バイタル・サインズ

あのヨレハマツの林ハブ » バイタル・サインズ

評価: +8+x

|| ハブ || Circumstances »

2016/6/7
オレゴン州 ポートランド

エージェント サシャ・メルロは静かなコーヒー店の空いたテーブルに座り、窓の外を見つめながら指で机を叩いていた。空は予想通り曇っていた。

私服姿の若者が彼女の向かいの席に滑り込んできた。「サシャ・メルロさん?」

「1オンスの知覚はあるみたいね」彼女は窓の外を見つめたまま、不可解な内容を呟いた。

「1ポンドの不明瞭の方が合っています」かれ (they) はそう返した。「本当に、一体誰がこんな合言葉を考えたって言うんです?」

「何かの歌詞から取ったんじゃなかったかしら」メルロはそう言うと、ニヤリと笑みを浮かべながら、訪問者へ向き直った。「スペンサー捜査官は?」

スリーポートで何かあったようで、そちらの対応に」かれは言った。「私は彼の相棒で、特別捜査官のロビン・ソーンと言います」

メルロはこのFBI捜査官を観察した。ソーンは明らかに彼女より若く、短く刈り上げられた赤褐色の髪が若々しい顔を縁取っていた。しかし、冷静ながらも自信に満ちたオーラを発しており、メルロはこの種のオーラが経験に由来することを知っていた。それはまるで、十年の時を超えて鏡の中を振り返っているような気分だった。

「その名前には聞き覚えがある、どうしてかしら?」メルロは訊いた。彼女は純粋に興味があったのだが、相手を知るための会話術としてもこの質問を利用していた。彼女は強硬派として悪名高いスペンサーとの交渉の準備をしてきたのだが、予定していたスピーチは心の中で書き直さなければならなくなった。

ソーンは瞬きをして、テーブルへと視線を落とした。「きっと、思い浮かんでいるのは私の母でしょう」

メルロはその名前を心の中で数度繰り返し、記憶の詰まりを解消しようとした。そうして、ようやく思い出した。「フローレンス・ソーンのこと?」

ソーンは依然としてテーブルを見つめたまま、頷いた。「実は以前お会いしています。母の葬儀で」かれは視線を上げ、メルロと目が合った。謎めいた表情だ。「長居はしてくれなかったようでしたが」

メルロの脳裏に、目に怒りを浮かべたヒョロリとしたティーンエイジャーの姿が一瞬よぎった。「ごめんなさいね」彼女は言った。「私が捜査局を抜けたことをあまり快く思っていない人達が大勢いたから」

ソーンは肩をすくめた。「責めるつもりはありません」それから、テーブルを指で叩いた。「ですが、これがこの会合の理由ではないでしょう?」

メルロは短く息を吸い込み、下唇を噛んだ。「私は、アンダーソンがスリー・ポートランドで活動していることを知っている」

ソーンはしばらく彼女を見つめ、短く笑った。「なるほど、そういう会合ですか」かれはテーブルの上で腕を組み、体を少し前のめりにした。「どうしてあなたの白鯨の潜伏地が、例の奇妙な街だと?」

メルロは、アンダーソンへの執着をソーンに知られたことに動揺し、座り直した。彼女は構わず続けた。「あなた達はまだPLAMPROをやっているの?」

ソーンの視線が厳しくなった。「それは機密事項です」

「それが何であるかは知っている?」

かれは僅かに頷いた。

「2002年に私がFBIに入局した時、最初に担当させられたのがPLAMPROのトラフィック分析だった。移動パターンを見つけて、特定の密輸ルートを特定するの。あなたのお母さんとは関連の事件で一緒に仕事をしたこともある…… コードネームはダーク・ドアだったかな?」

ダーク・ルーム、」ソーンは機械的に訂正するように言った。「それで、何が言いたいんです?」

「私が言いたいのはね、スリー・ポートランドを密輸組織の中心地として使っている誰かがいるとしたら、私はそれがどう見えるかを知っているということ。アンダーソンの活動の空間的、時間的分布はそのパターンに完璧に合致している」

「それじゃあ、タダの勘ってことですね」

メルロは溜息をついた。「ソーン、揶揄うのはやめて。私は以前あなた側のプレイヤーとしてこのゲームに参加してた。奴がポートランズにいるのは分かってるの。あなたも知っているはず。そして、今は私にそれを教えたのが誰か疑問に思っている。で、この堂々巡りを続けるか、私に情報提供者を撃たないようにさせるか。選んでいいわよ」

