Treats
評価: +5+x

ここで改めて指摘しておきたいのは、一般的に考えられているのとは異なり、106は単なる捕食生物ではないということである。ただの凶暴な鮫のようなものと思ってはならない。SCP-106は、人類とはまったく異なる異質な知性を持った知的生命体である。その知能程度は、単純な本能や遺伝記憶として説明可能なレベルを上回っている。SCP-106はこれまで、決まって再収容に困難が伴うタイミングを狙うように脱走を試みてきた。ただ罠から抜けることは狐でもできる。だが、監視の目がそれた隙を狙うことができるのは人間だけだ。

- Dr.アロック
『収容済みのヒューマノイド系SCPが持つ知性について』


「クソ、いったいどこに行きやがったんだ?」

エージェント・ウェンはため息をつくと、マスク越しに顔をぬぐう仕草をした。この底冷えのする夜だというのに、3人の男たちはそろって汗だくになっている。彼らのまわりでは今、不気味な怪物だの悪魔だの神話の獣だの動く無生物だのが、そろって奇声や笑い声を上げながらそこらじゅうをうろつきまわっていた。男たちは全員、ガスマスクに加えて装甲服を身につけていたが、これはむしろ目立たないほうの恰好だと言える。3人が立ち止まった。1人がグローブをはめた手をさっと突き出し、そばで酔っぱらってふらついていたゾンビをつかんで引き寄せると、すぐに人混みに向かって突き返す。ゾンビは悪態をつくと、よろめきながら歩き去っていった。

「チッ。どこのどいつだ、ハロウィーンなんてもんを考えやがった野郎は? こりゃあ、あたり一帯を全部封鎖する必要があるぞ」

エージェント・ドラクは首を振り、仮装して浮かれ騒ぎながら移動する人の群れを身振りで指し示した。「列車が街のすぐ近くにまで来ちまってる。本来ならこっちの路線には入ってこさせないはずだったんだが、MC&Dの連中が台無しにしてくれやがったらしい。今から街を丸ごと封鎖するのは問題が多すぎる」

「じゃあこれからどうするんだよ? あのジジイが脱走して、まだ居場所もつかめてないってのに!」ウェンは道に捨てられていた包装紙を蹴り飛ばすと、いかにも地獄の悪魔を追いかけまわす仕事とは無縁そうな顔をして歩いている人間たちを、薄く色づいたレンズ越しに睨みつけた。

苛立つウェンの背中を、ドラクが軽く叩く。「まあ落ち着け。上の予想じゃ、やつは2、3人も捕まえたらお楽しみタイムに入るらしい。それくらいなら隠蔽は楽だ。ハロウィーンの夜に大都市ひとつを隔離する理由をでっち上げるよりもずっとな」

それまで黙っていたパークスが口を開くと、しわがれ声で言った。「触れただけで誰でも殺せる能力を持ってる、腐った年寄りだろ……そんなに探すのが難しいか?」

群衆に目を走らせながら、今度はウェンが首を振る。「普段は老人の姿をしてるってだけだ。その気になればどんな姿にも変われる。普通なら、悲鳴が聞こえたらそこに駆けつけるんだが……この状況じゃそうもいかねえ。クソ、専門家どもはいつ来るんだよ?」

無線機から、雑音と一緒にクックッという笑い声が流れてきた。「ハーケンが専門家らしいぜ。飛行機事故の生き残りが飛行機に詳しいのと同じくらいSCP-106に詳しいって言ってるからな。ともかく、初動調査が終わるまでは上が科学者連中をよこしてくることはない。まずは俺たちだけでやる必要がある」

3人は立ち止まり、怪物たちの中から目指す相手を見つけ出そうと目を凝らした。他のやつらとは比べ物にならない、本物の怪物を。


かがり火のまわりを、酒に酔った天使の少女がうろついていた。周囲には悪魔がいて、ゾンビがいて、あれこれの人気キャラクターがいて、ひとつの塊のように渦を巻いていたかと思うといくつもの小集団に分かれていき、またひとつに戻っていく。大音量で鳴り響く音楽に合わせて、かがり火はまるで雄叫びを上げているように見えた。あたりは10代の若者に埋め尽くされている。パーティー会場は、騒音への苦情が出ない程度に、かつうっとうしい大人たちが監視の目を飛ばしてこない程度に、適度に市街地から離れた位置に設けられていた。冷えた空気の中で、酒が飲み交わされ、誰もが笑い声を上げ、ティーンエイジャーたちは大いに羽目を外していた。

