御先に失礼
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何も言うことは無かった。

溜め息だけが床に零れ落ちていった。

御先稲荷おさきとうが。Anomalousアイテム及びNeutralizedクラスオブジェクト管理業務に携わるレベル0職員。人事評価C。SCP-███-JP由来の異常性を保有中」

木っ端微塵、という表現が似つかわしい、徹底的な破壊だった。御先稲荷管理員はその首から上を床に撒き散らし、巫女服を血で汚しきった状態で回収された。銀色(夏だからだ)の特徴的な髪はボリュームがあり、血液が付着しているせいなのか保安職員の手によく絡みついた。彼女が取り扱っていたAnomalousアイテムは、洗浄後にオブジェクトクラス再検討の対象となった。

特に頭蓋骨前部、つまり顔面はその原型を全く留めなかったという。眼球より大きな肉片は存在しないような惨状だった。

業務中に突如として弾け飛んだ御先管理員の頭が監視カメラに映ってから、死体が回収され、表面上の管理業務が再開するまで5分。

その裏側では内側から砕け散った頭蓋骨と脳髄、やたらに量の多い頭髪がかき集められ、ビニールに詰められて霊安室へと搬送されていく。保安職員は一言も発さない。霊安室までの廊下はそこそこの距離があり、十数名の職員とすれ違うものの、声をかける者はいない。ビニールと頭の無い死体を一瞥しては、目的地へ向かう足を速めるのみだ。

無表情の保安職員が霊安室の白い扉を開き、内装が晒された。巫女服に包まれた身体と、首から上だったであろうバラバラの肉片達が別々の解剖台に置かれる。頸部からの出血は既に止まり、血液が重力に従って下部へと溜まっているようだった。

おそらくは財団特有の、妙に広い霊安室。やや青みがかった照明の下で、医療職員がビニール袋の口を解く。監察医の役割を果たす彼らは、冷静な手付きで肉片、骨片、それにこびりついた頭皮と髪を台上に広げていく。

「……邪魔ですね、髪。9つに結っているし、肉と血が絡まってすごく面倒臭い」

「適当に切るか頭皮ごと骨から剥がせ。髪そのものにも異常性があったみたいだから、髪と付着した体組織も一応調査しておく」

「調査しておく、って言われましてもねえ」

監察医の一人が顔を上げる。その視線は手元から離れ、先輩にあたるもう一人の監察医が弄くり回している物体、つまり御先稲荷の身体に向けられる。年配の男が若い女性の巫女装束を脱がせていく光景は、平常時ならば背徳感を醸し出すだろう。女性の頭部が綺麗に存在していたならば。

脳幹除去器ト ゲ ト ゲ頸部切断ギ ロ チ ンも必要ない死体の解剖は楽だ。楽では、ある。

年配の監察医は慣れた手付きで巫女装束と和装下着を裁ち鋏で切り裂いて剥ぎ取ると、送られてきた資料に時折目をやりながら身体を検分し、透明なカバーがついた電子カルテに情報を入力していく。

「この人は業務……えー、「静聴」? その、異常性を使った業務の途中に吹っ飛んだんでしょう。この人の異常性に関するレポートは渡されましたが、調べてたアノマリーの情報は?」

「欲しいか? そこにお前の分があるから、『着用したまま入水すると、内部にカニを模したゴム製玩具を生成する男性用ブリーフ』の実験記録が欲しかったら持って行けよ」

眉一つ動かさずに言ってのけた先輩をしばし眺めた後、若い監察医は実験記録を手元に取り寄せ、再び手元の肉片に目を落とし、諦めたように検査用手袋をはめた手を動かし始める。霊安室に粘着質な音だけが反響する。
 
 


 
 
御先稲荷は2時38分に目を覚ました。

じっとりと、身体中が汗ばむ熱帯夜だった。業務中なら話は別だが、就寝時は彼女も年齢相応の寝間着を使っていた。エアコンの設定温度を幾らか下げて再度の睡眠を試みるが、どうにも湿度が高い。汗をかいたせいか喉も渇く。髪は邪魔にならないようにまとめていたが、それでも暑さを手助けしていることに変わりはない。

ただの水を飲むのも味気なく、寮に設置された自動販売機を利用することにした。財布とIDカードを掴み、着替えることもなく自宅のやや厚めな扉を開く。熱帯夜特有の熱気と湿気を帯びた空気を肌に浴び、自動施錠の音を聞きながら自動販売機へ向かう。その背中を、等間隔で設置されたカメラに眺められる。

異常性を保有しこの特殊寮で生活する彼女にとって、扉を開けるとすぐそこにある無機質なレンズは日常だった。当初から室内を全く監視されていないとは考えていなかったが、それでも最初は外に出る度に威圧されるように感じたものだ。今となっては、もはや監視に注意を払っている場合ではない。