ソーンは静かに彼女の様子を観察し、ほんの僅かに顔をしかめた。「この会合を招集したのはあなたです、エージェント メルロ。我々に何かを求めているのでしょう、でなければこんな所には来ないでしょうから」

メルロは上着に手を入れると、封筒を取り出し、2人の間のテーブルに置いた。ソーンは不思議そうにそれを見た。

「等価交換よ」メルロは説明した。「ここに、UIUが指名手配してる未逮捕の超常犯罪者5人分の、昨日の午後6時の時点で確認された最新の所在情報がある。あなた達の獲物の見つけ方を教えるから、私の獲物のことも教えて欲しいってわけ」

ソーンは封筒を見つめ、考え込んだ。

「ええ、あなたの推測通りです」かれは遂に認めた。「あなたが奴を見つけるのは、本当に時間の問題だったと思いますよ。本人もそれを隠してはいません、何せ建物に巨大な広告看板を掲示しているのですから」

「じゃあ、なぜFBIは何もしていないの?」

「あなた達の方こそ、なぜ奴を野放しに?」

メルロは歯を食いしばった。奴は捕まらないのが本当に上手だ。

「そう言う訳です」ソーンは言い、彼女の方向に指銃のジェスチャーをした。「厳密に言えば、奴は実際に違法なことは何もしていません — 我々が立証できる事はないということです。もちろん、努力していない訳でもありません。そして、もし仮に我々が具体的な何かを掴んだとしても、奴を捕えることは…… 本当に難しいでしょうね」

「どれほどに?」

「ヴァチカンの真ん中でイエス・キリストを逮捕しようとしていると考えて下さい」

「そこまで悪い状況なの?」

「それよりも悪い状況です。街の人口の半分は、奴が1人でメカーネを組み立てようとしてるんだと考えていて、もう半分は反財団のロビンフッドか何かと捉えています。白昼堂々往来のド真ん中で人を殺したなんてことがない限り、奴を逮捕するなんてまず不可能な話ですね。万が一にそんな事件が起きたとしても、完璧な立証が要求されるでしょう」

2人がそのことについて考え込んでいる間、数秒の沈黙があった。

「こっちにそんな縛りはない」メルロは静かに言った。「ただ、奴の居場所が分かればいいの」

ソーンは笑った。「全くその通りですね。あれだけのことをやっておいて、我々がフーヴァー指令を放棄し、超常飛び地の路上で奴を拉致するのを許すとでもお思いですか?」かれは一旦言葉を切り、再び深刻な表情となった。「その上 — 責めるつもりはありませんが — 私の理解では、あなたにはこの件に関して実績がありませんね」

「あなた達よりはマシだけど」彼女は言った。

ソーンは不敵に微笑んだ。「まあ、それは認めましょう。しかし、それではポートランズでの活動が禁止されていることをどう回避するつもりなのかの説明にはなっていませんね」

「単純なこと。私にはスリー・ポートランドで事を起こすつもりがない」

ソーンは眉をひそめた。「一体どんな計画を?」

「アンダーソンの活動はスリーポートに集中しているかもしれないけど、未特定の地球上の施設も数十はあるはず。そのどれもが、スリー・ポートランドの本部と繋がっているか、連絡を取り合っている可能性は高い。奴が何を企んでいるのか、FBIはあそこを監視しているはず。賭けてもいい」

ソーンは頷いた。「アンダーソンの衛星施設の場所を教えれば、侵入して徐々に解体できると考えているのですね?」

「ええ、その通り」

ソーンはため息をついた。「電子工学のキリストを大皿に盛った状態で引き渡したいのは山々ですがね、この件に関しては我々もあなた達と同じ、未だ暗闇の中です。本部を監視下に置いてはいますが、奴は公共の "道" のネットワークを使っていません。我々は、奴がある種のプライベートなネクサスのセットを保有しており、輸送と物流のために使っていると考えています。奴は間違いなくそれだけの力を持っているでしょう」

メルロはがっかりした様子で頷いた。「ありがちな事よね。やっと捕えたと思ったら、奴は常にこちらの2歩先を進んでいたことが分かった」彼女はため息をつき、立ち上がる準備をした。「兎も角、時間を割いてくれて助かったわ、ソーン捜査官。再会できてよかった」

