第四の蒼馬 (悪童たち)
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われは見ていた。そして見よ。蒼馬の騎士である。彼のものの背に座すのは死であり、冥府がその背後に付き従っていた。更に彼のものどもに地の四分の一に及ぶ、剣、飢え、死、そしてこの世の獣で命を屠る力が授けられた。


死なずの怪物は寝返りを打った。終わりなき苦痛に身体を痙攣させていた。

酸性の水槽、あるいは放射線、あるいは投与されて体内を巡っている化学物質による痛みゆえではなかった。そんなものは辛うじて感じられる程度だった。事実、人間どもがどれ程この肉体を破壊同然まで持って行けても、人間どもから受けた仕打ちから感じられる痛みは皆無も同然だった。どれだけのものであっても、どれだけの仕打ちを受けたとしても、どこに行ったとしても苦痛は変わらなかった。感じている時に限って苦痛は弱体化こそすれど、決して治まりはしなかった。

ある声が死なずの怪物の心中に響いた。

お前は長きに渡る苦しみに耐えてきた。お前に対する罰は終わった。

様々な感情が死なずの怪物の心中を駆け巡った。理解不能さと不信感があって、その後で歓喜が、それから後悔が、そして悲哀が続いた。

一切の罪は許される。いま一度、お前は私に従うのだ。そしてお前は二度と私の目の前から去ろうとするな。

死なずの怪物は高揚感を抱いた ― これまで以上の報恩の念と高揚感であった。


エリア-302の新しい囲い地にある展望デッキから、アルト・クレフ博士はSCP-682を眺めていた。あの怪物は巨大拘束タンクにて苦悶していた。バイタルサイン上の計測値からは無意識だと裏付けられたが、その口は動いていた。新しい酸混合物を介して、相変わらず急速に再生を遂げているのが分かった。だが混合物は見事に効いていた。K103粒子衝突と併用する形で、この化学薬品混合物は内部タンクのスロットから発射されるダーツによって、定期的に怪物の静脈へと投与されていた。

本音を言えば、SCP-682には死ぬほど辟易していたので、この収容が完璧に上手くいって欲しかった。何年にも及ぶ終了試行の失敗の数々。繰り返される収容違反。死者数は何千にも及んだ。この死亡者一覧入りした人々の中には彼の知人もいた。余りにも多かった。

新たに建設されたエリアへの輸送中に682が様々な場所で収容違反を起こすのを、クレフは心底期待していた。サイト-19の初代収容チェンバーから引っ越した際、彼は収容違反を期待していた。過去2週間、彼は収容違反を起こすのを期待していた。そして、彼は依然として今になっても収容違反を起こすのを期待していた。

だが今のところ全く…。

唐突にSCP-682が動かなくなった。同時にモニターには警告表示が出た。

一読するやクレフは目を細めた。


死なずの怪物の全身が光に包まれていた。酸と放射線と化学物質から受けた影響は無くなっていた。苦痛と憎悪と恐怖は水の如く流れ落ちていた。

死なずの怪物にしてみれば、何千年ぶりに初めて目を開くかのようだった。

かつて罪業の数々ゆえに罰として切り落とされていた巨大な翼が、再度生えていた。

翼を広げ、飛び出したのだった。


混沌としていた。682は槽の壁面を引き裂き、それから内部の収容チェンバーの壁面に手を付けた。MTF部隊が二次収容チェンバーへと到達し、発砲を開始した。クレフはこれから起こるであろう光景を見るまで待たなかった。展望デッキを後にした。

このペースならば、682は数分内に収容違反を起こす。そうなってしまえば、再度収容されるか最終手段の核兵器が起動されない限り、大勢の人間の命が奪われる。クレフはそこまで待っているつもりは無かった。

展望デッキ奥のオフィスへ赴くと、金庫を開き、緊急時用の銃を取り出した。

"銃"というのには不十分だった。恐らく"機関砲"がより打ってつけな表現になるだろう。PSX820は90年代のビデオゲームから飛び出してきた男らしさが色濃く表れた化け物だった。途轍もなく金食い虫の武器であり、本来は異常性を備えた重装甲車を破壊するために設計されていた。力加減と使用者の照準の精度に左右されるが、テストにおいては、682の質量を最大65%減らした。