まだそう遅くはない時間だが、すでに暖かい火のまわりから離れ、暗がりを求めて周囲の森へと移動していく者たちも出てきている。天使は静かな森のほうをじろりと見やると、ほとんど空になっているビールに口をつけた。最後まで飲み干し、缶を投げ捨てる。缶は柔らかい土の上に転がり、蹴り飛ばされ踏みつぶされた死屍累々の空き缶たちの仲間入りを果たした。本当なら、彼女もあの森の中にいるはずだったのに。温かい腕に抱かれ、温かい唇に唇をふさがれ……。それなのに彼女が誘った相手は、パーティーは「僕たちの関係をよくないものにする」などと、直前になって思い直してしまったのだ。ふざけるなっての。

翼が傾いてバランスが崩れてしまっているコスチュームのまま、少女は暗く冷たい森の中に足を踏み入れた。なんだ、あんな男……。あんなやつに振られても惜しくなんかないとは思ったが、それで今のこの気分が晴れるわけでもない。彼女は笑った。しばらくぶりの笑顔だ。こうなったら、せいぜい楽しむことにしよう。そう、少しばかりのいたずらと、少しばかりの快楽を楽しむのだ。彼女はもう一度笑った。よこしまな感情と酒宴の興奮が、その頬を赤く染めていた。さっきこの森に、自習室仲間の男子生徒のひとりが入っていくのを見たのだ。彼を見つけて、少しばかり仲良くなってみようか……。

森に入ると、空気がいっそう冷たくなった。時々聞こえてくるクスクス笑いと囁き声、それにケミカルライトの光だけが、周囲に人がいることを感じさせる。少女は地面から出ていた根につまずき、前方によろけて木の幹に手をついた。ねばついた感触が伝わってくる。ざらついてじくじくとしたその幹の表面は、彼女の手のひらに焼けつくような痛みを与えた。とっさに手を放したせいで支えを失い、あやうく地面に倒れ込みそうになる。目を細めて手を見ると、そこには荒い繊維質のようなものでできた粘性の物体がべったりと付着していた。痛みはどんどんひどくなっていく。さらに少女は、木の幹に奇妙な穴がいくつも開いているのに気がついた。

一瞬で酔いが吹き飛び、天使は身震いした。そして、彼女がここにいることを知っている者が誰もいないことに、誰かを呼ぼうにも近くに人がいないことにも気がついた。膨らんだスカートに手のひらをこすりつけ、そのせいでスカートに赤と黒の汚れがついたことにもかまわず、彼女は目を見開いた。頭の奥底、本能のどこか深いところから、警告の叫びが聞こえてくる。揺らめくかがり火の明かりを見つけ、それを目指して彼女は速足で歩き出した。わけもなく膨れ上がる恐怖の感情を、必死で脇に押しのけるようにして。

後ろで小枝が折れる音が聞こえた。

少女は足を止めた。顔は蒼白になっていた。片手からは血がしたたり落ちている。その傷口が腐り出しているのをもし見てしまったら、さらに恐怖に襲われてしまうだろう。後ろを振り向く勇気はなかった。だが、走り出すのも恐ろしい。もしなにかが追ってきたら……? そのままなにも起こらずに数瞬が過ぎ、ようやく逃げる決意を固めたその瞬間、やせて骨ばった手が、まるで無作法な子どもがケーキをぐちゃりと手づかみするように、彼女の背中の肉を衣装越しにつかんだ。

少女は悲鳴を上げた。いや、上げようとした。口から絞り出されたのは、凄まじい激痛の叫びだった。四肢が突然骨を抜かれたように重くなり、全身の神経から苦痛以外の感覚が消え去った。肋骨が内側から触られ、ゆっくりと腐り落ちてゆくのを感じた。少女はよろよろと振り返り、そして触れてきた手の主の姿が見えた。遠くで揺れるかがり火に照らされて、しおれたような、暗い色の、ねばつき、どろどろとして、それでいて屈強そうな、何者かの姿が見えた。異様に大きな顔には凍りついた死体のような笑顔が浮かび、口には欠けた歯がまばらに生え、真っ黒なふたつの目がぬらぬらと光って彼女を見ていた。

