ある競馬ファンの回想
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今年もこの季節がやってきた。来たるダービー前夜、俺はケンタッキーのバーでグラスに入ったバーボンを仰いでいた。ほろ酔い気分で惚けているうちにふと、あの馬のことを考えてしまう。あいつがダービーに出ていたのは10年以上前の話だが、その走りが今でも鮮明に俺の脳裏を過ぎるのだ。

俺があいつ  バーバロのレースを最初に見たのは2005年の11月のGⅢ競争だった。根っからの競馬好きだった俺は、Maiden1を8馬身以上ぶっちぎったという馬を一目見るためにローレルまで足を運んだ。あいつは俺の目の前で事も無げに2着に8馬身差をつけて勝っていた。俺はその日からあいつに心を奪われて、気付けばあいつを追っかけていた。

あいつはそれからも勝ち続けていった。新年早々のレースであったトロピカルパークダービーでも、ダート緒戦だったホーリーブルステークスでも勝った。ホーリーブルステークスでの勝利で、俺はこいつが今年のダービーを勝つんだろうなと確信した。期待に応えるように、次戦のフロリダダービーであいつはGⅠ初勝利を成し遂げた。東海岸の3歳馬最強決定戦と言っても過言ではないフロリダダービーで勝ったあいつがクラシック戦線で中心的存在になるのは最早必然だった。ダービー当日、1番人気はスウィートノーザンセイントで、あいつは2番人気だった。しかし、俺にはあいつが負けるとは到底思えなかった。俺は応援の意味であいつの単勝に5万ドル賭けた。当時の俺の全財産だ。

レースが始まった。……スタートは悪くない。あいつはそのまま4番手から5番手につける。絶好の位置だ。向こう正面から3コーナーのカーブに差し掛かろうというところでレースが動いた。あいつが外をついて前を行く馬を捉えにかかる。4コーナーから直線に向かう頃にはあいつは先頭に立っていた。俺はそれを固唾を飲んで見守っていた。直線に入ると、あいつは後続をどんどん突き放していった。3馬身、4馬身と差が広がっていき、あいつがゴールした時には2着とは6馬身半の差がついていた。俺はレースが終わっても暫く立ち尽くしていた。あんなレースは初めて見た。俺はあいつの末脚を見て、あいつはこのまま宇宙に飛んで行ってしまうんじゃないかとすら思った。

俺はあいつがそのままクラシック三冠を達成するものだと思ってた。が、それは夢に散った。二冠目のプリークネスステークスに出走したあいつはスタートでゲートに衝突し、そのまま競争を中止。右後脚の球節の上の砲骨顆部及び、球節の下の第一趾骨の粉砕骨折  サラブレッドとしては致命的な怪我2が確認された。……馬主があいつの治療を決断してくれなかったら俺はあの時競馬を辞めていたかもしれない。俺はあいつのレースがもう2度と見ることが出来ないとしても、せめてあいつの産駒のレースが見られればいいと思った。しかし、それすらも叶うことは無かった。あいつは長い闘病生活の末、翌年の1月に死んだ。あいつの走りを宇宙まで飛んでいきそうな走りと評したのは俺自身だが、あいつは本当に星になってしまったのだ。


俺はあいつが死んでから、ずっとあいつみたいな馬を探して競馬を続けてきた。しかし、そんな馬には未だ出会えていない。37年振りに三冠を成し遂げたアメリカンファラオですら、ダービーのあいつの走りには敵わなかったと俺は思っている。バーを出ると、満天の星が広がっていた。明日のダービーであいつの再来に出会えることを星に願いながら、俺はホテルへ向けて歩き始めた。



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