われら、さきがけなり
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「ますたー?」
「私は… いや、なんだ?」

「わたしはちゃんとやれましたか?」
さらに少し逡巡する。
「…ああ、ハービンジャー。よくやった」
「ならよかったです」

その言葉を送り出すと、表面に走る光は段々と弱まっていき、その熱も宇宙へ散っていった。


真っ白な収容室の中心に、機械が鎮座している。
しかし、モニタリング装置に囲まれたそれは、とうに崩れて、かつて出会った時の、涙滴状の美しい姿を留めていなかった。

これは最初の再会だけれど、恐らくこれは最後のお別れになるだろう。私はそう思って、少し潤んだ目をしっかりと開いて見据え、
「さようなら、ハービンジャー」
と小さく呟いた。

このサイト-0120の"最後"の管理者であるニコラスは、ガラスに張り付く私の一歩後ろに立って、それを見ていた。

「ブルーム、すまない。突然ガニメデ行きなんてことになって。せめて、こいつを君に見せてあげられて良かった」
振り返って見たニコラスの顔は、連日の作業のせいで隈ができていたのだが、達成感に満ちて輝いている。

「いいや。君だけのせいじゃないよ。僕としてはそんなことは既にどうでも良くて、今は何より、ここに連れてきてくれたことにとても感謝してる。監査は知らないんだろう?」
そもそも、こんなことを言うのは、彼の帰属意識の高さ故なんだろうと思ったので、余計に気恥ずかしくなって、私はそう返した。

すると、
「それはどうかな。でも、そう言われると、頑張った甲斐があった」
と向こうも頭をかいて答える。

「それにね、アメリカでつまらない仕事に身を埋めているより、よっぽどいいに決まってる。引き取ってくれた"七曜"1には頭が上がらないよ」と私は重ねて感謝の意を込めた。


宇宙港までの広い通路を2人並んで歩く。
その脇を、白衣も作業着も関係なく大きな荷物を抱えて駆けていく。
ここサイト-0120は現在、航空宇宙部門への引渡し作業中であり、サイト管理官であるニコラスはその激務の間を縫ってここにいるのだ。

「お隣に、国際月面実地研究所…だっけ、建つんだよね」
地上では、その研究所の着工を伝えるニュースが期待を集めているのだが、ここにおいてはサイト引渡しの元凶だった。
「ああ。引渡し先も先だし、大っぴらなこともできなくなるから、1281など移送却下のオブジェクトの収容室を左翼に移したのち、右翼は放棄されるだろう」
そう答える声は少し寂しげだ。

「ヴェール・プロトコル維持のためとはいえ、これほどの拠点を放棄するなんて徹底してる」
「まあな。とはいえ、お隣さんの話は、一般社会から見たら、確かな、人類が既知領域を拡大していく大きな一歩だ」
調子を変えてニコラスは返す。

「そして、僕たちの使命は、人類がその領域を拡大していく、その一歩先に常に立ち続けてその歩みを守る事にある。だから今回は、その先駆けの後ろの足を少し浮かし始めたことにすぎないんだ」
ニコラスはさぞ誇らしい顔をして、大きな声で言ったものだから、通り過ぎようとしていた職員が驚いていた。


私は、"準備委員会"2の拠点の1つがある、ポート・ガニメデに移ることになっており、ここに訪れたのもその途上だったのだが、次の職場を本人から聞き損ねたことにふと気がつき、万が一もあるので聞く事にした。

「それなんだけど、僕はね、フェーベに行くことになった」
フェーベ3…確か土星の衛星だったろうか。隣の惑星といえど、確か地球・火星間では約7500万キロもあったはず。

「管理官の急病があって、手隙の経験者が僕しかいなかったということで、急遽そこになった」
らしい、と聞こえてくる声は存外満更でもなさそうだった。
しかし、トロヤ4にいくと聞いていた友人のことを頼りにしようと考えていたので、少し困った事になったな、と私は思った。

「それは災難だね。もしや、しばらく通信もできなくなる感じかな」
「ああ、フェーベ・オブザーバトリーは有人サイトでは地球から最も遠いものの1つだ。しかも1年前に居留区画が付け加えられた、最前線基地。後方の退却支援の後、すぐに最前線入りだ、なかなかないだろうな」