怪物の手を突き刺されたまま、天使はあえぎ、泣きじゃくった。油のような粘性を持った、焼けつく腐食性の物体が体の中に染み込んでいく。ゆっくりと落ちていくような感覚に、彼女は必死で逆らった。足元の地面が柔らかく崩れ、自分と怪物を少しずつ飲み込んでいく感覚から、彼女は必死で気をそらした。怪物が身を寄せてくる。彼女の中にわずかに残った正気の部分は、恐ろしいその顔が近づいてくるのを喜んでいた。これでこの苦痛が終わるのだと期待して。だが、怪物はすぐにはそうしなかった。腰までを地面に飲み込まれながら、怪物はもう片方の、ねじくれた爪の生えた手を上げた。

その手に触れられ、天使はまた新たな恐怖に襲われた。怪物の腐敗した両目から顔を背けることができない。その両目の奥の光を見て、少女は絶望の叫びを上げた。怪物の手が、少女の衣装と皮膚をずたずたに引きちぎり、はぎ取っていった。


ジェイソンは走った。肺が焼けつくように痛い。あえぎながら、なんとか助けを呼ぶ声を上げようとする。股間には温かい失禁の感覚があった。バットマンのコスチュームで街灯の明かりから明かりへと駆け抜けているのが、まるで悪い冗談のようだ。みんなどこに消えてしまったんだろう? いきがってひとりで出かけようなんて考えるんじゃなかった。今、ジェイソンは本当にひとりになっていた。友達はきっと、もう食われてしまったに違いない。

状況をはっきりとは理解できていなかった。しかしとにかく、あの怪物が木の上から落ちてきて、ジェイソンの友達を壁に押しつけると、壁が突然流砂のようになったのだ。それは間違いない。怪物の骨ばった長い指がふたりの親友の体をつかんで、人形かなにかを引っ張るように強く引き寄せ、そしてグチャグチャになった壁にふたりが飲み込まれるのを、声も出せずに立ち尽くしながらジェイソンは見ていた。ジェイソンが以前父親から教えられたボウリングの球の持ち方のような手つきで、怪物はデイビッドの両目に指を突き入れ、そして……。

ジェイソンは不意に嘔吐した。消化途中だったチョコレートが、コスチュームの前の部分を汚す。それはジェイソンに、あのひょろりと背の高い年老いた裸の男が地面に降り立ったときにまき散らされた、気色悪い汚物を思い出させた。よろめいて膝をつき、咳き込んで息をつまらせながら、ジェイソンは弱々しい声を絞り出して助けを求めた。声は深い闇の中に消え、応えるものはなにもなかった。恐怖と疲労のあまり、ジェイソンはすすり泣くことさえもできずに震えていた。近づいてくる足音にようやく気づいたのは、それが間近まで迫ってきたときだった。

ジェイソンは視線を上げた。大人なら誰でもいい、とにかくすがりついて助けを求めようと。まず足が見えた。どろどろとしたものがこびりついた、細長く黒い足。老人のような扁平な足裏の下で、コンクリートがひび割れてねばつき始めていた。いっそう激しく震えながら、ジェイソンはさらに視線を上げた。しぼんだような尻、まったく上下しない薄くべたべたした胸……。そして、ジェイソンは顔を見た。腐ったカボチャのような顔だった。まるでバケツに入ったタールのように、真っ黒でべっとりとした顔。ジェイソンを見下ろすその目は、地下室で光る懐中電灯のようにうつろに輝いていた。歯は隙間だらけで、口の中では黒い粘性のものがうねるように蠢いている。

ジェイソンは後ろによろめき、喘いだ。悲鳴を上げようとしたが、まともに呼吸することさえできない。怪物が、薄く貧相な手の中でなにかを転がしているのをジェイソンは見た。2本の骨ばった指がそれをつまみ、怪物の口へと運んでいく。飴玉かなにかだと思ったそれは、しかし金属の光沢を放っていた。

それは、歯列矯正器のブラケットがついたままの、親友のアンソニーの前歯だった。

怪物は、白くきれいなその前歯を、自分の汚らしく湿った歯と歯の隙間にそっと入れた。わずかな時間、怪物はそのまま動きを止め……そして顎に力を込めた。アンソニーの歯が、車に轢かれたキャンディーのように砕けた。それを怪物は2回噛んで、また動きを止めた。ジェイソンをじっと見つめたままで。悪夢はずっと続くかのように思えた。ジェイソンはもう、自分が息をしているのかどうかもわからなかった。ここで死ぬんだ、とジェイソンは思った。言うことを聞かずにひとりで出かけたりするから、罰が当たったんだ。そんな悪い子どものところには怪物がやってくるんだ。恐ろしい怪物に捕まってしまうんだ……。

