寿司の名は。
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ここは財団傘下の病院の一室。個室となっているその部屋のベッドには一人の初老の男性が横たわっている。男の名は勝。「回転寿司 勝」の親方であり、財団にはSCP-1134-JPに指定されている。スシブレードに関する重要人物であったが、「闇寿司」と呼ばれる要注意団体に襲撃され現在は財団の庇護下にある。財団はスシブレードを悪用する闇寿司について調査を続けるも、彼らの活動は表沙汰になっておらず依然謎のままである。

病室にドアのノックの音。勝は身を起こし入室を促した。

「失礼しやす。寿司をお届けにあがりやした」
「あぁ。ありがとう西行君」

西行と呼ばれた男は財団ではSCP-571-JPに指定されている人型オブジェクトだ。しかし、特定の希少な物品を使用しない限り異常性は発揮されないことから、特例的にレベル0職員と同権限で財団の食堂に雇用されている。この二人の面会はスシブレードに関するより詳細な情報を得るために特例で許可されたものだ。両者が財団に対し協力的であり、適切な監視のもとであれば危険性は極めて低いからこそ成し得たものである。

勝は西行から貰った寿司折を開け、素手で寿司をとり食べる。箸と湯飲みはスシブレードの射出を警戒して持ち込みを禁止しているのだ。

「うん、おいしいよ。ありがとう西行さん」
「ありがとうございやす。それにしても、あたしの寿司なんかでよかったんですか?もっとうまい寿司なら、ほかにも──」
「確かに技術的にはまだまだ改善の余地がある。けれど君の寿司には美味しく食べてほしい、という真心を感じる。それがいいんだよ」
「おっと、こいつぁ嬉しいですね。励みになりやす」

西行は明るく答えたが、どこか声が弱弱しく聞こえた。勝はそんな西行の迷いを感じ取ったようだった。

「何か寿司で悩みがあるのかな。もしよかったら聞くよ」
「悩み、いえあたしは特に……うん、そうですね。ちょいと聞いてくれやすか。スシブレードのことなんですが」

勝の眼の色が変わる。

「あたしは寿司の幸福を願って握っていやす。けどスシブレーダーの方々の寿司を見ていると違和感を覚えるんですよ。回される、戦う、果たしてそれだけが寿司の幸せなんでしょうかねぇ‥‥?あたしにゃあそれだけとは思えないんですわ」
「西行さん……君には寿司の声が聞こえるかい?」
「寿司の声?なんですかいそれは?」
「本当に寿司に愛された、心が寿司と繋がっている者は寿司の声が聞こえるそうなんだよ」
「へぇ、そいつぁにわかには信じがたいですが。勝さんは聴こえるんですかい?」
「いいや残念ながらな。でも事実だ。その寿司の声が聞こえる子いわくな、寿司が一緒に回りたいって言ってるんだと」
「寿司が……一緒に……」
「寿司にもいろいろな奴がいる。回りたいもの。美味しく食べられたいもの。勢いよく飛ばされたいもの。様々さ。そいつらの意思をくみ取ってどういう寿司にしてやるか手伝うのが板前の仕事であり、スシブレーダーの腕だと私は思うがね」

真剣に勝の話を聞く西行。

「あたしには寿司の声は聞けません。ではどうしたら」
「そうだな。例えば、この寿司」

勝はサーモンの寿司を指さす。

「スシブレーダーが自分の寿司に名前をつけるのは知ってるね?この寿司は、私が握って回したらサルモンという名前で呼ばれる。……実はサルモンは我々が開発したスシブレードで、私がその名前を付けたんだ」
「え、そうだったんですかい?」
「うむ。かつて仲間とともにサルモンの設計を行っていたが、それをいかに作り上げるべきか私は悩んでいた。濃厚で脂の乗った鮭、元々江戸前寿司にはないためデータも少なく、どのような方向性の寿司にするかが見えなかった。サルモンという名前も全く出てこなかった。私はそんな状況を打破しようと、山へと籠もって研究をすることにしたんだ──」

その山には清流が流れており、鮭が豊富に取れ研究には申し分なかった。私は近くの集落に許可をとり、川沿いの山小屋に滞在することにした。

「しばらく、お世話になりやす」

集落の顔役とも言えるおばちゃんに挨拶をした。郷に入っては郷に従え。こういう土地では現地の方々の信頼を得ておくことが重要だ。

「あぁゆっくりしてけ。そだ、福天様にはお参りはしたか?」
「フクテンサマ?」
「ああ、ここの神様だ。よそ者が来てお怒りになるとよくねえ。あの川向うに神社があるから行ってきな」

有無を言わさぬ雰囲気だった。私は素直に従うことにした。神社に行く途中、何人か現地の人と会ったが、皆口々に福天様の神社に行くように言っていた。その口ぶりは敬意だけではなく幾分か恐れも混じっているように聞こえた。いざ神社につくと、ぴしりした張り詰めた空気を感じた。神社には狛犬があるものだが、それがなく大きな猫のような獣を象った石像が配置されていた。台座には「福天」と彫っており、福天様はこんな姿形をしているのだろう。私を手を合わせて一礼した。

