-0のような施設の中で、可能な限り財団の内部でも秘匿されながら、保管される事でしょう。もちろん私が今言ったサイトの名前も、貴方がたは忘れる事になります。
 Are We Cool Yet?と手を結んだ事実も、闇に葬られるでしょう――きっと、彼らも同じようにすると思います。我々にとって彼らは、人を苦しめる創作を行う、反目すべき、ほとんど悪の要注意団体であり続けるのです。
 いつものように。

 そうです――この作戦の成功は、本来の報酬に加えて、どんな富や待遇よりも価値のある、かけがえのないものをあなた方にもたらす事を、私は個人的に保証します。

 これまでと変わらない日々です。

 それでは皆さんの健闘を祈ります。



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