忘却のあと
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ゆっくりと目を開けると、そこは一面の花畑だった。

よく見ようとして身を起こそうとしたが、身体が言うことをきかない。身体を起こすのは諦め、ぼうっと空を見上げてみた。空は目にしみるほど青く、視界の端々には淡い水色をした小さな花がちらちらと見える。どこか懐かしい、綺麗な花だ。



──ここは戦場だった。戦場だった、筈だ。花の根元の方に散らばる誰のものかもわからない銃剣や日本刀、ぼろぼろになった紐綴じの紙束だけが、この場所で何があったのかを物語っている。お国のために流された沢山の血が、この場所には染み付いているのだ。

ただ、上官殿やここで共に戦った戦友達についてのことを、何ひとつとして思い出せない。何故だか誰の屍体も見当たらないことも、かえって不気味に思える。私一人で戦っていたということは有り得ない。では皆、屍体の様に見えた私を置き去りにして引き揚げてしまったのだろうか。

……

……ああ、思い出した。この花は勿忘草わすれなぐさと言ったか。母さんが好きだと言っていた花だ。懐かしいな。昔、この花の名は本当はもう少し小難しいのだと教えてもらったが、どんな名だったかは忘れてしまった。

……

そういえば、故郷くにに残してきた家族は、今頃私の帰りを心待ちにしているのだろうか。皆、無事で居るだろうか。私がここで散っていったあとも、それを知ることなく、私のことを忘れて生きていくのだろうか。

嫌だ。

死ぬのは一向に構わない。お国のために命を捧げられるのならば、これ以上に名誉なことはないからだ。だが、私の存在が皆に忘れ去られてしまうことだけは我慢ならない。ここでただ一人、忘れ去られていくのだけは、絶対に……。

……

視界が少しずつぼやけ、空の青と花の色が混ざってゆく。ああ、眠い──

いやだ 忘れられて堪るものか いやだ




かつて、この美しい花畑は、血に塗れた戦場だった。今は墓標も亡骸もない、忘れ去られた英雄達の墓場である。

男が横たわっていた場所には、小さな水色の花をつけた草がそよそよと揺らめいているだけだった。

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