「こちらこそ。これ以上何もできないのが残念です」

「そうだ、もし何か超法規的な手を使えそうな取っ掛かりが見つかったら、連絡を寄越してくれないかしら」彼女は封筒をソーンに渡した。「これはあなたが持っていて。あなたの方が私より運が良さそうね」

ソーンは年上の女が去っていくのを見送り、封筒をもう一度見つめた。

等価交換か……


2016/6/9
スリー・ポートランド ICSUTキャンパス

「まもなく、メモリアルパーク駅に到着します。ICSUT ポートランド校、シー領事館、第7次オカルト大戦記念碑へお越しの方は当駅をご利用ください。駅を出ますと、ミルクボックス大通り、ホブゴブリン通りに停車します」路面電車の自動音声放送は一旦途切れると、次はケルト語で同じ内容を繰り返した。

ソーンは、交通パスをチケット・ゴーレムに振って見せながら電車を降りた。夏休み期間のおかげで、木曜日でも駅のホームは比較的空いていて、ソーンは身体に染み付いた記憶だけで易々と移動できた。4年間、ほぼ毎日ICSUTのキャンパスまで歩いていたので、何年も経った今でさえ、目をつぶったままでも確実にそこに辿り着けたのだ。

キャンパスを守護するスフィンクスが門の前で、頭を前足に挟み尻尾を気だるげに振りながら待っていた。彼女がどこから来たのか、大学の管理者は如何にして彼女を従わせたのか、いくつかの相反する説があったが、ソーンの意見では、彼女がただ学生を苦しめることを楽しんでいるのだろうと考えていた。

「おはよう、フィックス」ソーンは言った。「門を開けてもらえるかな? 図書館に用事があってね」

スフィンクスは頭を持ち上げると、ソーンを見つめた。「この門を通りたくば、謎かけに答えよ」

ソーンは溜息をついた。「勘弁してくれ」

「問おう…… 汝の学生IDは?」

ソーンは目をパチクリさせた。「フィックス、そりゃ謎かけじゃないだろ」

「分かってる」彼女は口を尖らせた。「私が副学部長を締め出してしまってから、謎かけは禁止になった」

ソーンは財布を出して同窓会カードを抜き取ると、スフィンクスに見えるように掲げた。「ほら、これで大丈夫? それとも読み上げなきゃダメかな?」

「どうぞ中へ」彼女は落胆した声で言った。彼女が頭を下げると、門は自動で開き始めた。

開いた門と惨めなスフィンクスの間の空間を見つめつつ、ソーンは誤った決断を下した。

「それで気が晴れるのなら、私にはいつでも謎かけしてくれて構わないけどな」

スフィンクスはすぐに頭を上げた。その瞳を輝かせながら、彼女は言った。「それを通じて真実を見つけることができる。数学ではない、けれども証明プルーフが関係するもの。それは何?」

ソーンは少しだけ考えて言った。「お酒だ。プルーフにはアルコール度数って意味もある」

スフィンクスは満面の笑みを浮かべた。「あなたは副学部長よりも賢い。彼は、答えを『裁判』だと言って譲らなかった」

ソーンは鼻で笑った。「ってことは、彼にはあまり弁護士の知り合いがいないんだろうね」かれはスフィンクスに手を振り、図書館に向かって歩き始めた。「また後で、フィックス」

図書館はキャンパスの中心に位置し、複雑な建築魔術の網の目の一部となって、スリー・ポートランドの他の建物と相対的な位置に固定されていた。図書館のある輪のような形の建物は、3層の結界の最も内側の円を形成し、キャンパスとその魔術的効果の中心であるサーヴェイン時計塔を完全に取り囲んでいた。

図書館と時計塔に集中する大量のEVEのため、元々は意図されていなかった結果として、時計の文字盤はアスペクト放射の影で読み取れるようになっていた。遮蔽物を挟んでも、1マイル離れていても読めた — 少なくとも、ソーンのような "観察者" にとっては。だが残念なことに、この文字盤を可視化しているアスペクト放射は、その内部構造を乱す効果もあるらしく、時刻が正確であることは殆どなかった。今この時に至っては、その針は大きなレモンを72分過ぎたことを示していたのだった。

そうならないよう懸命に努力したものの、ソーンがドアを押し開けると、古いオーク材のドアはギシギシと音を立て、司書の注意を引いた。厳しく咎めようと口を開いた司書は、かれを見るなり口を閉じ、微笑んだ。

