私の知り得る、最も賢い人
評価: +16+x

起こりうる未来……

ジャック・ブライトは「見学お断り」と表示された電子掲示板を通り抜けて進み、モノレールへと続く磨き上げられた階段を登って行った。そこには一両のモノレールが彼を待っていた。操作盤上の大きな赤いボタンが目に入る、「押してください」。

指示通りボタンを押すと、モノレールが山間に沿って滑らかに動き出した。強化ガラスの窓から見える景色はなかなかに壮観だった……朱色の夕日が、その光の方へ髪の毛のように細くのびるモノレールの架線に反射する、周り続ける世界最初のスペースコロニーのように。
飛行船が静かに山のそばを飛んでいった。その飛行船の新しい超重量級モデルの機体は、2000人もの乗客を運んで大西洋を快適に渡ると聞く。
新たな時代の始まりだった。

しかし、彼がここに来たのは過去の清算の為であって、未来の為ではない。

彼はモノレールを降りるとe-mailの指示に従い、澄んだアルプスの瀞へと流れゆく滝に臨む、ゴツゴツとした小道を登り始めた。その滝を一望できる崖に、一人の老いた男が立っていた。あらゆる物質から保護するため強化ガラスで覆われた真鍮盤を見下ろしている。彼の髪は白く、年老いて背筋も曲がっていたが、振り返ってジャックを見つめたその目は、かつて彼らが初めて出会ったあの日から変わらない鋭さと聡明さをたたえていた。

「やあ、アルト」ジャックは言った。

「アルト……アルト・クレフね。久しく聞いてねぇ名前だな」クレフは嘲笑った。長いこと、冷ややかに笑った。やがて彼はハンカチで口を押さえると、激しく空咳をしてぜいぜいと息を切らせた。赤い染みが白い布にひろがっていく。「新しい体か?よく似合ってるじゃないか」

ジャック・ブライトは軽く頷くと、彼の旧友の隣に立った。彼は嵌め込まれた真鍮の記念額を見下ろした。
「この恐ろしい場所で、モリアーティ教授によりシャーロック・ホームズ敗北を喫す。1891年、4月4日……か」彼は読み上げた。

「滑稽だとは思わねえか?シャーロック・ホームズは実在すらしてないっていうのに、記念碑なんか置いちまってさ。このライヘンバッハの滝は、かのアーサー・コナン・ドイル氏が辞世の作を遺した地らしいな。シャーロック・ホームズの最後の物語か……まぁ口やかましいクソみてぇな編集者やファンどもが彼に無理矢理新作を書かせるまでは、の話だけどな」
彼は水が撹拌されて白く濁る遥か下方を見た。
「想像してみろ、ホームズとモリアーティ、”名探偵”と”犯罪のナポレオン”は最後の瞬間まで奮闘した、ひっかいて殴って、数奇な運命に真っ逆さまさ。偉大なる二人になんてぴったりな最期だろうね」

「何が言いたい?」ブライトは尋ねた。彼はポケットに手を入れ、隠し持っていた小口径の拳銃に触れる。約束には武装するなと書いてあったが、彼は無駄にこれだけの長い時間を生きてきた訳ではなかった。

クレフはコートのポケットに手を伸ばした。くちゃくちゃになって汚れたピンクの紙片を引っ張りだし、ジャックに差し出す。年若の男はそれを注意深く読むと、やがて頷いた。「あとどのくらい残されてるんだ」

「もって二ヶ月だな」クレフは言った。

「私たちはSCP−500をまだいくつか持ってる」ジャックは言った。「GOCにとられて無くしたことにすれば、一つくらい持ち出せる。旧友のためなら、えこひいきだってするさ」

「それは良くないな」クレフは厳然と答えた。「一人の男が、自分の引き際に気付こうとしてるんだ。俺のことだがな……そう思ったのは先週、まだ若いkrogerがレベル4のタイプグリーンをたった一人で無効化したとの報告を受けた時だ。その無効化は俺が全くもって思いつかなかった方法で行われてた……アホみたいに素晴らしいぜ。そいつは、俺がこの仕事を始めた時にはまだ生まれてすらいなかったような子だ。そのとき俺は痛感したよ、やれることはやった、ってな。俺にできることは全てやった、これからは席を明け渡すのさ、子ども達が未来を作っていくようになる」クレフは微笑んだ。「だから、今こそ去る時だ」