とはいえ、彼は私を心配させまいと思ったのか、「まあ、僕は相談に乗れないが、イレーネ女史を大いに頼ってくれ。初対面というわけでもないんだろ?」と肩を叩いてきた。


宇宙港にあったエンブレムは、僅かな間に張り替えられ、受付には「拠点120」と彫られた新品の銘板が設置されていく。

検疫場には積込物資が所狭しと並び、私のようにこの便で旅立つ職員と、それを見送る職員でごった返していた。

なお、ニコラスは再会の約束も早々に業務に戻っていた。どうにも手持ち無沙汰だったので、それらの光景をその先の待機場所からぼんやり眺めていると、私を乗せる宇宙機は最終確認を完了した。

搭乗確認を済ませるとすぐに、機内にアラートが鳴り響く。
間も無く、搭乗者を椅子に縛り付けるほどの加速とともに、宇宙機はマスドライバーに投げ出されてクレーターの横穴から飛び出した。Gから解放された体を起こし、後ろを振り返る頃には、サイト-0120の横穴は、縁に隠れて見えなくなっていた。


「FcExA-5。サイト-0038所属、CB-7、Comet3。ドッキング完了」
「Comet3。こちら、FcExA-5。ドッキング完了を確認」
目の前の船長の緊張の糸がほつれ、脱力していく。
モニターからは、白磁のように輝く宇宙機が見え、円形アンテナやパラボラアンテナが配置されたその姿はかの日のハービンジャーのようだった。

このComet3がドッキングしたFcExA-5は、外宇宙支部が地球外知的生命とのファーストコンタクトに備えて建造した、新しい宇宙機だ。素体自体は、1世代前の有人探査機で、目新しい技術の産物が載っているわけではないらしいが、あの苦労しただろう通信関係が大分改善された素敵な船だと、名付け親であるFriday5がメールをくれた。

その、命名・進宙式に、私たちも参加する予定だったのだが、カイパーベルトからの一報を受け、式典行きがミッション行きになったために、探査機と輸送機のランデブーを経て木星軌道上にいる。
しかし、この強行軍を、一昨日まで皆想像していなかったとはいえ、ハッチ前に屯するミッションメンバーの顔はやる気に満ち溢れている。こんなことを言っている私の表情筋も、なんだか緩んでいる気がする。そして、ハッチが気密を完了し、空気の抜ける音ともに開放された。

「おい、ブルーム。1番ニコニコしやがって。しょうがないな、1番乗り、譲ってやるよ」
ミッションメンバー達が私の腕を掴んで、ハッチの方へ引っ張る。面白がった先頭に、私の体はそのまま船内に投げ込まれ、開放された探査船の内壁に慣性のまま衝突する。

やっとの事で手すりにつかまり、態勢を立て直したそのとき、声が聞こえてきた。
「ますたー?」
この、名前を呼ぶのは…。
「私は…いや、まさかな?」

「私はHarbinger。外宇宙支部所属、FcExA-5の補助人工知性体、Herbinger-IIIbisです。ウィリアム・ブルーム博士、よろしくお願いしますね」

ハ、ハービンジャー…?
「…よ、よろしく、Harbinger」
喜びとか困惑とかいろんな感情がぐちゃぐちゃになっていたが、結局嬉しさが勝った。
「Harbinger…、Harbinger。一体誰の入れ知恵なんだい?」
こんな素敵なプレゼントをくれるのはだいたい予想がつくのだけれど。

「名付け親のFridayさんです。船も私も。本当は式でびっくりさせるつもりだったんですけどね」


Herbinger-IIIbisが目の前にある館内モニターに、初老の女性を写し出す。

「命名、Harbinger!」
Fridayの声とともにドッグ内のモニターにその文字が浮かぶ。
「私達、外宇宙支部は、人類がノウンスペースを拡大する先に立つ防人でありながら、ETIとの接触を担当する外交官でもあります。このファーストコンタクトミッション対応型探査船、Herbingerはこの任務を第一線で引き受ける使命を帯びています」
「今はなきHarbingerも、新たなHarbingerも我々の"さきがけ"です。そして、我らもまた、人類の"さきがけ"なのです」

Fridayが手元の赤いボタンを押しこむ。
すると、船体を固定していたロックが音を立てて外れていく。やがて作業員達の歓声とともに、Harbingerはゆっくり、宇宙へと滑り出した。

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