気分としては、うんざり、と言って差し支えなかった。財団に勤務してからこの寮に押し込まれて既に3年が経過しているが、異常性を持つ彼女に対する財団の福祉制度はいっそ呆れるほどに完璧だった。自分の憂鬱がどこから出ているのか分からない現実が罪悪感を伴って御先の精神を磨り減らす。

発光する自販機に辿り着き、適当なボタンを押して硬貨を投入する。いくつかの金属の落下音と共に、御先は目的の飲料を手に入れた。帰って涼しい風を浴びながら飲むのは勿体無い気がしたので、ペットボトルを一気にあおってから併設されたゴミ箱に捨てた。踵を返して歩き始めると胃の中の水分がちゃぽちゃぽと音を立て、恥ずかしさに思わず廊下の前後を確認した。蛍光灯に照らされる職員は、彼女以外には居なかった。

何故だろう? 同僚は優しい。財団に不当な扱いを受けた覚えもない。いくらか死体を目にしたり休みに呼び出されたりはしたものの、五体満足で生き延びているというのに、何故ここまで居心地が悪いのだろうか? 汗で肌に貼り付く布の感触にどうしようもなく苛立ち、そんなことに苛立つ自分にさえ不満を抱く。

同僚の目が怖かった。財団も怖かった。彼らは何も悪いことをしていないのに、自分だけが勝手に怯えているのだった。不自然なまでにいつもどおりに接してくる彼らの内心が怖くて仕方がなくて、毎日聞くオブジェクトの「声」が恐怖を支えていた。大抵の場合、それらには執着はあっても愛は無く、欲望はあっても夢は無く、諦観はあっても希望は無かった。いっそおぞましいほどに直接的に叩き付けられるそれらは、年月をかけて彼女を蝕んだ。

メンタルケアは気分を落ち着けこそしたが、恒久的に不安を取り除くことは財団であってもできなかった。そもそもなぜ財団は頻繁なメンタルケアを自分に行っているのか? それこそ、財団が自分を、おそらく悪い方向に特別に扱っている証拠ではないのか?

強制的に思考を断ち切ろうとして、失敗する。規則的に並んだ監視カメラが、意識の中で急激に存在感を増していく。

いっそ収容されていれば、もっと危険な異常性だったら、私が財団の利益でなかったら、あったかもしれない未来の話がぐるぐると狐耳のついた頭を回る。その耳は髪の毛で構成されていて、その耳が目立つせいで彼女は外出をなかなか許可されず、その耳を通して彼女は「声」を聞いた。

なぜ私は異常性を持ったのか。なぜ私はあの時、あんなモノに触れてしまったのか。いや、なぜ触れた上で生きているのか?

IDカードを通した後各種生体認証を済ませ、自宅のドアを開ける。外部の蛍光灯の光が玄関を通り、いくつかの金属に反射する。

この部屋が、自らの住居が、今まで聴いてきたどんなオブジェクトよりも怖ろしく口を開けているような気がした。御先は簡易アラームが扉の開けっ放しを警告するまでの数十秒、玄関の前でただ立ち尽くしていた。
 
 


 

ファイル「manager-osaki」はアーカイブされました。

吹上ふきあげ人事官は一通り必要な処理を終えた。顔を上げ、掛け時計で時間を確認してから、体を背もたれに預ける。退屈で退屈でしょうがない、という顔をして辺りを見回しても、昼休みの人事部には彼以外には男が一人いるだけだった。欠伸を噛み殺して財団支給の携帯端末を開き、担当する仕事の進捗を確認し、再び閉じて机に置いた。やることはあったが、無気力が体を支配していた。

「分かってた。遅かれ早かれ、こうなるのは」

ほとんど独り言に近かったが、優しい心を持った同僚は頭を上げて吹上に反応した。

「御先さん?」

「そう。御先……きつね? なんだっけ? とにかく、今朝、このサイトで吹っ飛んだ人。面白そうだと思って、わざわざ見に来たのに」

「まあ、そりゃ運が悪かった」

「にしても、来て当日にあんな死に方しなくたっていいだろ。ブリーフに狐耳押し当てながら頭が爆発って」

顔可愛かったのになあ、と呟く吹上を見て、同僚は顔が粉々になって死んだらしい故人を改めて哀れんだ。こいつはいつ見ても正直が過ぎる。欲望を口から吐き出した吹上は、だらしない姿勢のまま惰性的に言葉を紡ぐ。

「確かに、異常性を有する職員は、端から10年とか20年とか……そういう単位での雇用を考慮されていない。いつそいつにとってのハズレを引くか、いつ収容対象認定を受けるか分からないから。ああ、不死性のやつなんかはまた別だけど」