だが、そうはならなかった。怪物はジェイソンに背を向けた。そして、一歩を踏み出すようなそぶりを見せて……老人がつまづいて転ぶような動きで、ゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。地面にぶつかるかと思えた黒い怪物は、しかしそのまま地面をすり抜けて消えた。まるで体が空気でできているかのように。コンクリートの地面には、黒くべったりとした汚れと、腐食した矯正器のブラケットだけが残された。

数時間後に発見されたとき、ジェイソンは手のひらにめり込むほどに強くブラケットを握りしめていた。


少年は慰めを感じてはいたが、それでもやはりみじめな気持ちで座っていた。せっかく母親が息子のためにとマリオのコスチュームを用意してくれたのに、それなのに彼は、自分がこの寒い中でひとりで何時間も外出できるような体調ではないことを認めざるを得なかったのだ。この日、少年は朝から嘔吐を繰り返していた。両親は回復を祈ったが、結局彼の外出予定はキャンセルされ、お菓子をもらい歩くことはできなくなってしまったのである。両親は我がことのように悲しみ、息子を楽しませようとできる限りのことはしてくれた。訪問客に配るために用意された小さなボウル入りのキャンディーは、あとで余ったものがあれば全部少年がもらえる約束になっている。さらに今日は、好きなホラー映画をいくらでも観ていいというお達しも出た。

コン、コン。

「トリック・オア・トリート!」

「あら、かわいい亀さんね! あなたのはなにかしら?」

「ラプンツェル!」

「そうなのね。じゃあどうぞ、お姫さま!」

「ありがとう!」

少年はキャンディーの配布係を手伝う気にはなれなかった。なにも見ず、なにも聞かず、みんな自分と同じように家に引きこもっているのだと思い込んでいたほうがマシだ。つば広の帽子を少し目深に引くと、腹の中でハリネズミが転がっているような感覚を忘れることに集中する。映画の中では、ゾンビがふらふらとカメラの前を横切っていた。悲鳴を上げて家の中に逃げ込む人間たちを見て、こいつらがクラスのやつらだったらいいのにと少し思う。

コン、コン。

「トリック・オア・トリート!」

「わあ、吸血鬼なのね。かわいいじゃない!」

「ドラキュローラなの! ガオーッ!」

「まあ怖い! さあ、お菓子をあげましょうね」

「ありがとう!」

少年は映画のボリュームを上げた。生ける屍どもの緩慢なうめき声が、リビングの楽しそうな声をかき消してくれる。最悪なのは明日だ。絶対にみんなの話を聞かされるはめになる。みんなキャンディーをなめながら、普段と違った家の様子だの、楽しかった夜の冒険だのについて語り合うに違いない。ため息をつくと、少年はごくりとつばを飲み込んだ。また胃がゆっくりと身じろいだのだ。少しずつなめていたキャンディーを遠くに押しやる。甘い匂いが急に鼻について、気分が悪くなってきた。

コン。

「……」

「はい? あら……」

「……」

「ちょっと、あなた……あああああああ!」

突然響いた母親の金切り声に、少年は飛び上がった。腹の調子はさらに悪くなったが、もうそんなことを気にしてはいられない。ソファの位置からは母の様子は見えないが、ドシンという音とくぐもった悲鳴、それにねばついたような、ガサガサというような音が……乾いた落ち葉の上に下水をこぼしたような音が聞こえる。少年は立ち上がり、廊下とのあいだを隔てている短い壁の向こうの様子を窺った。おずおずと声を出して呼びかける。返事がなかったらどうしようと思ったが、返事が返ってきたとしても同じくらい恐ろしかった。そして、壁の向こうから伸びてきた手が、壁の角の部分に指を回してしっかりとつかんだ。少年とほんの数フィートしか離れていなかった。

黒に近い灰色の、やせた手だった。少年の祖母の手と同じくらい、骨ばっていて皮膚が薄い。幅広く扁平な爪が生えた指が、塗装された壁面を強くつかんでいた。その手が触れた箇所から、まるで紙袋にできる油染みのように、黒い汚れが広がっていく。曲がった指の関節はごつごつと膨れていた。少年は手を見つめたままじりじりと後ろに下がり、懇願するような声でもう一度母を呼んだ。手が動き、染みの広がる壁になかばめり込み……そして角の奥から、悪夢が顔を覗かせた。

