最後のベル
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「患者の心拍数、毎分43回に減少。強心剤を投与します」

「投与確認。患者の心拍数、毎分54回に上昇、血圧回復、現在86の50」

「モルヒネを利尿剤と共に投与。酸素供給を20%引き上げろ」

「患者の意識回復。虹彩反応あり」

「先生……」

「心室に『芥子玉』を注入する準備を。心拍補助を行う」

「先生……」

「患者は身体を動かそうとしています。現在クラス2の固定措置を実施中です」

「固定を解除して。酸素マスク内のマイクを起動。お爺さーん、貴方の声が聞こえるようになりましたよ。何か話したいことはありますか?」

「先生……わし……わしは電話をかけたい……」

12年を老人の下で過ごした彼は、鋭敏に感づいていた。老いぼれが、こんどこそくたばるだろうことを。

12年。彼にしてみれば、それは大洋の中の1滴の水よりも無価値なものであった。彼らの種族は、宇宙と同等の存在であり、時間が流れ行くという概念はまるで持ち合わせていなかった。あのイカれた科学者が、偶然にも時空を操る術を編み出して、彼をこの世界に召喚し、その上、1台のボロ電話へと封じ込めなければ、彼は未だ元の宇宙にいて、悲しむことも喜ぶこともなく、何万億年もの時を生き続けたことだろう。

その後、彼は老いぼれに10元で買い取られ、家に持ち帰られた。

彼はこの重大な冒涜的行為に対して、猛烈な不満を抱いていた。原始的な道具に憑依させられたことはまだいい。低俗な次元において、原始生物の汚れた肢体に触れられたこと、そして、彼らの商品として取引されたことが、彼にとってこの上ない屈辱となっていたのだ。以前の彼であれば、見せしめとして、この星の存在を世界線から直々に消し飛ばしていたことだろう。だが、この宇宙の法則は、彼の能力に極めて強い制限をかけていた。今の彼にできるのは、憑依中の機械から、この星のネットワークへ自由にアクセスして、全知の存在と化すことくらいであった。

だが、サル山の大将になったところで、一体何の意味があるというのか。飼育員にでもなるつもりか?

結局、彼は己のできる中で、一番過激な抵抗手段に打って出たーー沈黙である。


SCP-CN-066-1はSCP-CN-066による通話を試みますが、本来のダイヤル先の代わりに、SCP-CN-066が返答を行います。SCP-CN-066-1はSCP-CN-066のベルが鳴った時も、積極的に受話器を取ろうと試みます。

老いぼれの話に付き合い始めたのは、ただ単に、サルに興味を抱いたからに過ぎない。

彼にしてみれば、この生命体は流れ星の如き短命な生き物であるにもかかわらず、その哀れなほど短い時間を、1台の無機物に向かって独り言を呟くことだけに費やしていた。朝から晩まで、子孫繁栄にも、娯楽にも打ち込まずに。優秀な生存戦略とは到底言えなかった。彼が解読した情報によれば、老いぼれのような生活を送る輩は、この種族の中でも稀有な存在らしい。

サルはサルでも、少しは面白味のあるサルじゃないか。無限の歳月を過ごしてきた彼の中に、初めて好奇心というべき感情が芽を出した。

一瞬のうちに、思考を巡らせる。老いぼれの過去は手に取るように分かった。老いぼれと血縁関係を持つ個体のいくつかは、この星で起きた自然災害によって、命を落としているらしい。この事実は彼を揺り動かすものではなかった。悠久の時の中で、無数の英雄や豪傑、乱世の梟雄たちが、時代という舞台に姿を表しては、次の瞬間にはもう、灰燼へと帰していく。彼らが所属していた文明の名を、彼は1つたりとも記憶していなかった。