「呆れるほどの異常性検査を通しているんだ、もう少し信を置いてもいいと思うんだが」

手持ち無沙汰なのか、手の中でボールペンを弄びながら吹上は返事をする。

「職員の異常性とSCiPスキップ、よく分からない2つを毎日毎日接触させているのにか? 何も起きないはずがないし、起きることが良いことである保証もないんだ。火を吐こうが蝉を吐こうが髪の色が勝手に変わるだけだろうが異常は異常、原因と仕組みが分からなきゃ何が起こるかは分からないよ」

その返事に同僚は何も返さなかった。彼としても、本気で異常性を有する職員の扱いに不満を持っていた訳ではない。代わりに同僚は、吹上が先程そうしたように、独り言に近いものを返すことにした。

「なんで死んだんだろう」

「うん?」

「事案後の立て続けの追加実験は効果を上げていないそうだ。ブリーフは所詮ただのAnomalous、原因は御先管理員の異常性にあると見た方が良いだろう。……人事部に寄越されたデータでは、ここ最近、メンタルケアの成果が芳しく無い様子だった。医療部門も業務への影響を危惧していたが、命に影響があるとまでは見ていなかった。今回の事案は、事前に防げたんじゃないのか。異常性を保有する職員とそうでない職員。その精神の取扱いの区別について、もっと慎重に取り組む必要があるかもしれない」

「たかが数時間の実験で異常存在を解析し尽くせると? いっぱしの研究員気取りか? それとも、彼女に気でもあったかな?」

「どちらも違う。人事部職員として、同僚に意見を述べている。人事部としてはそうだな、異常性を有する職員の周辺人員を調整することで彼らへの負担を減らし、未知の事案を防げるかもしれない」

吹上は、同僚の声から真剣味が抜け落ちつつあるのを感じ取っていた。そもそも先程は異常性検査をしているんだから信を置け、つまりはできるだけ一般職員と同じ扱いをしてやれと言っていたはずだ。同僚が自分と同じく退屈に殺されかかっていてなんとしてでも会話を続けようとしているのか、疲労によって筋道立った思考ができなくなりつつあるのかは定かでは無かったが、財団職員としては後者を危惧するべきだった。吹上はこの会話を打ち切って同僚の様子を医療部門に報告することを考え始めていた。

「興味が無いな。本気でそう思うなら、人事局に要請でも出しといてくれ。力になれそうもない」

そこで吹上の端末が一度鳴った。気だるそうにそれを手にし画面を見ると、デスクの荷物をまとめ、お先、と一言だけ告げて人事官は去った。どうやら、また特に興味を惹かれない仕事を与えられたらしい。一人残された男は、昼食を取る気にもなれないのか、自分のデスクから動こうとしなかった。また、先程の提案を文書化しようともしなかった。

数少ない異常職員のために、日本支部の一般職員を悪戯に動かすことが得策であるとは思えなかった。財団にそんな余裕はないし、こんな考えが浮かぶ時点で彼自身にも余裕はない、ということを幸福にも彼は自覚した。肉体よりも心が休息を必要としていることを切実に感じていた。昼休みは残り少なかったが、気分転換を兼ねてオフィスを出ることにした。外の空気を吸えば少しは気が晴れるだろうし、最悪医療部門の力を借りても良いだろう。財団で精神を擦り減らす職員はそう少なくはない。

目の端に、トラックがサイトを出て行くのが見える。御先管理員の死亡から既に5時間が経過しているから、私物はあれに載せられているのだろうか。搬送される先もおそらく通常のゴミ処理場ではないだろう。そこで、御先稲荷の痕跡は根絶されるだろう、と何気なく彼は思考した。一度ああなった職員が帰って来たことは  ゼロではないが  非常に稀だった。御先のケースなら死体は保存されるだろうが、自分がそれを見ることは永遠に叶わないだろうとも何故か思った。とにかく、久し振りに彼は他人の死について、相応の喪失感を抱くことを自らに許していた。それが新人職員に対する同情なのか、若い女性に対する下卑た哀愁なのかは分からなかった。

考えてもどうしようもないことを考えるのはやめるべきだったが、彼は思考を断ち切ることに失敗し、オフィスから少し出た所でしばらくそのまま立っていた。やがて医療部門へ頼ることを決めて、昼食を終えてオフィスに戻る人事部職員の流れに逆らうように歩く。今更誰が何をしようと後の祭り、一人の職員の頭が弾け飛んだことに変わりはない。どうにかできたとも思っていない。ただ、与えられた理不尽は改めて受け取らねばならなかった。

医務室へ向かう彼の背中は、通常通り監視カメラに記録された。

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