PSYCHE
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突然背後から放たれた閃光に、昼食の後片づけを行っていたバーンズ博士は顔をしかめて手を止めた。
サイト-19に存在している死体安置場は言わば彼の庭のようなものだった。この財団という組織に所属して数日後には、彼はここを自分の場所にしようと決め、その日から空き時間があればいつでも底冷えるようなここに存在するようにした。
そんな場所に土足で踏み入り、あまつさえ許可も得ずに写真を撮影するなど、とてもじゃないが許された行為ではない。

「ようバーンズ、相変わらず変な所で飯食ってるな」
「……コンドラキ。ノックというのは人類において最も偉大な発明の一つだとは思いませんか」
「ああすまんすまん、あまりに重厚そうな扉だったもんだから、ノックなんて意味ないかと思ってな」

呆れ気味に死体安置所の入り口にバーンズが顔を向けると、そこには無精髭を生やした、中年男性がいやらしい笑みを浮かべながら立っていた。その手には「Obraz xIII」のラベルが表面に貼られた人類史上最強とも呼べるカメラの姿がある。
不愉快であった。自分に無許可でこの場所に立ち入った人間に対し、バーンズは憎悪とも呼べる感情を持つ事が多い。例えそれが自分よりもセキュリティクリアランスの高い上司に当たっているとしてもだ。
もちろん、あの時のように打ちのめして意識不明にさせるような事はしない。ただ、早々に立ち退いていただけるように常に言葉の端々に悪意を交える事は忘れない。

「それで一体何か私に用事ですか?今、ちょうど、昼食を食べ終えたのでオフィスに戻ろうかと思っていた所ですが」
「ああ、お前に用事はない。だからオフィスに戻ってくれて構わない」

皮肉を真っ正面から両断され、バーンズはコンドラキに聞こえるように舌打ちをした。もっとも、コンドラキとしてはさっさと仕事を終わらせたいので、その過程でバーンズに恨まれようが知った事ではなかった。

「……で、何の用。こんなとこに」

暫くの沈黙の後、いくつかの巨大な鋼鉄製の冷蔵庫の開け閉めを行っているコンドラキに、バーンズははっきりとした悪意を持って告げた。背中越しに、太く濁った声が返ってくる。

「オブジェクトに曝露した被験者の遺体の写真を寄こせとクソジジイ共から言われてな」
「……オブジェクトの番号は」
「なんだ手伝ってくれるのか」
「とっととここから出て行ってくれるんならね」

言い終わると同時に、バーンズは貧乏ゆすりを止めてベッドから素早く立ちあがった。それに反応して誰ともなく告げられた三桁の番号を聞くと、迷わず彼はコンドラキが開放している扉の、すぐ真上の扉を開けた。

「全部覚えてんのか。どんだけ好きなんだよ」
「死体は勝手に動いてノックもせずに部屋に入ってくるなんて、無作法な真似はしないからね」

そこで一旦会話は途絶え、嫌味を無視したコンドラキは黙々と遺体袋を冷蔵庫から取り出した。

「とにかくこの調子なら、お前に手伝ってもらわなくてもすぐに終わりそうだったな」
「それはよかったね。ところで被験者の死体はあと二つほど存在するんだが、それはどうするつもりだったんだい?」

そうしてバーンズが再びベッドに座り込む音を境に、再び安置所内に静寂が訪れる。
カシッという乾いた音と、バタンという扉のしまる音のして、冷蔵庫の扉をぐるりと見回したコンドラキは「あーっ!」と叫び、髪がボサボサになるほど強く頭を掻いた。

「悪かったよ。こんなクソ寒い中何時間もやってられっか。仕事を終えたらさっさとどっかに行くから場所を教えてくれ」
「わかればいいんだ、わかれば」

コンドラキの謝罪に対し口元に笑みを浮かべたまま、バーンズは手際良く冷蔵庫の扉を二つ開けた。ツンと鼻をつくようなカビ臭い香りが、今彼にとっては心地よくてしょうがなかった。
三度ベッドに座り込むと、バーンズはのろのろと遺体袋を冷蔵庫から取り出すコンドラキの様子を興味深げに眺めていた。しかし、彼の上機嫌は長くは続かなかった。
先ほどとは打って変わって、カシッという機械音と同時に強烈な閃光がバーンズの視界を白に染め上げた。思わず右腕で光を遮った彼を無視して、コンドラキは撮影を続ける。

八回ほどフラッシュが焚かれた所で、撮影は終了した。不機嫌なバーンズをよそに、鼻歌を歌いながらコンドラキは遺体袋に亡骸を戻し、冷蔵庫へと再び仕舞っていく。

「……わざとかい」
「こんな薄暗い場所だと、綺麗に写真が撮りづらくてな」

皮肉たっぷりに言い放つと、コンドラキはバーンズの座るベッドの横を通り過ぎようと歩み出した。しかし、それをこの部屋の主はどういう理由か引きとめた。
 


 
「コンドラキ、一つ聞きたい事がある」

嫌な予感がして、コンドラキはゆっくりと足を一歩前に踏み出した。しかし、その行く先を塞ぐようにして、部屋の主は立ち上がり、彼の前面へと回り込んだ。

「……とっとと出て行ってくれと言ったじゃないか」
「何で写真なんか撮るんだ?」

にやにやとした表情で切り出された質問に、コンドラキは即答せず、かと言って茶化す事もなく「ふむ」とその場で顎髭を触りながら思案した。質問の答えをではない、質問の意図を、だ。