「ロビン」彼は言った。「まさかとは思うが、院進について気が変わったかの?」

「残念ですが違います、ホルコム教授」ソーンは言った。「がっかりさせて申し訳ないのですが、調べ物をしに来ただけです」

教授も驚きもせず、しみじみとうなずいた。「無論、必要ならば何時でも図書館は開放しているとも」

「例の "図書館" はどうでしょう?」

ホルコムの表情がこわばった。「オカルト理論に関しては、ここの蔵書で十分だと確信しているがね。そんな所に行く必要など—」

ソーンは手を上げてそれを遮った。「教授、アーキビストとしてのあなたの評判を貶めるつもりは無いのです。ただ、ここで外なる者アウトサイダーを召喚するのはお望みでないだろうと思いまして」

「おお」彼は考え込んだ。「それはそうだとも」彼は言葉を切った。「何のためにダイモンが必要なのか聞いても構わないかね?」

「自分の魔術行使の熟練度ギャップを補おうとしているだけです。喚起術が得意でなかったことはご存じでしょう」かれは肩をすくめ、会話の話題にもかかわらず、平静を装った。「それで…… "図書館" は?」

彼は頷いた。「分かった。"道" の位置は変わってはおらんが、合言葉は君が直近に使った後に変更になっておる。今は確か…… デルタ-ロー-ナイン-セブン」

「ありがとうございます、教授」ソーンは手を振って、図書館の奥へと向かった。

例の "図書館" の巨大さと複雑さに比べれば見劣りするが、ICSUTの図書館にも空間的な異常がある。図書館を取り囲み、浸透している膨大な量のEVEと、収蔵庫に収められている深妙な書物の両方が原因である。複雑な番号で索引付けされた目録のセクションを避けるように注意しながら、ソーンは棚を進み、孤立した小室にある何の変哲もない扉に辿り着いた。

扉には何の表示もなく、横にある英数字のキーパッドがなければ、傍目には掃除用具入れと見間違えたかもしれない。ソーンがホルコム教授から聞き出した暗証番号を打ち込むと、扉が開き、無人のクローゼットが現れた。

ソーンはその中に入り、扉を閉めた。かれは暫く口を閉じていたが、暗闇に向かって囁き始めた。

「この術によって、あなたは23文字のバリエーションを考えることができる」

ソーンは即座に、このボルヘスの句に "道" が反応し、アスペクト放射が急上昇したのを感じ取った。2つの輝く光の点が反対側の壁の基部に生じ、その下に柔らかく輝く軌跡をなぞりながら、壁の表面に沿ってじりじりと上昇し始めた。天井に近づくと、2つの光点は内側に向きを変え、互いに向かって動き始めた。それに呼応するように、壁になぞられた光り輝く輪郭が明るく燃え上がり、ソーンは目をつぶらざるを得なかった。

再び目を開けると、目の前の壁にシンプルな松の木で出来た扉が現れていた。部屋から明かりが消え始めると、扉は否応なしに開き、放浪者の図書館が姿を現した。

ソーンが図書館に入ると、扉は再び閉まり、その裏の "道" もまた閉じてしまった。かれはドアノブに手をかけ、ちょっとした呪文を囁いた。それは簡単な魔術で、扉に微量のEVEを注入し、ソーンが再びここを見つけるために使える伝染リンクを作るものだった。実行するのは些細なことだが、この図書館を探索するためには欠かせない道具だ。

永遠の放浪を続ける羽目にはならないことを確認したソーンは、司書を探しに出かけた。これは特定の出口を見つけるよりずっと簡単だった。司書はいつ、どこで自分が必要とされているかを生得的に感じ取っているようだったからだ。ソーンが通路の角を曲がると、すぐに司書が待っていた。

その司書は、身長15フィートはあろうかという巨体で、重い緑色のマントにすっぽりと覆われていた。その顔は — そもそも顔があったとしても — フードの影に隠れていた。それは交差点の真ん中に静かに立ち、ソーンを見つめていた。

予想していたとはいえ、ソーンはその姿を見たとき、はっと息を呑んだ。顔があるはずの空洞を直視しないように気をつけながら、慎重に近づいた。

ソーンはそれに向かって手を小さく振った。「どうも」

司書からの返事は無かった。

「ええと、世間話は抜きで行きますね」ソーンは咳払いをした。「外界と構造知性についての本を探しています — 外なる者、ダイモン、使い魔、そういったものですね。可能なら英語が嬉しいですが、現代ケルト語でも構いません。適切なセクションを紹介してもらえますか?」