とうに滅びたサルなぞ、覚える価値もない。

その一方で、老いぼれの戯れに付き合うことについては、彼は意に介することがなかった。ちょっと声を真似るだけで、昼から夜までくどくどと話し続ける奴をからかうことができる。これまでの生涯の中で、ある生命体にこれほどまでに寄り添ったのは、初めてのことであった。下等生物のそばで、取るに足らない煙のような話を聞くことは、ある種、新鮮な体験だったと言えよう。

「まあ、どうせ暇だしな」彼は思った。


█01█年██月2日、████省██市内のある住居から、突如として130デシベル以上のベル音が鳴り響き、通行人の注意を引きました。通行人が発生源を調べたところ、部屋の中で心臓発作を起こしているSCP-CN-066-1を発見し、救助に成功しました。

床に倒れる老いぼれを目にした時、彼の心臓は飛び上がった。

理屈から言えば、彼はこのような激しい感情を抱くはずがなかった。超新星が爆発し、十余りの有人惑星が吹き飛んだとしても、彼の心は波一つ立つことがない。後の回想でも、彼はどうして当時、あれほど慌てふためき、この世界の秩序を維持する組織に向けて、痕跡を残すようなことをしたのか、どうにも分からなかった。

恐らく、このサルが比較的面白味のある奴だから、捨てるには惜しかったのだろう。

まあいい。この老いぼれが奴らに保護されれば、私も少しは肩の荷が下りる。結局の所、奴は暇つぶしのオモチャに過ぎないのだ。面倒を見る必要などない。

僕はあの食っちゃ寝して糞をひり出す以外、何にも出来ない爺さんの脳が、止まったかどうかだけ知りたいんだ。
……
僕をあいつの病室に連れてってよ。あの老廃物にもそろそろお迎えが来るんだ、耳がまだ機能しているうちに、自分の下品さを分からせてやらなくちゃ。


彼の活躍のおかげで、老人の面倒は奴隷たちが見ることとなった。それ以来、彼は多くの手間を省けるようになった。もう出前を頼んでやったり、クリーニング屋に電話をかける必要もない。

変わらないものといえば、老いぼれが毎日のように繰り返す話くらいだろうか。彼はもはや、老いぼれが次に何を語りだすか、予想がつくようになっていた。

ユエや、今日は学校で何か面白いことでもあったかい?
ユエや、都江堰は最近、雨がザーザー降っておる。下校するときは、あまり走りすぎないようにな。
ユエや、明日は母の日だよ。ママにどんな贈り物をあげるのかなあ?
パパは最近、仕事が忙しいのかね?ユエはもう1月もうちに来ていないじゃないか。
スペアリブを買ってきたんだ。ユエはわしの紅焼排骨1が好きだったろう?週末、うちに食べに来なさい。
……

いくつかの質問については、彼は流暢に答えることができた。だが、いくつかの質問については、彼の全知をもってしても、のらりくらりと誤魔化すことしかできなかった。その場合、彼は落胆しながら受話器を戻す老人を目にすることとなる。

結局の所、彼は声真似しかできないのだ。

そのうち、老人の落胆する姿は次第に少なくなっていった。だがそれは、老いぼれが気持ちを整理したからではないことに、彼は気づいていた。

下等生物の思考能力は、歳を取るにつれ下降の一途を辿っていくものである。老いぼれはもう、耄碌が始まっていた。

彼には無尽蔵の時間がある。だが、老いぼれに残された時間は、既にカウントダウンを切っていたのだ。


声に応答して、大きな扉が開く。老人は病床がゆっくりと停まっていくのを感じた。全員の呼吸音が、この広々とした空間内に反響する。耳元の枕が除けられると、少女の震える声が耳に入ってきた。

彼は、鋭敏に感づいていた。老いぼれが、こんどこそくたばるだろうことを。

「ユエか。いや、決めつけてはいかんな……わしはお前が誰なのか分からん……だが……わしは何故か、孫娘の名前でお前を呼びたくなったのだ……」

ほら、やっぱりだ。老いぼれは事の真相をずっと知っていた。自らの作り出した夢から醒めないよう、ひたすらに自己暗示をかけていたに過ぎなかった。

脆弱な下等生物め。死に際になってもなお、私のことを案ずるとは。なんと浅はかで滑稽なことか!

