SCP-000-I
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その日、サイト-19は消滅した。ただ一つの無線報告だけを残して。

サイト-01はその無線報告の解読を急いでいた。特に、その無線報告を直接受信した際の担当であった、サイモン研究員は日夜、各サイトの要人からのインタビューに追われていた。

「何度質問されても、私は『吸い込まれる』という一文の無線報告しか聞いておりませんとも」

サイト-20の最高責任者であったクラウス博士に対して、もう何度目かも分からない答弁をサイモン研究員は行った。その言葉を眉間に皺を寄せ聞いていたクラウス博士は、研究員に反抗的な態度が見られず、それ以上の情報も聞きとる事ができないとわかると、大きなため息をついた。

曰く、「消滅したのが直近のサイトであるからして、非常に落ち着かない気分である」と博士は語る。その言葉に、サイモン研究員は黙って頷くしかなかった。

現場の状況は、まるで何も分からないといった様相である。サイト-19が存在していた場所は、今や広大な面積の空き地と化し、そこに収容されていたオブジェクト、雇用されていた人材、何もかもが一晩で消え失せてしまった。ただ分かる事は、サイト内から逃げ出す事のできた人員が確認されていない以上、その消失はあまりにも突然訪れたという事だけであった。

「1本いいかい」と、サイモン研究員が返答する間もなく、白髪の老紳士は煙草を吸い始めた。ただ、その手は苛立ちか、それとも恐怖からか、小刻みに震えている。

彼らは日々、未知そのものと戦っている。それを「人類は恐怖から逃げ隠れていた時代に逆戻りしてはならない。」と語った事もあった。しかし、今の財団は恐怖していた。暗闇の中に覆っていた何かが、何らかの手違いで、バグで、不都合で、不具合で、不条理で、サイト-19に解き放たれてしまった。その結果、誰も何も知る事のないまま、静かに氷山の一角は崩れ去った。

「サイト-19には、あの彫像がありましたね」

サイモン研究員のその言葉に、老紳士の震えがピタリと止まった。そして、彼の口からは煙と共に「未だ発見されていない」という淡々とした事実だけが述べられた。
サイモン研究員はSCP-173の所在を確認したいワケではなかった。未だに何故か特別扱いされているあのオブジェクトが、特別扱いされている理由を知るまでもなく消失してしまった事が非常に口惜しいといった感情から、先の言葉が口をついただけであった。

「あれは……"始まり"なのだ。私達においての」

それをいかに察したのか、はたまたSCP-173に対しての思い出話とでも言うべきなのか。クラウス博士は顔をしかめて要領を得ない言葉で語り始めた。

「あれが存在してこそ、今の財団は存在している。逆に言えば、あれがなければ今の財団は存在していない。であるなら今、この時点で財団が機能しているのであれば、SCP-173は必ずどこかに存在している。私はそう確信しているし、他の連中も恐らくはそう考えているだろう」

「つまり、SCP-173は特別なのですね」

「そうだ」と満足げに頷いた老紳士は、二本目の煙草を取りだした。そして二本目の煙草に火を付ける直前、ライターを下げて、こう告げる。

「ただ、そう、SCP-173がある場所に、財団は存在しているのだよ」

その言葉の意味をサイモン研究員が聞き返す前に、クラウス博士は煙草に着火した。これ以上はもう何も語らない、という彼なりの意志表示であった。

それから幾分かの時が過ぎた。炎の寿命が尽きるまでの間、二人は何も語らなかった。聴取室の内部を紫煙が漂い、言い知れぬ倦怠感が彼らを覆っていく。

ただ、その倦怠感は聴取室のドアを勢いよく開く音と、「報告です!」の一声によって、唐突に破られた。

「サイト-20、サイト-81、サイト-45が立て続けに消失しました! また、確認できていませんが、オーストラリア大陸の一部も消失が始まっているとの事です!」

それはあまりにも現実感のない報告であった。サイモン研究員にとっては、あまりにもスケールの大きすぎる話であり、クラウス博士にとっては、とても信じられない報告であったからだ。

「ここは安全なのか」
「不明です」
「クラス5責任者は」
「不明です」
「私達の避難経路は」
「……」

クラウス博士からの立て続けの質問に、報告者は遂には黙りこんでしまった。その様子を見たクラウス博士も、蚊帳の外であるサイモン研究員も黙りこみ、奇妙な静寂が場を包んだ。
全てが想定外であり、全てが不明であった。それ故に、慌てられない、という表現が酷く正しく聴取室の中に蔓延していた。

静寂の中、喧騒だけがやけに五月蠅くサイモン研究員達に聞こえている。時折叫び声のように聞こえる二桁の番号は、新たに消失したサイト群であろうか。

「……次は、上手くやるさ」

そう言ってクラウス博士は聴取室から立ち去った。その言葉の真意を、サイモン研究員は理解する事はない。
続けて、報告者もまた廊下へと走り出していった。何の意味もない報告を、また各所へと伝えるために奔走するのであろう。
サイモン研究員は立ち尽くしていた。世界が終わるかもしれないというのに、あまりにも実感がなかった。一介の、無線を受信しただけの研究員に、この事実は重すぎた。

そうして、聴取室の風景が歪み始めた。壁の一箇所の点を中心として、周りの風景が液体のようにその中心へと凝縮されていく。
なるほどこれは「吸い込まれる」と表現するしかない、とサイモン研究員は納得した。目の前に迫った死より、その納得の方が彼に強く興味を持たせた。そして更に、彼は強い疑問を覚えた。この凝縮の果てには、一体何が待っているのだろうか。
研究員は凝縮から大きく離れるように歩き出した。聴取室は既に部屋の様相を失い、風景を失った空間は無として確かにそこにあった。深淵とも言える空間の中で、彼は自らの体を失い、意識さえどこにあるのかわからないまま、ただ足を動かす事だけの意識を割き続けた。

そうして歩き続けた男は、深淵の果てに、たった一台のコンピューターを見た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
財団 内側になった。
SCP-173 内側に入った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「実験は成功だ」と、一人の男はえも知らぬ境界線で呟いた。
173°の世界線はインターネットのサイトの中に収束した。暫くの間は、これで彼らの視線をそのサイトに集中させ続ける事ができるだろう。あの彫刻に、そう対処をしなければならないように。
男は一人、三つの円で形成された紋を翻した。彼は次なる使命を胸に、角度を渡り歩き続けなければならない。
興味という名の継続時間は比較的短い。それこそ、一生のうちの十分の一でも、そこに注ぐことができたのであれば、それは素晴らしい事であると言えるのだろう。だが、それほどまでに興味を注ぐことのできる場所は、人それぞれである。好き勝手にアイデアを放りこめるおもちゃ箱が欲しい人間もいるだろう。永久の箱庭の中で麻酔を打たれて、酩酊したように生きていたい人間もいるだろう。もしくは、この果てのない角度の永遠の探究者でいたい者もいるかもしれない。

彼らにとって、どうかこのサイトがそういった何かを包括し続ける場所でありますように、と男は願った。

「そろそろ君も行きたまえ。元々は、君もあの場所の存在だったのであろう?」

男が語りかけた右の掌の中に、実体は存在しえない。だが、確かにそこに彼の協力者は存在していた。軽度の喪失感と共に、彼はその場所にあった非実体が内側に入った事を知った。

「私も行こう。縁があれば、また遠い角度のどこかで」

立役者と一台のパソコンに別れを告げ、男は空虚と化した三次元をただ歩き出した。

SCP-2719 内側に入った。
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