「……なにか、私個人への皮肉めいたものを感じるな……」ブライトはゆっくり返事した。

「そうだな」クレフは言った。

「君は、私が死なないで、財団を存続させて、発展性のないものにすると思ってるんだろ?」

「俺は恐れてるんだ」クレフは言う、「財団で最も力を持ち、多大な影響力を誇る奴がSCPであることが、なにを示唆するのか。心配もしてる……今はまだ……今後百年間は大丈夫だろうが、だがいつか、お前は悠久の時を生き、もはや人間ではないとても異様な存在になる、そしてそうなった時、止めるにはあまりにも強大すぎる。脅威の花はつぼみのうちに摘み取らないといけねぇ」

「もし私が脅威にならないとしたら?」

「お前はなるさ」クレフはきっぱりと言った。「お前が人間でいられる間生きてるやつなんていない」

「それで、君は私を殺そうと、試しにきたわけか」ジャック・ブライトは結論づけた。

「俺はお前を殺しにきたんだ」クレフは訂正した。「試すんじゃねぇ、殺すんだ」

「で、一体どんな計画をたててたんだ?100年以上もの間、皆して私を殺そうとしてきた。私には、君が打開策を見つけたようには思えないんだが。」

「俺はやらねぇよ。Krogerがやるんだ」クレフは笑った。「言ったろ?そいつはアホほど賢いって。」

「なるほどね……で、どんな計画なんだ?」

クレフは彼に話した。ジャック・ブライトを殺すためにKrogerがたてた計画を、一つ一つ説明した。詳細を余すところなく、正確に、なぜ、どのようにしてその計画が行われるのか、なにゆえ誰にでもその計画を完遂できるのかを語った。最終的に、ブライトはクレフが正しいことを認める他になかった。この計画は完遂される。彼を殺し得るものだった。

「良い計画だろう、」彼は言った。「だが問題が一つある」

「そしてそれは……」

クレフが言い終わる前に、ジャックは拳銃を構えて彼を打ち抜いた。胸に二発、頭に一発。
A perfect Mozambique…。

年老いた男は崩れ落ち、崖から滝壺へと真っ逆さまに落ちていった。ジャックは拳銃をコートにしまった。「さよなら、アルト」彼は言った。モノレールへと戻ろうとして踵を返し、顔を拭う。それはきっと滝の水しぶきが彼の顔にかかったからだろうが、ライヘンバッハの滝は真水の筈なのに、ほんの少し、海水のように塩辛かった。

モノレールへと下っていって乗り込んだとき、クレフの言葉が脳裏をよぎった。

「俺はやらねぇよ。Krogerがやるんだ」

誰か、他に誰かが、ジャック・ブライトの殺し方を知っている。

そう気付いた瞬間、彼の借り物の心臓が縮み上がった。モノレールの肘掛けをきつく握りしめる、指の関節が白くなるほど強く。

いや……それだけではない。もしクレフの存在を知る者なら、GOC全体にジャック・ブライトの殺し方を知らしめることだって可能だ。1000以上の小さな集まりからなる、アルカイダよりも組織化された世界規模の組織、全てが全て、彼を見つけ出して殺す方法を探すのに熱中している……

唐突に彼は、彼の乗るモノレールがいかに脆弱かということに気付いた。小さく、取り囲まれ隔絶された空間、モノレールは架線に沿って必ず進む……殺害には絶好の場所だ。

彼は目を閉じ、命をさらう風に吹かれるのを待った。

しかし、その刹那は来なかった。

その代わりに、モノレールは山の麓へと辿り着き、ドアが開いた。装甲リムジンを停車させて、ドライバーが彼の到着を待っていた。
「ブライト理事?」Lynはジャックの肩に手を置いた。理事の真っ青な顔と小刻みに震える手を見て気遣う。「いかがなさいましたか?」

「いや、」ジャックは言った。山間を見上げる、遠い滝の轟音を。
「絶好調さ」ドライバーが離れると、なにかが不意にジャック・ブライトを突き動かし、彼は苦しげに、皮肉たっぷりに、高笑いした。

ジャック・ブライトもまた、SCP-963の殺し方を知ったのだった。


ここではないどこか……

「Kroger氏、よろしいですか」黒いユニフォームに身を包んだ男が問うた。

「どうぞ」クルーガーは言った。

「いや……」男が言った。男はクルーガーに一枚のカードを手渡した。それは真ん中にくっきりした黒のインクで描かれた旋回するシンボル以外は純白だった。クルーガーは理解した。

「トレブル・クレフ氏?」男は問うた。

「なんだ」クレフは答えた。

「よし」男は頷いた。「一つ、頼みがあるんだ……」

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。