アンタにはゴキブリがいる
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ブライアンは丸々1分もそれを見つめながら、実は別な何かだと判明しないかと願っていたが、ベッド下の死んだ虫は頑固に存在し続けた。

キモッ。どうやってここまで入り込んだ? 彼は虫に触るための物を探しに向かった。 トイレットペーパーに包んで流しゃいいかな。 戻ってきた彼が手と膝を床に突いた時、巣が見えた。

床に円形の穴が開き、虫がうじゃうじゃと集っている。ひしめき合って蠢く虫を見て、ブライアンは恐怖のあまり身を引き、殺虫スプレーか箒のような物を求めて辺りを見回した。ドアに向かって素早く2歩踏み出し、追って来たら飛び出す構えだったが、奴らはベッドの下に居座ったままだった。

彼はペンを掴み、何もかも勘違いでありますようにと祈りつつ再び身を屈めた。 違う。クソ。マジだ。 自分の目で見た物は否定できなかった。そして、慎重に群れの中央に突き入れたペンが押し返されるのを感じた時点で、彼はこれが幻覚ではないと受け入れざるを得なかった。

彼は慌てて後ろに這い戻り、自分と虫の間に距離を取った。虫たちは池の魚のように群れを成し、お互いの上やら下やらを這い回ったが、小さな円の中から出ようとしなかった。実際、どれほど重なり合っても、絶対に床面以上の高さまではせり上がって来なかった。まるでカーペットに投影される映画のように平らな群れなのだ。だが深みはあった — 彼がもう一度ペンを突き刺し、震える指を離すと、ペンは完全に消えた。
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「よう、俺はニール。所属は、あー、ここな。駆除業者呼んだのはアンタかい?」

男は20代後半で、モップのような金髪が肩に掛かっていた。無精髭を生やし、何処をどう見てもマリファナをキメている。彼はつなぎの“ウィルソンズ・ワイルドライフ・コントロール”という文言を指差して微笑み、身分証明代わりにスプレー缶をカタカタと震わせた。

ブライアンは胡散臭そうに目を細めた。「ここで間違いないよ。僕が思うに、きっとこれは深刻な—」

「ああ、だろうな。だから俺が派遣されたんだ。俺は妙なモンの扱いが上手いから」

ブライアンは一瞬考えてから彼を中に入れた。「奴らは奥の寝室にいる。まだ動いてなければいいけど」

ニールは先陣を切って廊下を下り始めた。「家の周りでゴキブリを見たのは初めてかい? 多分他の害虫被害は受けてないよな?」

「ああ、一度も無い。見ての通り、ここは結構清潔に保ってるからね」

「おう。そりゃそうと、良い家だな」

「ありがとう」 ブライアンの見守る中、ニールはそっと寝室のドアを開けて、何かが起こるかもと言わんばかりに首をすくめながら室内を覗き込んだ。何も起こらないのを確認すると、彼は決断的に踏み込み、周囲を見回し始めた。何処か馬鹿げているように感じたものの、現状でできる事が何も無いブライアンは、何のつもりかと訊ねるのを躊躇った。

「入っても安全だよ、アンタ」 ニールが室内から呼びかけた。「もし奴らが、アレだ、俺たちに飛びかかったりとかするつもりなら、もうとっくに行動に移してるはずさ。居場所は家具の下かどっかかい?」

「ベッドの下だよ」 ブライアンは身振りで指しつつ、自分と虫を目撃した場所の間にしっかり駆除業者が挟まるようにした。

ニールは何気ない様子で四つん這いになり、暗闇を覗いた。「オーケイ。ああ。確かにゴキブリがいる。俺がこういうのをどれだけ頻繁に見てるか聞いたらきっと驚くぜ。奴らめ、入り込んで今はもうアンタの床になってる」

「ゴキブリがこんな風に木材に巣を作るなんて聞いたことが無かった」

「いやぁ、違う違う。床にいるんじゃない、床そのもの。アンタのベッドの下にある地面は今じゃこの虫どもだ。こいつらは家の中じゃなくて、アンタのパーソナルスペースに巣食ってんのさ。分かる?」

「いや」 こいつはハイになってるだけだ。 「セカンドオピニオンが必要だと思うね」

「あのな、もしそうしたけりゃ他所に電話してもいいけど、きっとそいつらも同じ事を言うだろう。ほら、こいつを見なよ」 ニールはベルトから懐中電灯を引き抜いてベッド下を照らし、ブライアンに近付くよう促した。