クレフは近距離からの射撃の名手ではなかった。完璧な目盛付きスコープが無かったとしてでもである。だがこのような機関砲にもなると、実は狙う必要が無かったりする。

彼はエレベーターに乗り込んで、外部収容チェンバーへと降りて行った。着いて間もなく背後からの騒音から判断して ―

682が三次収容扉を突き破って入ってきた。ぐずぐずせずに、クレフはそのまま怪物の顔面に機関砲の銃撃を浴びせた。

水撒き用ホースを噴射したかのように、怪物へと浴びせられた銃撃は穏やかだった。

巻き毛が682の身体から生え、クレフの肉体を引き裂いた。

異なっていた。どこか ― 変わっていた ―

衝撃があり、その後で意識を失った。


暗闇が僅かな時間の内に薄れていった。

クレフは身体を支えようとした。ベルトに取り付けられたプラスチック爆弾のケースに手を伸ばそうとしたが、望みの方向に指は動かなかった。殆ど動かせなかった。

682は忙しなく外側収容チェンバーを彷徨い歩いていた。だが、以前の682とはすっかり違う見た目をしていた。全体的に蒼白い色をしていた。相変わらず見た目は爬虫類の類だが、大部分が毛皮と棘で覆われていた。トカゲというよりもライオンじみた動きであり、羽毛の様なたてがみを備えていた。

背中には折り畳まれた2枚の翼があった。初めて見るものだった。

「クソッ…ラメントの奴」クレフが呟いた。「てめえのケツを思いっきり蹴っ飛ばしてやるからな、もし…。」

もし682が今回も無視したままであり、彼を殺すという役目を果たさなければ。もし彼が出血多量で死ななかったのなら。もし彼が救出されて恐るべき682感染症の類で息絶えなかったのなら。もし彼が生き延びて再度歩けるようになったのなら。途轍もなく大きな「もし」が幾つもあった。

そして682は彼に視線を向けた。6つの反射する目が毛の生えた顔にて瞬きをした。

「ラメントだと。」 682が言葉を発した。 「その名前には馴染みがあるぞ。」

クレフはこれまでに、通常アクセス可能な文書に記録されている、ただ一度だけ682が言葉を発するのを聞いた経験があった。「忌まわしい。」どういうわけかしわがれた声で英語を喋ったのだ。聞き出せた682の心理状態についての理解は殆ど何もなかった。正式なものではないが、研究者は大抵人間性から推測を始めていた。現実改変の類で何かしら不具合が生じた。

今やその声は違っていた。喋っていたのは英語ではなかった。異質な歌に似た音であったがどういうわけかクレフは完璧に理解していた。

「そうだ。トロイ・ラメントだ。ジェレマイア・コルトンとして生を受けた男だ。貴様らに新しい檻を設計した収容スペシャリスト。」

会話ができていた。それに…ジェレマイア・コルトンとは?

「何について話してるかさっぱりだが」クレフは言った。「教えてくれないか?」

682は躊躇っているかのようだった。 「あの男は偽りの名を持つ貴様らの仲間ではない。貴様が何者かは知っているぞ、アルト・クレフよ。」

クレフは笑い声を漏らした。眩暈めまいがしてきた。「だったらこの収容サイトで人間を殺していったら、どうなるか知っておけ。チャウダークレフ・収容プロトコルが発動するぜ。そしたらドカーン、ドカーン、お家に帰るまでずっとドカーンだ。それも始まりでしかない。自分が痛みを理解していると本気で思っているのか?お前には想像もつかないものだぜ。どんなに小さな手掛かりさえない。俺が仕掛けた計画は地球の滅亡とその後先までお前を苦しめるのさ。」

「嘘だな。チャウダークレフ・収容プロトコル等というものは存在しない。貴様が何者かは知っているぞ。何物なのかもな。」

「勿論嘘さ。」集中しろ。集中するんだ。「俺は悪魔だ、忘れちまったのか?俺が意識不明になったとお前が思っていた丁度その時に、俺はお前を止めに戻ってきた。咆哮する獅子の如く地球を彷徨い…。」

「かつては貴様は愛されし女神だったのだろう、魔性の母だ。」682は言った。「しかしそれだからといって貴様が悪魔になったわけではない。」

「リリスのお決まりのギャグを真面目に受け取ってんのかよ、けどお前は俺を細切れには出来やしないぜ…」クレフは咳き込んだ。「粉炭か?」血だった。案の定。「どの道、お前にはしてやられた。」

「貴様を殺しはしない。動けなくするだけだ。我が去れば、貴様は下っ端どもに回収される。回復には数週間を要するだろうが、いかなる方法でも財団が治療できぬ後遺症を負うわけではない。」