「……どうして急に?」
「ああすまなかった。こう言えばいいかな、どうしてそんな無駄な事をしているんだい?」

ただでさえ寒々しい安置所内の温度が、更に低下したような錯覚をコンドラキは覚えた。ぶつぶつと肌が粟立つ感覚がクリアに両腕から全身へと伝播する。

「無駄な事、という意味がよくわからないな。何が無駄なんだって?」
「写真を撮る事が、だよ。この死体安置所にいると常々思う事があるのさ。これを見てみてよコンドラキ」

そう言ってバーンズは近くにあった冷蔵庫の扉を開き、中の遺体を手際良く一体引き出すとベッドに横たえた。
コンドラキはその遺体を、比較的新しい遺体であると判断した。皮膚の腐敗の度合いが低く、皮下脂肪等が屍ろう化している様子は見られなかったからだ。

「彼はね、元イエロー博士だ。今は死体番号-24539だ。イエロー博士はあるオブジェクトの実験において死亡した、だからイエロー博士はもしかしたらそのオブジェクトの報告書内に名前が残るかもしれない。他のオブジェクトの研究に携わっていれば、更に名前が残る確率はあるだろう」

けれどね、と一息吸い込んでからバーンズはうっとりとした口調で、遺体の表皮を撫でながら続けた。コンドラキが思うに、その接触は恋人への愛撫のそれに近かった。

「だけど、今ここにあるこれは、死体番号-24539だ。イエロー博士ではない。イエロー博士とは別人さ。わかるかいコンドラキ、君もこうなるんだ。君が死んだら、コンドラキという人間は財団からはいなくなる。ただの死体になるのさ。もちろん、その君のカメラの中の写真も、不要な物は捨てられ、必要なものだけが使われるようになる。もちろんそれは、コンドラキ博士の写真ではない。なら、写真を撮り続ける事は、何一つ残らない行為は、無駄だろう?」

遺体を見定めるようなぎょろりとした瞳と、ちろりと見える舌はコンドラキに「蛇」を連想させた。しかし彼は、さながら自分は無力な蝶のように見えているのだろうか、と自嘲気味に笑うと、あっさりと否定を返した。

「それは違うなバーンズ。よく考えてみろ、もし俺が死んだとする。そんで俺の名前は消され、死体番号なんたらかんたらにされたとしよう。しかし、もしこのカメラの中に、もう存在しないオブジェクトと一緒に写ってる俺の写真があって、それ以外、そのオブジェクトの写真がなかったとしたら?財団はそのまま写真を資料に使うだろうよ。例えその過程で、コンドラキ博士の写真でなくなったって、俺がそこに写ってる、その時点で、俺のやっている事は決して無駄じゃねえ」
「……」

バーンズは黙ってコンドラキの言う事を聞いていたが、依然として彼はにたにたと笑う不愉快な「蛇」であった。こちらを測るような視線に晒されたままの蝶は、蛇との対話を続ける。

「俺はな、こういう仕事に就く前から長い歴史のどこかに俺という存在を残したくて残したくてしょうがなかったんだ。だからフェンシングに手を出してみたり、小説家気どりの文章を出版社に投稿してみたり、挙句の果てには自分には似合わねぇとわかっていたのにクラッシック音楽の勉強までした。だけど世界の歴史っていうのは、思ったより大きかったんだ」
「それはそうだね。そう簡単に、世界に名前を残せるだけの業績を上げる事はできない」
「だがよ。ここならどうだ。この、財団っつー長い歴史の中にぐらいなら、俺の存在が残るスペースくらいはあるんじゃねぇか?」

そうしてコンドラキは今まで一度として合わせようとしなかった瞳を、バーンズへと向けた。蛇と蝶、交わる事のなかった二つの視線が初めて交差する。

「……オーケー、コンドラキ。貴方の言いたい事はわかりました。なのでもう退出してくださって結構です」
「そうか、邪魔したな」

見つめ合って数秒、そうして蛇がそっぽを向いた事を確認して、コンドラキは死体安置所から退出した。入口を出てすぐ、彼は額の汗を洋服の袖で拭った。

「まさかあいつが死体以外に興味を示すとはなぁ、明日、雨でも降るんじゃないか?」

コンドラキは雨が嫌いだ。彼が大抵何かを諦める時は、いつも雨が降っているからだ。
フェンシングの試合に負けた時も、出版社から選考外の通知を受け取った時も、「君の音楽は前衛的すぎて僕らには理解できなかったよ」と嘲笑された時も、そうだった。

一つ大きなため息を吐いてから、コンドラキは階段を上り窓の外を確認した。雲一つない晴天であった。

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