顔はべとべととした質感で、不細工なカカシのようにでこぼこと歪んだ形をしていた。皮膚は薄く、ねばついている。横に広く裂けたような形の薄い唇の上で、蛆虫を思わせる色をしたふたつの目がぎらぎらと輝いていた。目はじっと動かなかった。少年は、頭から足の裏へと恐怖が突き抜けるのを感じ、胃袋が火にかけっぱなしのやかんのように暴れ出すのを感じた。体が逃げろと叫んでいる。だが、少年は怪物の瞳から目をそらすことができなかった。両足は夢遊病者のようにゆっくりと後ずさりすることしかできない。怪物の手と顔がわずかに動くと、なにかを引きずるような重く湿った音が聞こえ、母親が少年の視界に入ってきた。

母親は死んでいた。少なくとも死にかけていた。まるで靴下で作った人形のように、胸に怪物の手が突き入れられていて、その手に動かされて前に進んでくる。あの黒い油染みのようなものが、顔を、首を、腕を侵食していた。胸にはべたべたしたものに覆われた黒い穴が開き、その穴に手首まで埋まった怪物の手が、血の気が失せた体をぬいぐるみかなにかのようにぶら下げている。少年は絶叫し、嘔吐した。消化しかけのスナック菓子と大量の胆汁しか出てこなかった。悲鳴を上げ、階段を駆け上がる。母親に、父親に、思いつく限りの相手に助けを求めながら。

少年はバスルームに飛び込んでドアを閉め、鍵をかけ、身を震わせて泣いた。パパは今、外に出かけている。きっともうじき戻ってきて、すぐになんとかしてくれるだろう。警察の人かなにかを呼んで、あの黒いやつを家から追い出して、遠くにやってくれるに違いない。ママはきっと怪我をしただけだ。大怪我をしても助かる人は大勢いるじゃないか。さっきはほんの一瞬しか見なかったからわからなかっただけだ。あいつはどうせ、変な仮装をしただけの頭がおかしいやつだろう。人が来れば逃げ出すに決まっている。すぐに全部元通りになる。きっと。少年は自分に言い聞かせるように何度もつぶやいた。背中をドアに押しつけ、足をシンクに押し当ててつっかえ棒にして。

怪物の顔が木製のドアを突き抜けてくるまで、少年はつぶやき続けていた。

少年がひび割れのような音を聞いて視線を上げると、頭のすぐ上から怪物の顔が彼を見下ろしていた。少年の足元の床が急にぬかるむように柔らかくなり、そして怪物の口が開くと、死んだ魚のように腐って膨れ上がった舌がだらりと垂れ下がった。ずるずると、怪物の不気味な顔からシロップのように垂れ下がっていく。少年の足はずぶずぶと床に沈み、動くこともできなくなった少年の顔に、ねばねばとして酸のように焼けつく舌が触れた。少年の鼻が、使い古した消しゴムのようにすり減ってつぶれていく。絶叫した少年の口に、無限の長さを持つかのような怪物の舌が、数フィート分もずるりと入り込んだ。息がまったくできない。神経が焼き切られていく。意識を失う直前に少年は、怪物の舌が彼の目玉の上を這い回るのを感じていた。


ドラクは目を覚ました。錆びついた自動車の部品の山の上で寝ていたかのような感覚だった。身を起こし、ずきずきと疼く足の痛みの原因を探ろうとして体をひねり……そこで一気に記憶が、貨物列車が衝突してくるような勢いでよみがえってきた。街を駆け抜け、群衆を押しのけ、しおれたようなみすぼらしい腕が地面の上に横たわっているのを見た。悲鳴。逃げ出す群衆。地面からずるりと抜け出てきた、不気味な黒い顔。ドラクを捉えた両目。パークスが発砲し、さらに悲鳴が聞こえ、やつの腕が伸び、つかまれて引き寄せられ……。

