思い出の味
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子供の頃、私が一番好きだった料理は父の作ったポトフだった。
母は私が物心つく前に事故で亡くなってしまったらしく、子供の時の思い出には父が常に一緒だった。町の小さな工場に勤める父は不器用で、しかし優しい人だった。休日には一緒に遊んでくれたし、金に少し余裕が出来れば遠出に連れて行ってくれたりもした。料理は苦手で、よく食材をダメにすることもあったが、ポトフだけはなぜか失敗することなく作れていたのを覚えている。何度か疑問に思ってそのことを尋ねると、父は決まってこう答えた。

「それはね、お父さんの思い出の味なんだ。ちゃんと作れたことはないんだけどね」

 

ある日、反抗期で若干ひねくれていた私は父と大喧嘩をした。きっかけはわからないが、大喧嘩の後はあまり会話をしなくなった。就職して家を離れてからは、仕事の忙しさと新しい人間関係に手間取って余計に父から離れるようになった。休日も部屋の中で疲れを取るために寝ているか、友人とクラブに遊びに行くかして連絡はほとんど取らなかった。夕食は基本的に外食だったが、たまに父親から教わったポトフを作っていた。たまに間違って2人分作っては、当時隣に住んでいた女の子におすそ分けし、それが縁で彼女と付き合うことになった。

 

29歳になって、お隣の彼女と結婚した。さすがにこういったことは報告しておくかと久しぶりに受話器を取った時、父は既に病床に伏していた。肝臓癌だった。喧嘩して以来酒の量が若干増えていたのと、元々あった病院嫌いが合わさった結果がこれだ。父はそう言って笑っていた。何年も連絡していなかったことを気にも留めず、妻に私のことを楽しげに話す親父を見て、私は少しばかりの戸惑いと多大な後ろめたさを覚えた。

 

それからは父を時々見舞いつつ、私は家族と過ごしていた。3人もの子供にも恵まれ、みんないい子に育っていった。休日にたまに料理をすることはあったが、ポトフを作ることはなかった。奥さんにせがまれたときはともかく、自分から作る気には到底なれなかった。

 

48歳になって、父が亡くなった。癌は治療したが、それから体調を崩しがちになっていたらしい。死期を悟っていた父が殆ど売り払ってしまったらしく、普段着が何着かと、エメラルドの結婚指輪1組、そしてあのポトフのレシピが書かれたノートだけが父の遺品だった。
娘がレシピノートを引き取った。何日か後にそのレシピで作られたポトフが夕食に出た。同じはずなのに、なぜか物足りなく感じた。

 

60歳になって、入院することになった。末期の癌らしい、今の今まで気付かなかった。
入院生活は憂鬱だ。家族は見舞いに来てくれるし、テレビ番組は面白い。孫もかわいくて仕方がない。けれど、父が死んだあの日から心に穴が開いたままだ。感情がそこから流れ出てしまったかのように、満たされない。
ある時、少し変わった医者が来た。スープを飲んでほしいという。少食になってきたので孫たちにも食べさせていいかと尋ねると、医者は頷いた。少しして目の前に蓋がされたボウルが置かれる。
スープの蓋をゆっくりと開ける。ポトフだ。不揃いの大きさの野菜がたっぷりと入ったポトフ。黄金色のスープでボウルは満たされていた。

 

一口、口に入れる。ああ、この味だ。刻まれた野菜が染み出し、目分量で入れられたであろう調味料と混ざり合った、この雑でありながら暖かい味。間違いなく、父が作ってくれたあのポトフの味だ。
喧嘩して口を利かなくなっても、このポトフだけは残さずに食べていた。自分で作ろうと思ってもうまくいかなくて、レシピを見つけてもやっぱり違って。しかしまたここで、巡り合うことが出来た。

 
 
 
 
 

ああ、よかった。もう、思い残すことはない。

 

 
 

SCP-348を使用した実験は、末期の病気を患う60歳の男性に対しても行われました。被験者と彼の孫達は、SCP-348の生成するスープを「彼が食べたもののうち、最も素晴らしいもの」と評しました。実験の後、被験者は「満ち足りた気分」だと述べ、病気による苦痛がやわらいだとも述べました。実験の一週間後、被験者は死去しました。その最後は安らかでした。

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