「何が起きるか見てな — 行くぞ」 駆除業者はスプレー缶の長い鋼鉄ノズルをゴキブリたちの中心に刺し込んだ。ブライアンはノズルが穴の中へ、1インチまた1インチと、建物の土台があって然るべき奥深くまで呑み込まれていくのを見た。「オーケイ、ここでもうちょい—」と、ニールはもう少しノズルを先に押し込んだ。ブライアンは冷たい金属に背中を突かれ、ヒッと声を漏らした。

「なん — 止めろ! あれは一体何だ?」 まるで探り針が体内にあるかのように、ブライアンはそれを皮膚の下で感じていた。彼は身震いし、胸や背中を触って何も突き出していないのを確かめようとした。

「オーケイ。俺が心配してんのはこれなんだよ。アンタの持ち物、つまりこの床とかこのアパートには全部アンタとの繋がりがある、だよな? で、アンタはゴキブリが床にいるのが見える。でもそれは奴らの本当の居場所じゃないんだよ。奴らはアンタの中にいるんだ。俺の言ってる事分かるか?」

「分からない。僕には全く何も分からないよ。君が言ってるのは — つまり、引っ越せばいいのか? それで済むか?」

「いや、ダメだ。問題はな、アンタが床を丸ごと交換しても、新しい床は設置したらすぐさまアンタの床になっちまう点なのさ。意味分かるよな? ゴキブリどもはまだそこに残ったままだ。奴らはアンタの中にあるカビの生えた何か、昔の後悔とか良心の呵責みたいなもんを食い物にしてやがる」

「でも僕にそんな物はない。何ともない」 ブライアンはそう言いながらも顔を顰めた。犯してきた失敗や社交上の不手際が総集編となって脳裏をよぎる。「だって、僕はごくありきたりな人間なんだよ。普通なんだ。これは普通じゃない」

ニールは肩をすくめた。「俺には分からないよ。ひょっとしたらアンタ自身は覚えてすらいない事柄かもしれない。人生を家だと思ってくれ。この野郎どもはきっと地下室の奥深くで育ったんだろう。それがここで見えてるとなると、つまり、まぁ…」 彼は指をぎこちなく波打つように動かした。「そこからずっと昇って来たんだろう。な?」

「おい、まさかもっといるって言うのか?」

「そりゃ、昔からよく言うだろ? “1匹見たら100匹いると思え”っての」

ブライアンは自分の顎が緩み、顔面蒼白になるのを感じた。彼は手を見つめ、次いでニールに目を向けて言葉を探したが、「じゃあこれからどうすればいい?」以上のものは出てこなかった。

駆除業者は同情的な視線を返してきた。「そうだな。ゴキブリがアンタの空間にいるのは、それがアンタの所有物だからだ。空間を変えたってどうにもならない。こいつらを一掃したいなら、全く新しい人間になるべきじゃないかと思う」

ブライアンの頭はぼんやりしてきた。「どうやってそんな事を?」

「どんな人間かってのは専ら何をやるかによるだろ、だからその修理には専ら新しい事をやるに限る。色んな事に挑戦して、沢山の人と会ったりとか。山ほど失敗を犯すんだよ。当たり前だけど、大変な手間がかかる。でも実際に家を移るより安上がりだしさ、良い事じゃないか?」

ブライアンはしゃがみ込んで頭を膝の間に埋め、吐きたくなるのを堪えた。「そんな — こんなの何も道理が通ってない」

「まぁな。確かにその通りだ。なぁ、俺はアンタをどうこう評価したりしない、別に良いのさ。この手の問題は一晩じゃ解決しないから。だろ? でもさ、ヤバい問題になるまで放置してるより、今すぐに何か行動を起こすほうがマシってもんだ。な? だから今日呼んでくれて良かったよ」

「そうだな」 ブライアンは立ち上がり、自分を立て直した。自分は有能な人間だ。これぐらい処理できる。

「それが根性だよ、アンタ。ただ一歩前に踏み出し続けるだけで良い。それで、こう、時間が掛かっても大丈夫。家を改装すんのと同じだ。一度に一ヶ所、悪い場所が全部新品に取り換えられるまでそれを続ける。そうすりゃこの下で起きてる騒動にも片が付くって」

ブライアンは頷いた。「何とかやっていけると思うよ。手助けしてくれてありがとう。その… うん、ありがとう」

「いいってことさ。なぁ、折角来たんだし、もし良けりゃアリ避けのスプレーでも撒いて帰ろうか?」

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