司書は細長い腕を1本上げ、マントの袖を引いて拳を握った骸骨の手を露出させた。司書はゆっくりと指を一本伸ばし、そこから薄い霧が立ち込めた。ソーンが見ていると、霧は床をに蜷局を巻くと、書棚の間を蛇行しながら流れていった。

ソーンは沈黙を保つ司書を振り返った。「ああ、どうも、ありがとうございます」

マントの奥から不気味な舌打ちが聞こえ、ソーンは身震いした。それはただの返事だったのかもしれないが、かれは説明を求めなかった。

ソーンは急いで霧の跡を追いかけ、図書館の奥へと進んだ。霧はかれを本棚の列の中の曲がりくねった道へと導き、時折、歪んだ空間を横切るために折れ曲がった。30分ほど彷徨った後、霧の道は5階分の高さがあり、遠く伸びている長い棚の端でようやく止まった。近くの棚の根元には「OUTSIDERS」とだけ書かれたプレートがあった。

ソーンは霧を見下ろし、感謝すべきかどうか考えた。決めようとする前に、霧は蒸発し、かれは本の間に取り残された。

「何かお探し?」

ソーンが肩越しにチラリと見ると、ボロボロのボンバージャケットを着たアジア系の女性が近くのテーブルに座り、『Der Nichtswanderer』という題の本越しにこちらを見ていた。彼女の首には小さな金色のリンゴのチャームがぶら下がっていた。

「それがよく分かっていなくてね、」ソーンは正直に言った。

「今日の私は機嫌がいい」彼女はつぶやいた。「助けてあげようか?」

ソーンは肩をすくめた。「お願いするよ。この先1週間ここを探り続けるつもりはないからね」

「具体的な目的があるのよね? アウトサイダーについてふらっと調べに来る人はあまりいないよ」

「構造知性が必要でね……」ソーンは一度言葉を切った。「複雑な喚起術の補助をさせたいんだけど」

「有用な使い魔ね、なるほど」彼女は小さく鼻を鳴らした。「それなら『最も従順な外なるダイモン達について』から始めるといい。確か著者はリザーランドかな? そう、タイゲ・リザーランド。あなたは多分LRの注釈付きが欲しいはず。2階の、12段下の棚にある」の彼女は通路の上方を身振りで示した。

「リザーランドね、分かった。本当に助かったよ、ええと……」ソーンは言葉を継げなかった。「これは失礼、名前も聞いていなかったなんて」

アリオット」彼女は言った。「礼はいいよ。私は多分、下手な司書よりもこのセクションに詳しいから」

ソーンはアリオットに手を振って別れると、指示された方向へと歩き出した。その本を見つけるのに時間はかからなかった。分厚い革張りの本で、20年から200年前のもののように見えた — ただ、ソーンは偶然にも、この注釈者がまだ生きていることを知っていたので、本の実年齢は今言った範囲の低い方といった所だろう。

ソーンは本を近くの机に運ぶと、ページを開いた。


2016/6/14
スリー・ポートランド、プロメテウス・プラザ

「それで、どうしてスペンサーに助けを求めなかったの?」

ソーンは現在の相棒にチラリと目を向けた。いつものように、レネー・モリンはUIU捜査官に一般的なフォーマルな服装を放棄することを選択し、代わりに通常の私服を着ていた — このコーデには、彼女の耳が収まるように2つの穴が開けられた、ボロボロのアトランタ・アステカズの野球帽も含まれている。この2人のペアは確かに珍しい組み合わせではあったが、彼らはまだプロメテウス・プラザで最も興味深い光景からは遠く離れていた。

「ケンは私達が財団のために働くことを喜ばないだろうから」ソーンは言った。「特にそれが…… 合法性が疑わしい場合にはね」

レニーはニヤニヤ笑った。「それが問題よね、『これは違法?』って。実際、完全にそうだよ」

「それでも、君はここに来てくれた」

彼女は肩をすくめた。「ミッキーDとそのお仲間が相手なら、ちょっとした不法侵入くらい何時でも大歓迎よ」彼女はそう言うと一旦言葉を切り、それからこう付け加えた。「もちろん、今のは非公式な発言だから」