やばい。

嘘だと言ってくれよ、おい……。こみ上げる恐怖を感じ、ドラクはあたりを見まわした。暗く不潔な、天井の低い部屋だった。隅のほうには埃とゴミが積もっている。壁の塗装は灰色で、ところどころ不規則な筋を描くように剥げ落ちていた。天井と床は染みだらけで、波打つように歪んでいる。部屋の出入り口は開いていた。その向こうにはぽっかりと暗闇が広がり、遠くからノイズのような音が聞こえ続けている。薄暗い明かりはあったが、その光がどこから来るのかはわからなかった。ごく弱い、わずかに緑がかった深い海の底のような光が、あたり一帯を照らしている。

初めて来る場所だったが、ドラクはこの部屋のことを……この部屋のような場所のことを知っていた。「オールドマン」は捕らえた獲物をここに放り出して、それからじっくりと追いつめることを好むのだ。ドラクはがばっと立ち上がった。垂れ下がるように膨らんだ天井に頭をぶつけないように身をかがめる。できればこんなところに靴底を触れさせたくはないが、他のところを触れさせるのはなおさらごめんだ。ふくらはぎのあたりに走る鈍い痛みに、ドラクは身をすくませた。きっと、やつの手でつかまれたところだろう。調べてみればひどい痕ができているはずだ。ふらつきながら数歩進んでみる。なんとか耐えられるようだ。ドラクは周囲に視線を走らせた。

ゆっくりと深呼吸をし、ブリーフィングの内容を思い出す。ここでは時間の感覚はあてにならない。気絶していたのは数秒か、それとも数週間か。やつはここ……やつの家だか遊び場だかわからないが、とにかくこの空間で、猫が鼠を弄ぶように獲物を追いつめる。空間の広さは限りがないが、時たま脱出に成功する、もしくは意図的に解放される犠牲者もいる。ここでは一ヶ所に留まるべきではない。隠れても意味はない。この空間ではやつは神のようなものだ。すぐに見つかってしまう。忍び寄るパニックの感覚を必死にこらえ、顔をこわばらせながら、ドラクは部屋の出口の外に広がる暗闇へと足を踏み入れた。

そこは、荒れ果てた長い廊下だった。地震に見舞われたあとの病院の廊下はこんな感じだろうか。大きな穴などは開いていないが、奇妙にねじくれて傾いている。ドラクはそっと歩みを進めた。壁とは接触しない程度の距離を保つ。足がざらついた漆喰を踏み、ジャリジャリと音を立てた。さっきから聞こえているノイズは、徐々に大きく高音になっている。ずっと同じ調子で叫び続けているような音だった。不安感をかきたてられるが、この音のことは予習済みだ。重要なのはとにかく動き続け、観察し続けることだ。空間は無限に広がっているが、それでもひたすら移動していれば、どうやら106は混乱するかこちらを見失うかするらしく、うまくすれば現実世界に戻れる可能性があるのだ。ドラクは記憶に残っているブリーフィングの内容を頭の中で繰り返し、祈りの言葉のように唱え続けた。106が獲物の追跡をやめるのは稀なケースだと教えられた部分だけは、思い出さないようにして。

廊下の突き当たりを右に曲がってさらに進み、今度は左に曲がる。足を動かす速さが上がっていった。通り過ぎたいくつかの部屋の中に、異様に絡み合う腐食したパイプやワイヤーが見えるが、すべて無視する。湿気を帯びて積み重なるなにかの塊も無視する。叫び声はさらに大きく、高く、あたかも赤ん坊の泣き声のようになっていった。だが、それも無視する。ここを支配しているのはやつだ。やつがその気になれば、そこらじゅうに歯医者のドリルのような音を響かせることだってできるのだろう。ドラクは、もうほとんど全力疾走していた。壁の湿り気が増していくのも、周囲の外観が変化していくのも見ないようにして廊下を駆け抜ける。漆喰がひび割れ、下にある緑がかった古い煉瓦が顔を出している。床はぼろぼろのビニール樹脂からコンクリートに変わり、さらに土に変わった。

角を曲がるのに急ぎすぎて、ドラクは床の黒い染みに足を取られた。滑って膝をつきそうになり、湿った煉瓦がむき出しになっている壁にとっさにしがみつく。暗く苔むした部屋だった。凄まじい大きさで響き渡る、ぞっとするような苦痛の叫びは、ここから聞こえていた。硬直し、中腰で壁にしがみついたまま、ドラクは見た。部屋の中央に、黒いグチャグチャとした粘液だまりに足首までつかりながら、やつが立っていた。ゆっくりと左右に体を揺らしながら振り向いてくる。その腕の中に、叫び声の源があった。