だが……老いぼれが死んだ後、彼は恐らく、二度とこのような輩に出会うことはないだろう……

彼は老いぼれのナイトテーブルに置かれていた家族写真を思い出した。風船を手にし、口から歯を覗かせる娘を:彼は老いぼれが食卓に運んでくる料理を思い出した。茶碗と箸が4セットに、食卓に座るただ一つの後ろ姿を:彼は老いぼれが受話器を降ろして、住宅街の入り口を眺める姿を思い出した。老いぼれの期待を込めた眼差しが、失望へと染まっていく姿を。

以前の彼であれば、見せしめとして、この星を世界線から直々に消し飛ばしていたことだろう。

かつて、彼は果てしなき力を有していた。

今の彼にできることは、憑依中の機械から、この星のネットワークへ自由にアクセスすることだけだ。

違う。本当はもっと、沢山のことができるのだ。

だが、この宇宙の法則は、彼の能力に極めて強い制限をかけていた。

しかし、それには代償が必要だった……

彼らの種族は、宇宙と同等の存在であった。

割に、合うだろうか?

あいつが便所で手を洗うのを忘れた後に、急いであんたの受話器を掴んできたら……

あの老いぼれなどのために。

ならどうして、自分からベルを鳴らして、彼の命を救ったのだ。

奴に付き合っていたのは、単なる暇つぶしに過ぎない。

「お前にわしのくだらん話を聞かせ続けて、もうすぐ12年になる……本当に申し訳ないと思っているよ……」

いい加減なことを言うんじゃない。私が嘔吐できない電話機だからといって、むかむかすることが無いなんて思わないでくれ。

「ハハ……遂にお前の本心を聞けたぞ。わしはようやく……肩の荷が下りたわい……」

彼は沈黙した。彼はかつて、愚鈍な民族から天神として畏れられていたことを思い出した。魔法文明からは、神秘へと連なる至高の存在とみなされたこともあった。幾多の人間が、勝利のため、敵を討ち滅ぼすため、彼に力を請い求めた。無数の人間が、彼のイコンを造り出しては、日夜ひれ伏し崇めていた。

しかし、このような事態は初めてだった。矮小な生命が、彼の気持ちを理解し、心から喜びを抱くなんて。

ピーーー

心電図が、波形のない直線に変化する。

暫しの間、世界は静寂に包まれた。
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その場を離れようとするStocking博士。突然、受話器から雑音が聞こえてくる。

クソジジイ

雑音はすぐさま、プッシュ音へと変化する。音は次第に速さを増し、一繋ぎの音へと収束する。

アンタみたいな下賎な生き物に

Stocking博士はSCP-CN-066を掴もうとするも、あまりの熱さに手を引っ込めた。

慰められるなんて

彼女はSCP-CN-066の周囲の空気が激しくゆがみ始めたことに、目を丸くした。

クソ……

電話機の内部から、バチバチとショートする音が聞こえる。表面の亀裂からは、焦げ上がった黒煙が吹き出してくる。

情 な ん て 要 ら ね え よ !!!

一筋の眩しい光が、電話機から噴出する。それは迅速に病院を、都市を覆い尽くした。

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リン リン リン ~

リン リン リン ~




















びっくり仰天!四川の小学校で起きた不可解な出来事!

避難訓練をしていたら、本当に地震が来るなんて!