「ほお、そりゃまた…素晴らしい。結構親切じゃねえか。」クレフは言った。「俺達は今や通じ合った仲間か。え?違うか?」

682は数多の眼で彼を見つめていた。

「それでクソ忌々しくも唐突に喋ってきやがったわけだが。どうして俺を殺さない?」クレフは尋ねた。

「死が大挙してやって来るだろう。」 怪物は答えた。 「その動機は様々で、我の場合も同様だ。」

「そ…その時がお前の収容セルに死神どもが俺を投獄するっていうのか」クレフは言った。「だったら何故俺を殺さない?」

「貴様が何者だったかは理解できずにいた。貴様に成された変化ゆえに。おかげで手を出せなくなった。困惑があった。恐らくお前はあやつの手先の1人、遂に我が下へと至った者だと思った。考えた結果…どうでもよくなった。今や美しく栄誉ある姿を取り戻した上に、お前が何者で何物なのかは分かった。」

「美しく栄誉ある姿だと?結局のところ、お前は一体全体何物なんだよ?一体全体何をしているんだ?」

「待っていた。他の顔触れは既に乗りて先へと進んでいる。支配、戦争、飢餓。残すは我のみ。」

「…黙示録の四騎士ってわけか。」クレフは純粋に信じられないとばかりに笑い声をあげた。「それでお前は…何になるんだ?支配、戦争、そして飢餓….だとしたらお前は死か?」再び笑い声をあげた。「死か。へっ。どう呼ぶべき…」

「我は死に非ず。」 682は言った。 「彼女の乗る馬だ。」

「彼女の乗る馬?」

「左様。我が乗り手を待っていた。」 682は唐突に天を仰いだ。「彼女は来た。旅立つ時だ。」

「待て!」クレフは集中しようとより努力した。「何故俺を殺さないんだ?お前の乗り手ってのは誰なんだ?何を企んでいる?何を…」今の時点で聞いておくべきだった質問が更に出て来た。あの怪物相手に更に時間を稼ぐ必要があった。出来る限り情報を入手しておかねば。だが出そうとする言葉の数々は砂粒の如く、意識から零れ落ちていった。

「正しいか間違いかは知らぬ。だがアルト・クレフよ。謝らせてくれ。」

クレフはその言葉をすぐには理解できなかった。視界がぼやけていた。

「すまないだと?何故だ?お前は言ってたよな…俺を殺すつもりはないって。」

「貴様と貴様らに対しての行い全てに対して謝らせてくれ。我が殺した全ての罪なき者達に対して謝らせてくれ。貴様らの知らぬ全ての我の行いに対して謝らせてくれ。のみならず我に非は無いにしても、 貴様らが失った他の全てのものに対して謝らせてくれ。あらゆるものへの償いに対して我が無力である様を謝らせてくれ。我が主が呼んでいる。」

クレフは機知に富んだ返答を思い付こうとしていた。一切がぼやけていた…。

「何より、これより来る一切のものに対して謝らせてくれ。」 682が立ち去っていくようだった。 「さらばだ、アルト・クレフよ。」

アルト・クレフは再び意識を失ったのだった。


監視カメラログx16012113441からの抜粋。日時 █-██-████

<██05> バイオハザードレベル4警報発令。収容違反の多発により、サイト-17に前倒しでロックダウンが発動される。

<██56> SCP-098実例群がサイト-17に侵入。SCP-098実例群はこれまで見られなかった振る舞いや形態を示す。

<██08> サイト-17セキュリティチーム・ブラボーが廊下C-10においてSCP-098と交戦する。

<██12> サイト-17セキュリティチーム・ブラボーが無力化される。

<██13> SCP-098の群れがSCP-053の収容施設へと進む。

<██20> 収容違反。SCP-098の群れがSCP-053の収容チェンバーへと侵入する。SCP-053は表面上は友好的に反応する。

<██32> SCP-098の群れがロックダウンを突破し サイト-17敷地内からSCP-053と共に脱走する。


死なずの怪物は少女と数千年ぶりとなる二度目の邂逅を果たし、喜びの余り鼻を擦り寄せた。彼女は彼のものにキスし、少女じみたクスクス笑いを漏らすと、彼のものの背に跨った。

遂に乗馬と再会し、死は天使たちの全世界への進軍に合流すべく、天使の大軍勢に向かって全力で駆け出した。

そして冥府ヘルが一同の背後に付き従っていた。


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