ひとまずお参りを済ませ、私は昼食を済ませることにした。道中で購入した鮭一匹を、一太刀で両断し切り身に分けていく。そんな折、茂みからガサガサ言う音がした。神社は森に囲まれており、まさか熊が出たのではないかと恐れたが、出てきたのは真っ白な猫だった。どうやら捌いていた鮭がお目当てらしい。せっかくだから色々な部位を並べてやると、猫は待っていましたと言わんばかりに鮭に飛びついた。その様子を好ましく見ていると、

『名前をつけてくれ』

急に声がした。まさかこの鮭をぺろぺろと食べている猫がしゃべる筈はあるまい。だから幻聴か、それとも猫の思いを感じ取ったのか。なんにせよ猫、猫と呼ぶのも不躾だから名前を付けてやることにした。さてどうしたものか。相変わらず猫は鮭に夢中だ。

「お前はその部位が好きなのかな。脂っぽいから太っても知らねぇぞ」

猫はマグロで言うところのトロ、昨今の回転寿司屋で言うところのトロサーモンが気に入っているようであった。うん、なるほど。名前はこれでいいか。

「ようし、お前の名前はトロだ。どうだい?」

トロは一言にゃあと鳴いた。私はそれを肯定ととらえた。



それから数日。トロはときたま現れては私にエサをねだった。気のせいか、最初に見たころよりずんぐりとふてぶてしくなっているように見える。

鮭寿司の研究は相変わらず進展がない。今日も鮭を釣っては捌いて握って回すことを繰り返す。鮭の脂量を多くすることによって滑りによるスシブレードのスピードは向上するが、その分耐久性や攻撃力が低下しやすい。米の量でもスピードが変わってくるため、カスタマイズ性が高いと言えば聞こえはいいが、様々条件を検討する必要があるのだ。どのような配分にすればみんなが使ってくれるか、愛される寿司になるか、答えが出せずにいた。

「こんな寿司じゃだめだな」

気晴らしにと半ば自暴自棄気味に、脂の少ない引き締まった身を刃のように厚切りにして攻撃力を最大まで高めたスタイルで鮭を握る。試しに森の樹に向かって射出してみた。……予想以上の威力で木を何本もなぎ倒し岩につき刺さった。

「ちょっとやりすぎちまったな」

鮭を回収しなきゃと森に立ち入ろうとした瞬間、辺りに獣の唸り声が響いた。茂みに身を隠し恐る恐る声の方を覗くと、倒れた木の横で熊がのすのすと歩いていた。熊は私の1.5倍ほどはあろうかという巨体であり、明らかに気が立っているようであった。よく見ると肩に枝が刺さっており血が流れていた。今ならまだしも当時の私は修行中の身であり、熊と相対して無事でいられる保証はないため静かに身を潜めその場を去った。



翌朝、私は日用品などの補充を行うために集落へと下りた。しかしどうも様子がおかしい。人影が一切なく、静まり返っている……。

「アンタ、なにやってんだい!?危ねえよ!!」

静かにドアを開けて出てきた馴染みのおばちゃんが私を屋内に引きずり込んだ。

「いったいなにがあったんですか」
「村松さんちのとこの、た、たっちゃんがやられたんだ」
「やられた?」

私の頭にいやな想像が浮かんだ。額から脂汗が噴き出す。

「熊に、喰われたんだ。とびかかられて、ひっかかれてなぁ。ほんで……」

昨日会った熊に違いない。私が彼を傷つけたから暴れ出したんだ。

「きっとあの熊は福天様の使いなんだよ。福天様がお怒りなんだ……」

責任をとらなければ。私は家を出て駆けだした。

「アンタどこへ──」

おばちゃんの声を背に受けながら小屋へと戻り、対熊用のカスタムで寿司を握る。本来スシブレードはこのような用途に使うものではない。スシブレードは楽しむための競技だ。けれどこの事態を起こしたのが自分なら、その収拾はつけなければならない。

「にゃあ」

そんな緊迫感の中、トロが魚をさばくのを嗅ぎつけて現れた。すり寄るトロを私はそっと抱きかかえて机の上に載せ、鮭を与える。

「危ないからついてくるんじゃないぞ」

トロによく言い聞かせる。これ以上犠牲を出すわけにはいかない。意を決して小屋の扉をあけると熊が突進してきた。

「なぁっ!?」

あまりの不意打ちになすすべもなく吹き飛ばされ壁に体を打ち付けられた。用意していた寿司は散らばり、利き腕も恐らく折れている。

「トロ!逃げろ!」

せめてトロだけは守ろうと私は叫んだ。だがトロは私を守るように熊の前へと躍り出た。もちろん体格の差は歴然で、熊に叶うはずもない。このまま私もトロも死ぬのか。奥歯を噛み締めながらなぜこんなことになったのかと自問自答する。すると、頭の中に「福天様がお怒りなんだ」というおばちゃんの言葉が浮かんだ。この事態は福天様とやらが起こしてるとでもいうのか。ならば殺すのは森を荒らした私だけでいい。お世話になっている集落の人やトロが死ぬ道理はない。不条理に怒りを覚えながらも、このどうしようもない場面で私は命乞いにも似た祈りを捧げることしか出来なかった。

