左腕の味
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All bulkheads in the site are currently closed.
All officials should wait according to evacuation manual.

[ノイズ]

<再生開始>

…えーっと、今は8月12日の…あー、時計合ってるのか?
おそらく、15時28分。場所はサイト-8181のB2、仮眠室の2号室だ。
状況を説明するとこのフロアに閉じ込められている。
えっと、アノマリーの軽い収容違反があったのは覚えてるんだが…。
ナンバーは知らない。私の権限では知り得ない存在かもね。
その時ちょうどこの部屋で寝てたんだが、収容違反があったという報告と隔壁を閉鎖する放送があったみたいだ。

通話機はあるけど…ほら、繋がらない。
このままだと外の状況が分からないな。
なので、今できる事を分析してみた。
食糧だけど、これは…徹夜用というか夜食か?
ベッドの下からカロリー高めのクッキーみたいなのが見つかった。
味は酷いけどね…機動部隊のレーションか何かかも。

やりたい事をリマインダーに纏めよう。
えっと、一応外部との連絡は試そう。こちら側の機器の不具合も視野に入れて。
隔壁の開閉機能はどうだろう。私が調整できるのだろうか。
食糧も探す必要がある。
とりあえず明日はその辺り確認しよう。

それじゃあ…寝ます。下手に動くのも面倒だし、時間が解決してくれるかもね。
録画終了。次は24時間後かな。

<再生終了>

サイト-8181内の地下2階。『仮眠室』と書かれた一室が、彼の寝床だった。
洗面台に簡易机。色褪せたベッドを部屋の片隅に置いた内装。
机に並んだPCからは保存されていた90年代の洋楽を昨日から流し続けている。
傍に置かれた通話機は誰も応えず、一人分なら大量にあった保存食はもう底をついていた。
空き袋は散乱し、自販機から購入した飲料の缶が山の様に鎮座している。
そのゴミの山で、私は目を覚ます。

<再生開始>

…これからこの通信はその日あった出来事を記録していこう。
あとは正気を保つ為に、かな。

24時間は経過したけど通信は通じなかったし、時間は解決してくれないかも。
今日はとりあえず食糧だ。両隣の部屋から保存食…同じ物を見つけたよ。
カロリーは結構ある。食事は一日一本と…水のがぶ飲みかな。
あー、あと自販機の飲み物か。
小銭は足りるかな…? あー、壊すしかないかな…。

あとは…隔壁も開けようと思ったが、ダメだ。
なんというか、質量的に無理そうだ。
こう…重機があれば持ち上げられそうな感じなんだが。
とりあえず、食事事情は数日は平気の筈だ。
脱出は難しいかも。少なくとも自力では…。

工具だ。工具が無い。ダクトを開けれるかもしれないが…。

昨日からずっとこのPCに入ってるジャズ?…を流しっぱなしだ。
タイトルはわからないな…詳しくないし。

気分はあの映画の気分だな…あの火星のSF映画の…。

まぁ、疲れたので今日は寝よう。時間は変だが。

あぁ…日付だ。記録しないと…。
えっと、8月の…12日だ。じゃあおやすみ。

<再生終了>

「──────。」

数日前から水しか口にしていない為か、私は、空腹で目を覚ます。
堪え難い空腹というものは吐き気を伴うらしい。
食物を求めて逆流する様な臓物を押さえ込もうと己の腹部を殴る。
楽になるかと思案し有りもしない内容物を吐こうとするが、ただ胃酸の酸味が僅かに舌に乗るだけだった。
最低限の設備は生きているのか、起床と共にPCの画面にはお決まりの定型文が流れている。

Good morning. August 12, 20██. 14:23. There is no plan for Dr. Toraya today.

