ある重大な現実改変者についての会議
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ある重大な現実改変者についての会議



執務室報告・会議記録 5月6日


 他の部屋よりも凝った装飾に、敷かれた深い紅の絨毯。壁には幾人かの肖像画と、財団のシンボルがあしらわれた金属製の楯がかけられている。この日、サイト-81KAのサイト管理官執務室には5人の上級職員たちが集まっていた。執務机に腰掛けた初老の男性――沼月サイト管理官が、その鋭い切れ長の目をゆっくりと開く。
「全員集まったようですね。それでは、玉菜博士、報告をしてください」
 博士としては比較的若くみえる男が小さく返事をして立ち上がった。サイト-81KA現実改変部門の責任者、玉菜博士だ。
「報告します。5月5日――つまり昨日の16時23分、大規模な現実改変が観測されました。調査の結果、これは現実子異常型の現実改変者によるものでした。場所は、東京都大田区の交差点です」
 玉菜がそこまで言ったところで、古びた眼鏡をかけた痩身の男、氷錦博士が、その妙に整った姿勢を崩さぬまま、顔だけを玉菜の方を向ける。
「現実改変者の危険性クラスは?」
 彼らしい、無駄のない短い質問だった。
「周囲の現実性濃度の希薄化具合からして、対象の現実改変能は少なくともクラスB以上、僕はクラスAでもおかしくないと考えています」
「いや、待ってくれ」
 左手に包帯を巻いたやや肥満気味の男性、尾道博士が、その髪の薄くなった頭に手をやる。
「俺は現実改変についてはそこまで詳しくないんだが、クラスBが既に強力な現実改変者だろう? それを超えるクラスAって、対象のやつは一体何をやらかしたんだ?」
 尾道は、好奇心と不安が入り混じったような目で玉菜を見る。
「えーっと、この車見たことありますか?」
 玉菜はポケットから白い軽自動車の写真を取り出す。写真の車は今人気の自動車で、財団の駐車場にも何台か止められているものだ。
「ああ、わかるよ。精度のいい自動ブレーキで今人気の車種だろ? 俺も買おうかと思ってるやつだ」
「それです。その自動ブレーキです。それが現実改変で新たに作られたと考えられています」
「待ってくれ、話がよくわからないぞ?」
 尾道は額に皺を寄せて首をかしげる。
「この車種には、もともと自動ブレーキなんてついていなかったんですよ。ですが、今回の改変で、自動ブレーキ機能が搭載されていたということになった――と僕は考えています」
 玉菜の自信のない表情を、氷錦は見逃さなかった。
「なぜ、予測の域を出ていない?」
「……証拠が全くないのです。対象が現実改変を発生させたことは、対象の内部ヒューム値の上昇が確認できているので確かなのですが、あまりにも完璧すぎる現実改変で、僕たちは内部ヒューム値以外、まったく現実改変の証拠をつかむことができませんでした。この予測は、現実改変が起こったとみられる状況から予測したものにすぎません」
「その状況というのは?」
「対象の娘が交差点で車に轢かれそうになったものの、その車の車種がたまたまこれで、自動ブレーキが付いていたために助かった――という事故があったことが、付近の防犯カメラの映像と目撃証言で明らかになっています」
「多少の矛盾も残さないっていうのは、まあ、多分すごいことなんだろうな。現に俺はその車の購入を"ずっと検討していた"と思い込んでるわけだし。ったく、現実改変ってのはいつ聞いてもめちゃくちゃだよなぁ」
 尾道は深いため息をついて、頭を抱える。
 話を聞いていた丸眼鏡の小心そうな女性が恐る恐る手をあげる。君津倫理委員だ。彼女はサイト-81KA勤務の倫理委員のトップに当たる。
「あの……すいません。沼月管理官、私はなぜ呼ばれたのでしょうか? 私は倫理委員ですので、皆さんのお役に立てることはないと思いますが……」
 君津は、財団職員としては臆病な部類だった。ただでさえ、倫理委員会というのは"役立たず"だと思われているのに、その上、自分より高クリアランスの職員に囲まれて、彼女は今すぐにでもこの部屋を出たい気分だった。
 おそらく、そんな彼女の気分を察したのだろう。沼月管理官は少し表情を緩めて彼女に向き直った。
「そう卑下しないでください。我々は倫理委員会の働きを良く知っています。実を言うと、今回の事案は、非常に倫理的問題を孕んでいるのです。玉菜博士、問題の本質を説明してください」
「はい、みなさんこちらの資料をご覧ください」
 玉菜は4人に資料を配る。資料には、問題の現実改変者の情報が羅列されていた。
「対象は、東京都大田区在住の鏑木恭子。家族は娘の響のみ、母子家庭です。普段はいくつものパートタイム労働を掛け持ちしていて、周囲の住民からの印象は概ね好評。少なくとも過去5年の間、現実改変能力の使用は観察されていません」