「福天様、助けてくれ」

そう叫んだ瞬間、トロが瞬く間に体が膨らんでいき大きな獣へと変化した。その神々しさすら覚える姿は、神社にあった福天様の像にそっくりだった。獣は襲い掛かる熊を事もなげにいなし、返す刀で喉元へと爪を突き立てた。熊は少しもがいた後たちまち力尽きたが、それを気に介することもなく獣はただ気高く悠然と鎮座していた。

「トロ、お前が福天様だったのか」
『お前が言うのならばそうなのであろう』

獣は悲しそうな目でこちらを見据えていた。

『お前がトロと呼んでいる間は我はトロでいられた。だが、お前は我のことを福天だと認めている。もうそれは覆せない。下賤なるものよ、お前が我を福天にしてしまったのだ。』
「トロ……お前はトロでいたかったのか。福天として崇めることのない一匹の猫として」

獣は私の問いかけには答えず背を向けた。

『我は神、お前は人だ。もう会うこともないだろう』

「そういって福天様……いやトロは姿を消した。あれからトロサーモンを持って何回か神社を訪れてみたが、未だにトロの姿は見ていない」
「ははぁなるほど、そんなことがあったんですねぇ……。で、今の話と寿司の気持ちに何の関係が?」
「あのとき私は名付けることの大事さを教わった。軽い気持ちでつけた名前でも、その名前はものを縛る。それで鮭の全てを引き出せていない私は、鮭の寿司に大きな方向性を決める名前をまだ付けないことにした。それが鮭寿司のためになると信じてな。だから、英語のSalmonをそのまま読んでサルモン。サルモンを回す人が絆を結びそこからまた別の名前へと変わっていきゃあいい。そういう風に可能性を残してあげたかったんだ」

寿司について熱く語る勝。その眼はまるで子供のように光り輝いていた。自分はここまで寿司に向かい合っていただろうかと、西行は感じた。

「わかりましたよ、勝さん。寿司の声が聞こえなくたって寄り添うことぁできるんだな」
「その通りだ。それに西行さん、君の真心こめた握りは寿司にも伝わってるさ」
「勝さん、本当に寿司の声は聞こえないんですよね?あたかも寿司の声を代弁しているかの用に聞こえるんですが」
「ああ聞こえない。でも、長年連れ添えばわかることもあるさ」

話は終わり、といったふうに勝はペットボトルに入ったお茶を飲む。

「そういえば、私が前会った闇寿司とかいうとこのスシブレーダー。奴さんは漬けマグロに名前はつけていやせんでした。あれも進化の可能性を見ているんですかねえ?」
「闇寿司を知っていたのか。だが、彼らは寿司の未来なんか期待してねえだろうな」

勝は西行が闇寿司の名前を出したことに内心で驚いていた。あの栄が親方となっているであろう闇寿司、それが一般の寿司職人である西行が知るほどに波及しているとは思わなかったのだ。

「闇寿司が行っている寿司の方向性を広げていく試み。それ自体は悪くない。寿司が世界に広がっている今、寿司の可能性も広がっているからな。私と一緒にサルモンを開発した仲間なんかアボカドと組み合わせた寿司も研究していたぞ」
「アボカド!そいつぁなかなかにハイカラでしたね」
「だが、闇寿司は寿司を道具としてしか見ていない。名づけもしない。寿司に寄り添うことなく、その寿司の魂を無視し捻じ曲げてしまう。あげく寿司を暴走させそれに気づかず自身も寿司に呑み込まれている奴もいた。だから、そいつは頂けねぇ」
「寿司の未来は、大丈夫なんですかい……?」
「……ぞっとしねぇ未来だろうな。私のこの傷も闇寿司にやられたものだ。たぶん私にゃあ闇寿司を止めらんねえ」
「そいじゃぁ──」
「けどな」

勝は思い出していた。あの日「回転寿司 勝」に入って来たまっすぐで清らかな目をした"彼"を。

「寿司の声を聞くことができたあの子なら。きっと闇寿司を倒し寿司の未来を正しい方向に進めてくれると私は信じているよ」

勝は窓から外を眺めた。沈みそうな夕陽が雲を茜色に照らす。西行も一緒になってそれを眺めた。





サルモンが相棒と心を通わせバーニングウルトラウトサルモンへと名前を変え、闇寿司を打ち砕くのはもう少し先のお話

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