都江堰市の███小学校は、市内12箇所にある小学校のひとつだ。

2008年5月12日に発生した大地震の影響で、2棟の校舎は倒壊してしまった。だが驚くべきことに、生徒や教師は1人たりとも、傷ひとつ付かなかったのだ……

「なあ見ろよ。ネット上のニュースは、みんなバカバカしい見出しばっかりつけてやがる。命が懸かってる事態だってのに、こいつらの報道だと、まるで背後で何かの力が働いたみたいになってるじゃないか」

明るいリビングで、男がニュースを読みながら、ぶつぶつと文句を言っている。傍らにいた中年女性は笑いつつ、娘と祖父が旧家の荷物を整理している様子を眺めている。

「それに関しては、センセーショナルな見出しのせいにしない方が良さそうよ。学校の件には、けっこうあやふやな所があるのよ。あの日の私たちを、外の人間は幸運だって言うけれど、実際は全然違うもの」女は振り返って、険しい表情を作る。

「校長先生があらかじめ、避難訓練の予定を組んでたんだろう?」

「訓練を指示したのは、確かに校長先生だったけど」女がうなずく。「でも、気まぐれとか未来予知とかじゃないの。教育局から電話で通知が来たんだって」

「教育局が指示した、臨時の訓練だったのか……でもどうして、ユエの学校だけに指示したんだろう?メディアはこの事実を、なぜ報道しないんだ?」男は不思議に思いながら、携帯を置いた。

「一番おかしいのはそこよ」女が眉間にシワを寄せる。「後で分かったことなんだけど、あの日、教育局は私たちの学校に、1度も電話をかけてなかったのよ」

「なんだって?」男は驚いて、危うく携帯を床に落としそうになった。「じゃあ、校長は誰から通知をもらったんだ?」

「分からない。校長が言うには、電話番号と声は教育局長のもので間違いないはずなの。でも、電信局の調べでは、いかなる通話記録も残っていなかった。オフィスにあった電話機は、廃墟に押しつぶされて、バラバラに砕け散ってるわ。年配の先生方なんて、これが神か仏の御業だと噂してるわよ」

2人は目を合わせ、言葉を詰まらせた。

「ねえねえお爺ちゃん、この電話機って、かけれるのー?」

子どもの弾むような声が、リビングの沈黙を打ち破った。

リビングに隣接する書斎。古ぼけた電話機を抱えた娘が、椅子に腰掛けた老人に尋ねる。電話機の表面にはいくつもの亀裂が走り、ボタンと受話器の周りには、焦げた跡まで残っている。

「ユエは良い子だねえ。お爺ちゃんに見せてごらんなさい……うん、おや、この電話機は……?」

老人は電話機を手にした途端、疑わしげな目つきに変わった。

彼はいつからこの電話機を持っていたのか覚えていなかった。携帯がこれだけ普及している昨今、固定電話を設置しない家庭も少なくない。まして、こんなボロボロの電話機である。たとえ若い頃に使っていたものだとしても、すぐにでも捨てるべき代物であった。それがどうして、自分の貴重品保管箱から出てきたのだろうか。

しかしながら、眼前の電話機について、彼はほんの少し、知っているかのような感情を抱いていた。まるで、どこかで会ったことがあるような。さながら……

さながら、十年来の親友のように。

「父さん、片付けの方はどうなってます?終わったら、廃品回収に連絡しちゃいますよ」

息子の妻からの声が、老人を恍惚から呼び戻した。彼はそっと電話機を置くと、身を起こして戸棚を開いた。そして、布で内張りされた箱を探し出すと、古電話をその中にしまい込んだ。

なぜ電話機を残そうとしたのか、彼自身にも分からなかった。新しい家には電話線が通っていない。こんなボロ電話など、絶対に使えるわけがない。

それでも、老人は感じていた。これは自分にとって、とても重要なものだということを。

家族と同じくらい、大切なものだということを。


夜が更ける。老人は既に眠りの中だ。

窓から入り込んだ月光が、棚の上に置かれた電話機を照らし出した。老人が旧家から運び出し、頑なに残そうとした古電話だ。

電話機の表面にはいくつもの亀裂が走り、ボタンと受話器の周りには、焦げた跡まで残っている。

恐らくこの電話機は、二度とベルを鳴らさないだろう。

それはの、最後に鳴らしたベルであった。

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