「娘さんは高校生か。ちょうど金のかかる時期だな。それにしてもなんで現実改変を使わないんだ? 使えばもっと生活は楽だろうに。まあ、財団職員がこんなこと言うのも変な話だけどな」
 尾道はさも不思議そうに首を傾げる。
「ええ、問題はそこです。対象の精神傾向はD――これは"決心"、つまり、能力を封じて"普通"の生活を送ることを心に決めたということです。今回の現実改変は、娘が交通事故の被害にあいそうなところで、咄嗟の思いで発生させたものだと考えられています」
 現実改変者のほとんどは、最終的に自身の能力を悪用する方向に走る。精神傾向"Determination"クラスは、その法則から逃れる、数少ない例だ。
 ここまでの話を聞いて、君津は玉菜の言わんとするをこと察し、自身が呼ばれたことに納得したようであった。
「なるほど、そこで倫理委員の私が呼ばれたということですか」
「はい。クラスA現実改変者は通常ならばリスクが大きすぎるとみなされ終了対象になります。ただし、それは、精神傾向がいわゆる"通常"通りの、自分の能力を悪用する可能性のある現実改変者に対する対処方法です。しかし、ただでさえ非常に稀な"決心"タイプが、こちらも非常に稀なAクラスの現実改変能を保有する場合の規定はありませんし、前例もありません」
 玉菜は説明を終えて席に着く。
 それと入れ替わるように沼月管理官は立ち上がり、パンッと一度手を鳴らす。資料に落とされていた視線は全て彼に吸い寄せられる。
「玉菜博士、説明ありがとうございました。説明からも察しはついていると思いますが、今回の議題はこの現実改変者をどう扱うか――具体的に言うと、即時終了をするか、それとも収容するか、という話になります」
 しばしの間、静寂が訪れる。沼月管理官は静かに腰を下ろした。皆が俯き、思考をめぐらす中で、一番先に口を開いたのは、氷錦だった。
「即刻終了すべきでしょう」
 やはり、無駄のない、短い言葉だった。
「おいまて」
 尾道は冷静を保とうとしているようだったが、その声色にはやや熱がこもっていた。
「決断が速すぎる。まずは論点をはっきりさせるべきだ。そうだろう、君津委員?」
「あ、は、はい!」
 不意の指名に、君津の声が裏返る。
「倫理委員としては、リスク管理の面と、倫理面を考慮していただきたいと思います。倫理面というのは、具体的に申しますと、その対処が必要以上に残酷でないか、という話になると思います」
 君津は言うべきことを言えたことに、ひとまず少し安心して小さく息をついた。
「世界を滅ぼしうるものを終了する。これは必要最低限の行為だ。それ以下はない」
 氷錦はきっぱりと言い切った。尾道はぎりりと歯を軋ませる。
「少しは、対象の気持ちも考えたらどうだ」
 そういった尾道の目を、氷錦はきっと睨みつける。
「対象の感情は考慮に値しない」
 吐き捨てるように言った氷錦を、尾道は睨み返す。
「情状酌量しろっていう話じゃねえんだよ。これはリスク管理の話だ。終了計画が100%上手くいけば問題はないだろうが、仮に失敗して、対象が俺たちに敵意を持ったらどうする? 財団が消されれば? 俺はとにかく、リスク管理の面からみて、終了は得策ではないと考える」
 尾道の話に、君津は一定の理解を示したようで、軽くうなずいている。
「尾道博士の言うことには一理あると思います。私は、殺害ではなく、対象との平和的対話が最もリスクを抑えられる方法であると考えます」
 氷錦は呆れたように、玉菜に目をやる。玉菜は氷錦の意図を察し、語り始める。
「君津委員、その方法は非常にリスクが高いと僕は思います。対象に気付かれていない今ならば、遠隔からの狙撃で気付く間もなく終了してしまえる可能性がありますが、対象が警戒を始めてしまえば、もはや我々に打つ手はないでしょう。我々はいつ爆発するとも知れない爆弾を抱えることになるのですよ」
 君津はビクッと震える。玉菜と君津は同じクリアランス3の職員ではあったが、君津は玉菜という男がどこか苦手だった。尾道は眉をひそめながら、玉菜の方を向く。
「そりゃ、どっちにもリスクはあるだろうよ。どっちにもリスクがあるから、議論になってるわけだ。だから、ここはリスクの比較をしなきゃならねえ。報告を聞く限りじゃ、対象に悪意は感じられない。お前も言ったじゃないか、対象は能力を使うのを自ら封じていると。それなら、継続的収容のリスクは低いんじゃないか?」
 尾道の声にはやはり、隠しきれない熱がこもっていた。君津は、びくびくしながら口を開く。
「あの、付け加えさせていただきますと、対象の能力発生時の状況を考えるに、一番手っ取り早く娘を助ける方法はトラックを消滅させることだったと思います。それを行わなかったということは、対象は他人の命を尊重する思考がとっさにできるような精神傾向を有しているといって過言ではないと思います。ですから、継続的な収容が――」