PCが、室内の私をスキャンして自動的に私のIDでログインし起動する。
まともな職務に生きていた頃は必ず毎朝PCで見ていた。
気にも留めなかったが、今では感謝する一方だ。
この機能が活きている以上、私はまだ生きているらしい。
お決まりのPCの起動音が夢現で死んでいるのではないかという、状況に即した私の妄想を否定してくれた。


実際にその機能が使用された機会に巡り合わなかったので、この目で見るまで意識した事はなかったのだが、本来サイト-8181はアーコロジとして機能するらしい。
サイトが単独で稼働し緊急時には内部で生産と消費を自己完結しているのだ。
外で爆発的なパンデミックが起きようとも職員全員が職務と生活が問題なくできる様に2020年を目処に開発が進んでいると聞いている。

このサイトが万全な状態であるのなら、きっとこの食糧事情も苦労はしないのだろう。
張り付く様な空腹に、思わず悪態を吐く。

それでも空調が活きているのは本当に救いだった。
地下での酸素供給が断たれればお終いだ。
ダクトから供給される新鮮な空気が、私を目覚めさせる。

<再生開始>

あー、あー…えっと、8月の…今日は…あー…。
流石に誰とも会えないのは辛いな。
忘れてしまうような、気がして…。

[沈黙]

すまない…少しだけ泣きそうになったよ。
…食料が尽きそうだ。
このクッキーの欠片を3日かけて食べる。
その…もう限界だ。

[沈黙]

…このPCに洋楽に助けられてな。
きっと以前に使った人間が置いていったものだろう。
殆ど聞き取れないけど、自分以外の誰かの声が聞こえるのが…助かる。
その、少し寂しいからな。

…家族に会いたい。

[沈黙]

あれから…もう何日になるんだ…?

<再生終了>

目を覚ますと、私は今日もこの場所にいる。
鉄製の冷たい壁に覆われたこの部屋で。
胃を引き裂かれる様な空腹と共に。

Good morning. August 12, 20██. 15:43. There is no plan for Dr. Toraya today.

Good morning. August 12, 20██. 14:11. There is no plan for Dr. Toraya today.

Good morning. August 12, 20██. 16:09. There is no plan for Dr. Toraya today.

 
 
8月12日。
おはよう。私は、今日も目が覚めた。
 
 

<再生開始>

[時折聞こえる呻き声]

あぁ…時間か?
もう、一日経ったのか?
まだ、…まだ12日だぞ。

動かない方がいいから…。
暫く寝るよ。
疲れたからね、明日も作業の続きだ。

[沈黙]

暗いと、少し怖いな。

…[嗚咽]。

<再生終了>

『売切』の表示に満ちた自販機が並ぶ休憩室と書かれた看板を入り口にポッカリと広いスペースと暗い廊下。
廊下の先に鎮座し閉ざされた厚い合金製隔壁。
先程の仮眠室とこの20m程度の空間が、私の全てだった。

隔壁扉の先は何なのかよく覚えていない。
更に廊下が続くか、何か部屋があったのか確認する術はもう無い。
物理的な損傷で隔壁は開閉機能を失っている。外へ出ることも叶わない。

流れる電光掲示板からは数日前から変わらないメッセージを流し続けている。

I'm sorry. Can not receive signal.


バキッ、と重い音と共に鉄製の蓋が床に転がった。
このエリアに酸素を送り続ける唯一の通風孔ダクトの蓋が外れた音だ。

私は手に持っていた先の尖ったパイプ椅子の脚を投げ捨てる。
滝の様に溢れる汗を無様に拭いながら身を屈めて私はダクトの中を覗き込んだ。
先日から始めて実に18時間。蓋を殴り続けた掌からは出来た血豆が潰れていた。

ゴウッと、吹き付けられた風に目が乾く。
暗いが確かに、間違いなく先がある。
この空間が広がる────。それはあまりに甘美な響きだ。
この閉ざされた空間から手が伸びる。
実に███時間ぶりの出来事だった。
それが堪らなく嬉しい。

空腹も忘れその暗闇に手を伸ばす。
その先に送風機のファンがあるだろうが何処かに繋がるなら、行けるところまで。
灯りは無い。ただひたすらに進むのみだ。

私は腹這いでそのダクトを通る。
息をすれば床から反射し、頭を数cm上げれば天面に当たる様な狭い空間。
全身が押し込められる様な不快感。
それでも、動きは止めない。
視界はほぼ効かない。手を伸ばした先に床があり、壁と天井がある事を確認しつつ進む。
聴覚と触覚に頼り、暗闇に手を伸ばす。

「…っ。」

スパン、と伸ばした指が衝撃で跳ねる。
指先が暗闇の中で稼働する通風孔奥のファンに弾かれた。
回転するのファンの羽に触れたのだろう、弾かれた指先が嫌な音を立てて痛んだ。
暗闇故に傷の度合いは確認できないが、歯をくいしばる様な痛みが走っている。