「まあ、全てが計画通りに進めば — こういうことを言うと上手くいく確率が下がるのは分かっているけど — この侵入が不法ってことにはならないと思うよ」

「アンダーソンが関与しているっていうのに、計画通りに事が運ぶなんて事ある?」

「無いだろうね」ソーンは言った。「でも、間違いなくここに奴はいない — もしいたら感知できる — だから運気もマシなはずさ」

「本気で信じてる?」

「信じたいものだね」かれはレネーに顔を向けた。「渡した御守りは持ってる?」

彼女は頷いた。

「もしそれが機能しなかった場合、ルーンは覚えてるね?」

レネーはしゃがみこむと、砂ぼこりの中に素早くシンボルを描いた。「合ってる?」

ソーンはそれを観察してから頷いた。「うん、いいね」

猫娘は手の甲でシンボルを擦って消すと、再び立ち上がった。「じゃあ、準備はいい?」

「多分、まだだ」ソーンは言った。かれは息を吸い込んだ。「さあキット、コミュニティ指導者の本部への違法捜査をやって、フーヴァーの亡霊に誇りを持ってもらおうじゃないか」

確かに元FBI長官は、中性的な魔術師と不遜な猫娘が彼の「汚い手口」を実行するとは想像していなかっただろう。だがソーンは、彼が2人の計画した作戦の本質を承認しただろうと確信していた。なぜか、それは心強いものではなかったのだが。

2人は共に広場を横切り、アンダーソン・ロボティクスの世界本社へと向かった。その昔、このビルにはプロメテウス研究所のスリー・ポートランド本社が入っていた。プロメテウス研究所の倒産後、このビルには、ディア技術研究所の頓挫を含め、短期のテナントが入れ替わり立ち替わり入居していた。しかし過去数年間は、アンダーソンと彼のロボット達によって占拠され、徐々に堂々とした企業要塞へと変貌を遂げていたのだった。

ソーンは警察手帳を盾のように前に掲げながら、警備員として正面玄関に配置されたペレグリン・ユニットの横を通り過ぎた。ロビーに入り、受付に近づいても、ロボット達は彼らを止めようとはしなかった。

扉の前の警備員とは違い、受付の男性は一見すると人間のようだったが、オーラを発していないことから、ソーンは彼がセイカー・アンドロイドであることを即座に見抜いた。2人が近づくと、彼は顔を上げ、礼儀正しい笑顔を見せた。

「何かご用でしょうか、捜査官様?」

「この地区でガスゴーレムが脱走したという報告がありましてね」ソーンは嘘をついた。「このビルにいる可能性があるんです。窒息死の犠牲者が出る前に1階を捜索させてください」

「大変申し訳ありませんが、連邦捜査官には令状なしに敷地内を捜索させないようと指示されております」アンドロイドは相変わらず誠意のない笑みを浮かべて言った。

レネーは身を乗り出し、両手を机の端に置いた。「あのね、命がかかってんの。緊急事態で、令状とか言ってる場合じゃないのよ」彼女は指を僅かに曲げると、机の仕上げに傷がつく程度に爪の先端を伸ばした。「あなたが今していることは、連邦捜査官に対する職務妨害よ。どうしてもって言うなら、令状を取って出直してあげるけど。でももし、この足止めのせいで犠牲者が出たら、大変なことになるよ」

アンドロイドはゆっくりと2人の間を見渡し、微笑みを弱めた。「公共の安全に危険があるというのでしたら…… 私の判断として…… 護衛付きでの捜索を許可します」

「いいわ、何でもいいからとっとと取り掛かりましょ」レネーは言った。

アンドロイドは扉を守っているペレグリンの1人に向かってジェスチャーした。「578番、捜査官らの捜索に同行しなさい。彼らをこのフロアから出してはなりません」

PSHUD #578 は頷いた。「了解」それは2人の捜査官に向き直った。「私について来てください。この場所に戻るまで、私から離れようとしないでください」

護衛が玄関ロビーを出て行進を始めると、ソーンは受付アンドロイドに笑顔を向けた。「ご協力ありがとうございます」

アンドロイドは何も答えず、3人が去っていくのを見送った。

彼は既に、ヴィンセント・アンダーソンに彼らの存在を知らせるサイレントアラームを鳴らしていた。

|| ハブ || Circumstances »

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。