人の体だった。有刺鉄線のようなものが大量に巻きつけられている。鉄線は肉を縫うようにうねっていて、皮膚のところどころから、熱で溶けたキャンディーのようにどろりと血が流れ出した跡があった。四肢はぼろぼろの残骸らしきものを残すのみで、その残骸がねじくれ、かと思うと伸び、そのたびに鉄線が深く食い込み、肉を引き裂いていく。頭髪はなかった。頭部と首の皮膚は腐敗して青ざめ、顔には苦痛が仮面のようにはりついている。喉元は丁寧に切り開かれ、ねじられて鉄線で固定されていた。赤ん坊のような声はそこから、このおぞましい声を出すためにずたずたに切り刻まれた大人の体から発せられていた。

オールドマンの両目は、ドラクをじっと見ていた。ドラクはそろそろと立ち上がった。ブーツから空気が漏れる音がしたが、耳に入ってこない。いったい人間の喉にどんな加工を施せば、この地獄の責め苦に苛まれる赤ん坊の絶叫のような音が出るようになるのかは考えないことにした。失われた四肢がどうなったのかも考えないことにした。オールドマンはドラクをじっと見ていた。そのひび割れた歯と歯のあいだには、わずかに隙間が空いていた。オールドマンの体の揺れが、ゆっくりと止まる。鉄線で縛りつけた荷物を落とし、両腕をだらりと体の横に垂らす。地面にぶつかった苦痛と肉の塊が一度跳ね返り、苔の中にうつ伏せに倒れ、ゴボゴボとした呼吸音とともにまた叫びを上げ始めた。オールドマンは完全にドラクに向き直った。両腕をぶらぶらと揺らしていた。胴体は、じわじわと液体が染み出てくる黒い繊維でできた、ぼろぼろの切れ端のような服をまとっていた。

ドラクは逃げた。恐慌をきたした鹿のように、訓練もなにもかも忘れて、なにも考えずに逃げた。背後からゆっくりと迫ってくるぎくしゃくした足音をかき消そうと、叫び、あえぎ、つぶやき、笑い、あらゆる音を出した。走り、走り、走り、車にはねられたような勢いで転んで、ぜいぜいと息を荒らげ、もう終わってくれと祈った。全身の筋肉ががたがたと震える。そしてまたひたひたと足音が聞こえてきて、ドラクは逃げた。

オールドマンに体を引きちぎられるまで、自分が4日間逃げ続けていたことに、ドラクは気づかなかった。


捕獲作戦が決行されたのは夜明け前、太陽も月も出ていない時間だった。総合的に見て、作戦の進行は極めて円滑に行われたと言える。発見時のSCP-106は広場の中央にいて、カボチャをいくつも手で押しつぶしたり踏みつぶしたりしていた。欠員1名を出したチームは、1時間ほど前にようやく到着したばかりの応援部隊と協力し、大型ハロゲンランプを利用した「太陽銃」――その強烈な光のせいで、捕獲にあたったメンバーのうち2人が危うく失明しそうになった――を使って、SCP-106を回収チェンバーの中に追いやることに成功した。

SCP-106は、閉じ込められたままじっと座っていた。首を傾け、手足をだらりと弛緩させたままで、逃げようとする様子はまったく見せない。すっかり満腹したような様子だと機動部隊員のひとりが言い、任務中に余計な口をきくなと叱責された。失踪者についてはもっともらしい偽情報が流され、殺害された者については裏工作を通じて報道が抑えられた。都市伝説の種が蒔かれ、徐々に人々のあいだに定着していった。ひとたび修羅場が過ぎ去れば、その後の処理はごく簡単なものだった。

数週間後、観察業務を担当していた科学者の日報に、ある出来事についての報告が記載された。SCP-106が突然、小さな白い物体をいくつも取り出したのだという。手のひらに一杯の量があったそれ――後の分析で、人間の歯と指の骨であったことが判明した――をSCP-106は床に積み上げ、そして複数のまとまりにより分け始めた。一見すると適当に分けただけに思われたそれは、実際には犠牲者の年齢層ごとに分類されていたことが、これも後の分析で明らかになったと報告には記されている。そしてSCP-106は、より分けた歯と骨を数時間に渡ってじっと眺め続けると、やがて再びしまい込んだ。

特に注目すべき出来事ではないと、財団は結論づけている。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。