僅か10m程度だろうか。天面に頭を擦りながら振り返ると灯りの漏れる入り口が小さく見えた。

バックして引き返し、ダクトから身を乗り出す。
見れば左手人差し指と中指の爪が割れていた。
特に中指が酷い。溢れた血が滴となって床に赤い斑点を残している。

“傷を洗わなければ。”

痛みで冷静になったのか、私は立ち上がり部屋に戻る。
鼓動と同時に垂れる血液を押さえながら、洗面台に体を預ける。
勢いよく流れ出した水流は指先の血液を絡め取って排水口へ消えていく。
痛みは退かないが、それでも赤い肉と血の色が薄まるのを見て、少しだけ落ち着いた。

「──────。」

ふと、目線を上げる。
本来なら割れた鏡には随分と窶れた自分が映っている筈だ。
もっとも、洗面台の縁に置かれた鶏肉料理の様相を呈していたが。
自分はどんな顔だったろうか。前までは自分の顔も見えていた筈なのに。

数日前からだ。私は、私の顔すらも認識できなくなっている。
元来のミーム汚染である。この環境下における精神的な疾患により、今まで以上に深刻になってはいるが。
その乾いた細くなった指で揚げ鶏の様な顔に触れる。

そもそも、人の顔とはどうだったろうか。
自分には自分の顔が分からない。

その鶏肉料理は、どんな味だったろう。
最後に食べた固形ブロックの保存食も糞不味い菓子の様だった。
ならばこの唐揚げはきっと、柔らかくそして旨いのだろう。

あぁ、腹が減った。

再び鏡越しに認識災害に侵された自分の姿を見る。
きっと素顔は窶れているだろうが、今目の前に見えるのは油が滴る食品そのものだ。

「────────。」

いけない考えとは思った。
膝から崩れ落ち、壁にもたれかかる。
指先からは新たに溢れつつある赤い体液を、細い舌先で舐める。
甘く、そして瑞々しい音がした。
唾液と絡まった血液が口内を満たす。

“あぁ、これが。”

唾液が糸を引いている指先から舌を離れると、私は袖を捲って己の腕を凝視する。
呼吸が荒い。私は何に興奮しているのだ。
ただ、“これからもっと満ち足りるのでは”という形容し難い高揚感が、確かに有った。
いいや、『唐揚げ』という食品はこんな色だった筈だ。
この腕は、この身体は。きっと────。

そして、ただただ空腹だったから。

舌から垂れた先走る唾液が皮膚を濡らして、まるで熱い接吻を交わす様に。
己の腕に深く、歯を立てた。
その役目を全うする歯で私は私自身の、他ならぬ自らの左腕を咀嚼する。
薄い皮と少し痩せた肉で構成された腕を私の犬歯が引き裂いていく。
ぐじゅり、と瑞々しい音と共に血肉の臭いが鼻腔を潜る。

肉をこんな風に頬張ったのはいつ以来だろうか。
ブチブチと、筋繊維の解ける音が舌の上で踊る。
止め処なく溢れる血液と共に血管が引き摺り出される。
皮膚が歯と手首を伝って引き裂かれ、ブチンと、千切れた。
滴る血液が口から漏れて、腕を伝って肘から溢れて床を濡らす。

口端から溢れるソレはまるで肉汁に似て、床を朱く染める
身に纏う白衣が、引き裂かれた皮膚が赤くなる。
血を啜り、骨に齧り付く。

何処か意識が薄くなるのを感じたとしても、止められなかった。
顔面から地面に倒れこむ。
薄い水面を跳ねる音が部屋に響いても、私は左腕から口を離さなかった。
視界が斜めに歪んで黒くなる。重力が有る筈なのに、上方と下方の感覚が不明瞭になる。
脳味噌がかき混ぜられる感覚。
私はそれが重度の貧血症状だと、何処かで気付いただろうか。
打ち付けた頭と呼応する様に、飲み込んだ“肉”を嘔吐する。

あぁ、でも。

 
────きっと、これが”美味い“んだ。
 

汚物に塗れ、床に這い蹲って。
使い物になるか分からない瞳を閉じながら。
朦朧とした意識の中であっても、私はそう確信したのだった。

 
 
 

Good morning. August 12, 20██. 16:09. There is no plan for Dr. Toraya today.

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