「それはどうでしょうか」
 玉菜は、否定の意味を込めて、発言を遮った。
「”決心”タイプの現実改変者というのは、多くが”普通でありたい”がためにその能力を封じるんです。財団と関係した時点で、”普通でありたい”という目標は達成不可能になってしまいます。つまり、対象にとって財団との接触は、精神傾向を変化させるに足るイベントになるはずです。対話は非常に危険であると進言します」
「つまり玉菜、お前は終了を提案するんだな?」
 尾道の確認の声に篭った微かな怒気は、恐らく玉菜に向けられたものではなかった。
「そうですね。僕はリスク面から見て即時終了の方が可能性の高い選択と見ます。倫理面もまあ、問題ないでしょう」
 ふぅ、と、尾道が深く息をつき、天井を仰ぎ見る。
「わかった。俺も、即時終了に賛成しよう」
「えっ、いいんですか」
 君津が驚きで目を大きく開く。
「いいわけねえだろうがよ」
 尾道は額に手のひらを当て、瞼を強く閉じる。
「対象は何も悪いことはしちゃいない。しかも娘がいて、対象が死ねば、娘はひとりぼっちだ。そんな状況で対象を終了するのが"いい"わけねえんだ。ここが財団じゃなきゃな」
 君津は最後の一文を聞いて、尾道の言わんとすることを察して、少し俯く。自分の倫理委員としての未熟さが、先程の質問で露呈してしまったことを恥じたのもその理由の1つだった。
「正直、終了したくないんだ、絶対な。でもその感情に振り回されちゃいけねえ。感情を持っちゃいけねえわけじゃないが、それにはそれなりの義務がつきまとうんだ。感情を傷つけて冷静な判断を下す義務がな。玉菜の説明を聞けば、終了以外に手はない。俺は冷静に、そう判断しただけだ」
「そうだな」
 黙って話を聞いていた氷錦が口を切る。
「仮に終了が失敗したとしても、もし対象が本当に"人の命を尊ぶ"のならば、問題はないはずだ。どの仮定においても、即時終了はリスクが最も低い」
 氷錦の声に続く声はなかった。誰もが納得していたし、もうこれ以上言うこともなかった。尾道も、唇を噛みながら俯いているだけだった。
 それを頃合いとみて、静かに成り行きを見ていた沼月管理官が静寂を破る。
「玉菜博士。対象を終了できる確率はどれほどですか?」
 君津は俯き、尾道は噛み締めた唇を血で滲ませた。今、この発言をもって、終了が決定したことを、その場の誰もが察したのだった。
 玉菜は、つばを飲み込んで、一つ大きく息を吸ってから答えた。
「……6割、6割です」
 それ以上の言葉は、音にすることがかなわなかった。
 沼月管理官はまっすぐに玉菜を見据えていた。その眼には、ある種の覚悟が宿っていた。玉菜はそれにあてられて、身じろぎの1つさえ取れなかった。
「対象の望みが"普通である"ことであり、対象との対話が対象の暴走を引き起こしかねないという論理には一定の根拠があります。そうしてもう一つ、我々が考慮しなければならないのは対象の娘の存在です。対象は娘に何かが起こった場合は今回のように迷いもなく能力を使用するでしょう。対象が良心にあふれた存在であったとしても、能力の行使はCK-クラスシナリオに直結しかねません」
 沼月管理官は、小さく息を吸って、口をゆっくりと開く。
「対象の即時終了を提案します。異論はありますか?」
 誰もが、その問いに静寂をもって肯定を示した。沼月管理官の判断はあまりに合理的な判断だった。尾道も、小さく頷いた。
「では、君津倫理委員はこの結果を倫理委員上層部に報告し、許可を得てください。玉菜博士は、対象の終了計画を立案し、本日までに私に報告するようにしてください。氷錦博士と尾道博士は、玉菜博士の計画立案・実行に最大限の協力をするようにしてください。作戦の決行は2日後の5月8日とします。みなさん、議論へのご協力ありがとうございました」
 沼月管理官は、そう締めくくると、フレームの歪んだ老眼鏡をかけて、執務机に積み上げられた書類の束に視線を移した。
「それでは、失礼します」
 氷錦が執務室を後にすると、続いて玉菜が、そして逃げるように君津が退出した。最後に尾道が、その重い腰をあげて、ぽつぽつと悲しげな足取りで執務室を出ていったのを、沼月管理官は目で追った。
 すっかり静かになった執務室で、沼月管理官は一人、書類の処理を続ける。
 いくつかの書類を片付けた後、彼は何かに気付いたように、ふと手を止めた。
「……普通で"ありたい"ではなく、普通で"いさせてあげたい"、の方ですかね……?」
 沼月管理官は一瞬この疑問について思索するそぶりを見せが、すぐに気を取り直して書類の整理に意識を戻した。
 2つの違いは、彼にとって、さほど重大な違いではなかった。
 
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